今日はいつもより座っていられるニヤニヤ

あと数時間で強烈な悪寒が始まるから、今のうちに書けるところまで書き記しておこうと思う。

自分だけでなくじいちゃんのためにも。

 

じいちゃんのことを調べるきっかけ、実は他にもあって戸籍を辿りながら今まで考えもしなかった活動をされている方々と縁が出来たりしている。じいちゃんの生きた証を辿りながら、生前よく話していたという道路や線路を作るために強制労働させられ逃げ出して来た「タコ部屋労働者」「朝鮮人労働者」(資料本の表記文言のまま記載)を助け匿い、自分もど貧乏の身でありながらも食料や僅かな食料をも持たせて逃がしていたことに興味を持ち、半月ほど前にこの活動をされている方を探し出し自費出版の本を売って頂いた。じいちゃんが住んでいた土地ではなかったけれど、90歳になるこの方は電話や手紙で今、遺骨収集作業がコロナ禍や関係者の高齢化ですべての活動が停滞していることを憂いていた。

この話題には当ブログによく出て来る親友夫妻「チワワ奥」の存在が欠かせなかった。

もしも私が元気だったら来月頃には遺骨収集を開始していたと思う。何だか人生って自分の気持ちをどこに向けるかで50過ぎのオバサンであっても、まだまだ何かに没頭できるものだと今更ながらに思う。没頭しすぎて今朝、薬を飲むのを忘れてたわ滝汗

このお話はまた、改めて。

 

 

で、126年ぶりにじいちゃんの故郷である住所に未だ同じ姓を名乗る方が電話登録していると知り、思い切って(何も考えていないニヒヒ)私は電話をして、じいちゃんの名を知るそこの家人とお話することとなったのが前回までのお話。

 

 

数か月前に身内の法要があり、過去帳やら位牌を見ながら親類縁者であれこれ話が出て、その際に「そう言えば明治だか大正に北海道に渡った身内が何人かいたんだよね」と話題に上り、その際に我がじいちゃんの名も出たそうな。電話を最初に受けた女性はこのお家の娘さんで、じいちゃんの名前をハッキリ憶えていて不在だった母に伝えた方が良いと判断、数時間後私が改めて電話をした時はお母様が過去の葬儀の香典帳やら資料を慌てて手元に用意して私との会話に臨んでくれたと知った。

実は私が調べた電話帳は古いものであり、この方ご家族はじいちゃんとは違う姓だったと知った。

 

じいちゃん(三男)の長兄の孫(娘)で結婚して姓は違うが、家を今も引き継いでいると言う。

話しているとあまりにも登場人物が多すぎて

用意してあったメモが一気に5枚が文字で埋まる。先方は地元で生まれた頃から身内として顔を見ているから○○のヨシコさん(仮名ね)で認知しているが、この輪に126年ぶりに招かれ説明をされても、私の頭に収まる知力も能力もない。で、後日、まず私の方からこちらに来てからのじいちゃんの子孫の家系図を描いて送るので、お時間がある時でいいので、私の知らない126年からの繋がりを簡単でいいので描いて送って欲しいとお願いした。先方もその方が自分もじいちゃんのその後が理解しやすいから助かると言ってくれて、これから本格的作業になりそう。

 

 

で、ここで頭から消去したはずの母が言っていた「あのこと」を聞いてみることにした。

「あの…母がじいちゃんの先祖は伊達家に仕えていたとよく話していたんですけど」と言うと「そうそう。伊達家の教育指南役って言うのかな?それまでは○○一族(じいちゃんの姓)は豪族として、この地方一体に広大な土地を所有していたのよ。○○の土地を通らずには先には進めないってw」

「豪族」って新しいワードに受話器を手に前かがみになる私。

「何代目かの伊達家のお殿様に認められて、苗字帯刀を許され教育指南役となり功績を上げて天晴!と伊達家家紋である『雀』を使ってヨシって賜ったの」

わはは…私はスズメが好きで毎日、くず米をスズメにあげていたけど私にとってスズメって100年以上前に遡って関わっていたんだと胸が熱くなる。

で今、ネットでその雀紋を賜った教育指南役だったご先祖様を探しているけど、伊達家家臣って記録はしっかり残っているけどその人数は膨大で緑内障で視野が欠けている自分に文字を辿る作業は難航している。この辺も連絡が付いた方から後日、詳細が聞けると期待している。

「この一帯(彼女が住む市町村名)の○○性はみんな身内でつながっているの」狭いフィールドで生きていた自分にはこの言葉、頭が追い付かない。

 

 

でも、私がその土地の名で気になり続けていたのは、東日本大震災の被害。聞いていいのか、触れない方がいいのか。でも、これからお話を伺う機会があるのであれば、知らなかったからと失礼無礼な言葉は許されない。思い切って震災の被害は?と訊ねると「目の前で家も車も大切な人たちも流されちゃった」と、むしろ問いかけた私を気遣うように明るく答えられた。「ここは昔から大丈夫って逃げなかった人、たくさんいたの。でも、あまりに揺れが大きかったから私たち家族は山を駆け上がって。振り返ったら自分の住む街が水に飲まれてた。自分の車が流れていくのが見えて…」

あぁ、初見で聴いてはいけなかったと、鼻の奥がツンとした。地元の人にとっては、過去の話ではない。現在進行形でまだ痛みを抱えているのだ。

 

でも彼女の言葉で救われた。

「100年以上も前に離れてしまった身内が今、こうして連絡を取り話が出来るって素敵よね。ワクワクする。」

 

この後、じいちゃんとばあちゃん(故人)しか知らないであろう事実も飛び出て来た。

よ、ここでお国に問い合わせしていたじいちゃんの軍歴証明書の返事が来た。該当資料がありませんとゲッソリ

いや、じいちゃんの軍隊時代の写真、私も見ていたし話は多方面から聞いていたし。様々な事情で全てが保管されている訳ではないとのことだけど、あちゃ~、また少数派に行っちゃったか滝汗