微妙な薄曇りの空のもと、朝からトイレ掃除をして洗濯。

便座カバーやらトイレ関係の洗濯物をベランダに干そうと思ったけど、麻痺した右足ではサンダル履きは命取り。

ベランダにはミニ菜園もあるし滝汗

洗い立てで場違いなくらいにいい香りの便座カバーを抱え、ゆっくりベランダに出る。

靴下を履くのも困難になっていたが、本当にサンダルはヤバかった。もう裸足で歩いたわ。

麻痺した右足の感覚は次第に失せていて、左の足の裏ではベランダコンクリートのぬくもりを感じるが右は時に足が地に着いているのか?と気になり目で確かめる。右足親指から甲にかけては自分で触れても妙な感覚しかしない。

今、もしもばあさま(実母)が亡くなったとして葬儀をしたら、感覚のない右足で歩き損ねて祭壇の棺に華麗なダイビングが出来ると思う。

 

試される大地ではあと2か月もせず雪が舞い、ベランダも閉ざされる。

つーか、ベランダで布団も洗濯物も自分ひとりじゃ難しいと言うか、命懸けな行為になると気付いた。

家の中での洗濯物を干す動作も、今までは170㎝を超える身長を利用して、あちこちハンガーで引っ掛けていたが、高い場所へ何かをすること自体が発病5日目にして「無謀な行為」となった。

自宅でのリハビリも欠かさずしているが、床に座り気を抜くと右足は力なく内側に向いてしまう。これもシグナルのひとつらしい。

麻痺は膝から下と範囲が確実に広がっている。ふくらはぎも分厚いタイツを何枚も重ね履きした上から触っている感じ(感覚ではない)しかしない。後に「感じ」ていた頃もあったなんて言うこともあるのかも知れない。

なんて書くと大映ドラマの百恵ちゃんみたいな感じに思われるかもなぁ。落ち込みは本当にない。ばあさまの介護(今はデイサービス中)のことやら、冬を前にしなきゃならんこと、他の病気の通院どうしよう?とか考え百恵ちゃんまでたどり着けない。

 

 

麻痺数日前、ある資格を取ろうと受験の申し込みをしていた。ネットでの申し込み時、車椅子等サポートが必要かとの問いを当然のように飛ばし次の項目をチェックしたが、10月の受験時、歩けるんだろうか?って疑問が。いや、まずは勉強しなきゃ笑い泣き

昔、今回受験の延長上にあるにような資格を夫婦で取っていた。おかげで法規は昔の記憶を掘り起こしたらどうにかなりそうだが、もう一つ。

 

 

 

 

確かに今持っている資格の延長なんだが、買い物で消費税の計算が精いっぱいの自分には滝汗

「○○だからできない」って、始めないうちから敗北宣言は嫌だから、黙々とチラシの裏に書いて書いて書いて頭脳で解決ではなく身体に覚えさせる。落ちたら次、受ける。それでも落ちたらまた受ける。覚えの悪い者には、それなりのやり方があるからウインク

 

 

歩き方は次第に人目に付きやすくなり、視線を集めるようになってきた。病名自体、認知度があまりないから(医師でも知らない人がいると知って驚いた)近隣のオジサンに問われても、病名と共になぜそうなったか(分からんわ。私が知りたい)、今後の回復の見込み等を聞かれる。今までの経験で行けば今後、自分が深く信仰している特定宗教を勧めて来る人、馴染みのない企業名の薬を「これね、癌も治ったし、痔も緑内障も治ったのよ」って勧めて来る人との攻防戦が始まる。こっちは一国、相手は連合軍チーン

これらが一気に治るなら、医師は○○科等分業しなくてもいいと思うのだが、善意の人にはそれを言えば、病より恐ろしい返しが来る。迎撃システムは構築しておかなければニヒヒ