抗がん剤恐るべし。

服用開始してから副作用的な体調不良があったけれど、先月増量してから今までにない程の具合の悪さで先週は一週間、ベッドで寝たきり。ぼーっと窓から空を眺めて過ごして、職場で仕出し弁当を買って娘が帰宅して、それで晩御飯。去年の今頃って調子悪いと言いながらも、自転車で10キロ以上走っていたのが、今年は自転車を物置から出すことも出来ない。

今日明日、抗がん剤服用日で動きも緩慢になってきているような。

 

 

こんな中、落ち込んで何も出来ないのも悔しいし、取りあえず座れてPCを操作出来て言葉が出せる時間を毎日、少しづつ作って私はずっと考えていたことを実行し始めていた。

 

 

 

先日、北海道の田舎の某役場から郵便物が届いた。

母方の祖父、本州から北海道に来たのだが、何処から来たのか私は知らない。母を始め子ら(おじおば)も故人になる者、高齢で記憶もあやふやだったり、そして母のように認知症になったりで何も分からない。

 

ある日、「軍歴証明書」というものが存在していると知った。孫である私の代まで請求できるらしい。第二次世界大戦で戦地に行ったのは聴いていたが何処に?誰も知らないまま祖父は昭和43年に亡くなっている。寝たきりでいろんなことを考えていた。自分は何者なんだろう?祖父…ここからはじいさんって書くけど、じいさんは何処から来て、更に先祖と呼ばれる人はどんな?

取りあえずじいさんが亡くなり戸籍が止まった役場を探し、そこへ電話をして事情を説明してじいさんの戸籍を入手する手続きを開始した。

 

で、じいさんの改製原戸籍謄本と除籍謄本が届いた。

あ、これを請求するには、私がじいちゃん(求めた戸籍人)の直系卑属であることを証明する自らの戸籍含めいつくかの書類が必要。(私はどうしても役所の手続きがあり出向く必要があって、ついでに自分や母の戸籍を取って来たので、対応できた)

 

岩手県○○郡

 

母やおじおばから聞かされたことの無い地名だった。唯一あったのは「仙台伊達藩に仕えていたらしい」だけ。

宮城(仙台)と違うじゃねーかって、今まで母から聞いていた事が事実じゃなければ足を引っ張ることになりかねないと、頭の中の不確かな情報をリセットした。

 

 

ベッドの上で戸籍をじっと眺め続ける。

明治時代の手書きの戸籍で達筆過ぎて読み切れない部分も多々あるが、PCを使い検索しながらじいさんの戸籍があったであろう地名を特定できた。今は○○市となっていたが、戸籍に書かれていた住所は辿ることが出来てグーグルマップに入力すると何と!建物が存在していた。更に戸口に張り紙があり、その張り紙にはじいさんの姓と同じものが書かれていた。かなり古くて住んでいる人はいないのが分かったが、ふとあることに気が付いて地図を少しづつ広げて見る。残った古い木造住宅のすぐそばには古い建造物は何も無かった。そう、ここは東日本大震災で大きすぎる被害が出ていた土地だった。

 

 

私は今も意識してあの津波災害の動画を見続けている。自分の住む土地にいる限り津波災害はないが、それ以外の災害(数年前の地震と停電)は避けられない。だからあの時、命を掛けて撮影して記録として残してある動画を見て、何があっても慌てず、その時々で何を一番にしなければならないのかを考えるようにしていた。そうして見ていた動画の中の土地が今、私のPCで復興途上の地として見えている。自分が見ていた動画の中に、自分の縁者がいたかも知れないと思うと久々に不整脈が出た。

 

抗がん剤の副作用で頭の中は「気持ち悪い、吐きそう」「外は20℃軽く超えてるのにこの寒気は何なんだ!」と真冬の靴下やら服を着こんでストーブを点火して布団をかぶっても寒気は収まらず。一週間以上こんな状況だった。ブログで私の拙い記事に反応してくれて嬉しいアンサー記事をかいてくださった方もいたが、レスをするに至れない。身体機能だけでなく、気持ちまで奪われたらヤバイなムキー

気休めにもならない吐き気止めと痛み止めをジャスミン茶で流し込み、取りあえず動く口があれば何とかなるかなと、その住所に近い関係のありそうな電話番号(古い電話番号を調べてあった)に思い切って電話をしてみた。

 

 

自分が突然、知らない人から「多分血縁で遠縁だと思うんですが…」なんて電話が来たら「怪しいよな」って切ってしまう自信はある。シャットアウトする自信があるのに、電話してしまう自分のおめでたさよ。笑い泣き

4コール目で先方が出てくれた。

私は自分の名と住んでいる土地を名乗り、○○じいさんの長女の娘であり、じいさんの戸籍を取得してみたらそちらの住所が前戸籍地となっていて、じいさんの縁者の方がまだいらっしゃるなら是非ともお話を伺いたいとの旨を説明した。私自身、じいさんの名や戸籍に出ていた登場人物の名は出したものの、明治20年代生まれのじいちゃんの名前をこの電話に出た人が知っているかも謎だ。つーか、私が話している人って誰なんだろう?じいさんと名字は辛うじて同じだから、関係はありそうだが、これは私の楽観的な希望。

 

「あ、○○(爺さんの名前)さん、名前聞いたことがありますよ。」

 

相手はじいさんの名に僅かに防御壁を低くしたように思えた。

「数時間後、母が帰宅するので母に聞けばもっと詳しいことがわかるかと…」

気持ちが高揚する。ニヒヒ

「では2時にまたお電話させていただきます。」

平身低頭に言葉を駆使して、2時の電話でその事情を知るらしいお母様と話が出来るよう挨拶をして電話を切った。

「すげー!126年前に登録されていた戸籍に縁者がいて、話が出来ちゃったよ滝汗

 

 

数時間待つ間、体調を少しでも良くしようと頑張り、そして約束の時間を迎え私は再度、そのお宅へ電話をした。

 

先程、電話に出た方がお母様と言う方に取り次いでくださった。

「あの…私は…」

じいさんの戸籍を見ながら私は自分が何者であるかを、そして何故電話をしたのかを拙い言葉で説明した。自分の言葉で126年の空白が埋まるとは到底思えない。(じいさんは北海道に来てから、実家とは疎遠だったとは聞いていたから126年は大袈裟ではないはず)でも、相手の方は私の言葉を全て聞いてくださった。そして…

 

「○○さんのお名前、知ってますよ。少し前に法要があって身内が集まった際に「そう言えば○○って人が北海道に行って…って話題が出ていてね。その法要で名前が出なければ、私も娘も今と対応が違ったかも知れないわ。」

相手の女性は笑いながら言った。

 

 

文章の時系列、おかしい所があるかも。書き出してからここまで数日掛かっているので。ごめんなさいです。