『エクソシスト』のルーツはこれだ『尼僧ヨアンナ』 | 徒然逍遥 ~電子版~

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こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。
訪問ありがとうございます。

 

「今年2019年は、日本・ポーランド国交樹立100周年の年。加えて高崎市では、来年2020年のオリンピックに向けて、ポーランドオリンピック委員会と交流協定を締結しています。そのご縁から、高崎映画祭ではポーランド映画を積極的に紹介しています」とは、今年も昨日開幕した『第33回高崎映画祭』における「ポーランド映画特集」紹介の一文。
そこで、温故知新を旨とするgonzalezもポーランド映画をご紹介しようと思い立った。
まずは、これ。


『尼僧ヨアンナ』 Matka Joanna od Aniolow (‘61) 108分
梗概
十七世紀の中頃、とある寒村の尼僧院の院長“天使たちの教母”と敬われるヨアンナルチーナ・ヴィニエツカに悪魔が憑依し、修道尼たちも悪魔のダンスを踊るようになったという。噂では教区司祭が魔法使いで、彼のせいで悪魔がのり移ったとのこと。彼は火刑に処せられたが、彼女は悪魔に憑かれたまま。そこで大司教はスリン神父ミエチスワフ・ウォイトを派遣。彼と会ったヨアンナは突如として形相が変わり、不気味な笑いと共に悪魔の言葉を投げつけ、壁に血糊の手型を残して走り去った。

スリンは彼女と共に苦行を続けたが、彼女は神に仕えるよりは悪魔が与える悦びに身を委ねる方が良いと言う。スリンがヨアンナに口づけするや彼に彼女の体内から八つの悪魔がのり移った。悪魔のささやきに苦しむスリン。だが自分が悪魔に従わないことで、愛してしまったヨアンナに奴らが戻るのを怖れ、命令通り二人の男を殺してしまう。


さて、ちょっと長い粗筋を紹介したが、これで皆さんピンときたのではなかろうか。
そう、ウィリアム・フリードキン監督によるオカルト映画の金字塔『エクソシスト』(73)に激似なのである。

70年代の金字塔~その3:『エクソシスト』ビッグ・バジェット・ホラーの開拓者


後者は、ほんの無垢な少女リーガンに古代バビロニアの悪魔パズズが憑依。恐るべき怪現象に見舞われる。

不気味な哄笑。聞くに堪えぬ雑言。涜神的行為。など観る者を圧倒する絵図が展開する。

悪魔祓いのクライマックスは、メリン神父が斃れ、若いカラス神父が自身に悪魔を憑依させ自ら命を絶つことになる。


ネタバレ全開であるが、実になるほどと思わせる共通した筋立てとなっている。が、両者の関連性については不明である。原作者ウィリアム・ピーター・ブラッディが本作からヒントを得たのか分からない。

 


で、本作品の監督イェジー・カワレロヴィッチはモノクロフィルムを使用。画面構成が緻密に計算されていることが窺われる。その撮影も美しくカメラワーク抜群。

当時のいわゆる東欧諸国ゆえ、商業映画は存在しないはずで、当局による管理体制下での製作であろう。いきおい国家寄りの政治プロパガンダ風の映画も多数作られたはずだ。

そんな中にあって、カトリシズムと宗教家の脆弱さを真正面から描いたように見える本作は、“人民のアヘン”を否定するかのような体裁をとり、検閲をスル―しやすかったんじゃないかと思われる。


だが、観れば分かるが、意外と正直な映画である。共産圏における宗教の否定、人間性の回復などといったお題目ではない。

宗教(=社会的規範or禁忌)と恋愛(=禁じられた恋or同性愛)が激しいせめぎ合いを繰り返しているこの世界で、勝利者は常に性愛である。みたいな感じだ。あくまでも感じ、なのだが。
で、またこの感じでいくと、結句宗教より上位者となるのが性愛。といふ正直者の主張。みたいな感じになるのか。


あるひは、抑圧された国家体制下と鬱屈的な尼僧院内を重ねあわせてもいるのかもしれない。教条主義的な共産主義とカトリシズム。その支配下における抑圧された人間の性。とか。
となると、どちらにせよ本作は『鳥』(63)や『大脱走』(63)みたいな抑圧と心的機制のドラマなのかもしれない。


それはともかく、当時のポーランド国内情勢やフロイトや暗喩など詳細を知らずともドラマチックな物語に我知らず引き込まれるはずだ。


宗教家の葛藤はよくある話だが、若き神父が愛する尼僧ヨアンナを救うべく自己犠牲的精神を発揮するのと引き換へに、悪魔の命令通り二つの無実の生命を奪うといふ究極の選択とも言へる命題は誰にとっても難問だ。


そしてそれに従ってしまった彼の絶望感と悔恨と達成感を察するに余りある。死刑は免れないのだ。引き換えにヨアンナは救済され聖女となる。となれば、彼の行為はある意味極めてキリスト的と言へるのかもしれない。


印象的なヨアンナと尼僧たちのダンスは美しくも一種独特の不気味さを醸す。彼女のブリッジ体勢も奇態である。前述の通り見事なカメラワークにも目を奪われることだろう。


原作がヤロスワフ・イワシキエウィッチの「天使たちの教母ヨアンナ」。本邦でも岩波文庫に映画同様「尼僧ヨアンナ」のタイトルで収められている。

自分は別の翻訳本を既読。やはり映画とは異なっていた。


ATG第一回配給作品として本邦映画史に名を残すフィルムである。

本日も最後までお読み下さりありがとうございました。


 

監督:イェジー・カワレロヴィッチ 『影』(56)『夜行列車』(59)
撮影:イェジー・ウォイチック        『灰とダイヤモンド』(59)『遠雷』(74)