久々の先のブログに「移転します」と書いたまままた放置。

本当にろくでなしで申し訳ありませんでした。

実は4日に体調を崩し、救急車を呼んでいいレベルだそうですが、それも何だか申し訳ない気がして丸一日我慢。

翌日、娘に頭を下げ、ばあさま(同居の実母)をデイサービスに送り出してから病院へ。

自力歩行もしんどくて、それでも電話で一軒目の掛かりつけには「コロナ対策で…」と断られ(咳・味覚臭覚異常なし、発熱してなくても)、更に掛かり付け医に電話したら「診察OK」を貰い、片道タクシーで4000円近くかけて到着。が。

 

「しっかりと検査機器があり、入院設備のある病院じゃないと!」

と、言われ、自宅からバス二駅目の甲状腺腫瘍でお世話になっている病院に紹介状を持たされ、またタクシーでその病院へ。

医「入院しましょう」

私「無理無理。もうすぐ認知症の母も帰宅するので、出来れば30分以内に何とか…」

 

 

 

 

何とかなりませんでした。

デイサービス先に電話を入れ急遽、母の宿泊をお願いし、主治医となってしまった先生には45分以内に戻るからと自宅へ。

母の宿泊に必要な支度と認知症の邪悪を押さえる薬の用意を取りあえず多めに用意しながら、自分の入院の準備、入院の保証人になってくれる大切な友人に連絡し承諾を得て、施設の人が来たらこの詰め合わせバッグを渡して丁重に挨拶をしてと言い残し、自分の入院先へ。

この日、まるまる何も食べられなかったのですが、実は自宅に戻った今も食べてません。

4日から今日が14日…10日間、ポカリ、OS-1のドリンクでしのいでます。退院当日も重湯も受け付けなくて、点滴棒が無ければ歩行も無理だったけど、11日午後3時にはばあさまも帰宅だし、痛いとか医学的にダメってのを気力で押しやるしかない。介護老人抱えるとこんなの当たり前だし。

 

帰宅して洗濯したり家事しては、敷いた布団に横になりと。

認知症のばあさまは私の病気を説明しても理解出来るはずもなく。

喰えなくても家族分の飯の支度はある訳で。

原型の無い米粒一粒も間違えて入る事も無かった重湯も飲めないのに、他人の飯心配して作ってと。

腹が立つより、世間にはこんな人たちがたくさんいるのだろうなって思うと、泣けてきた。

 

 

 

今回の病名は虚血性腸炎。

以前「潰瘍性大腸炎」と診断されたり「虚血性大腸炎」と言う医者もいて、のたうち回る痛みでも痛み止め飲んで日常生活に復帰していたけど、今回は激痛に下血が止まらない。重湯飲んでも痛みで数時間おきに痛み止めの筋肉注射貰って、それでも全く効かない。

飲めない・食えない・下血する患者を医者が退院許可を出せるはずもないけど、最後は自己責任だわな。

もう、遺書持ってチャリで走ってる。

「こんな状態で何かあったとしても、医師は退院の朝まで私を説得してくれたし、週明けすぐに外来に来て必ず点滴受けるようにと約束したけど、それを守らずにいたのは自分だから」

と、しっかり書いて動いている。

チャリで走っていても下血。この歳で生理用品なんて買えば「この人、見え張って」なんて思われるから、出先でトイレットペーパーを尻に挟んで走る。サドルで肛門が痛いぞw

 

これで終わると本当に愚痴だけになるから、ネタ話をひとつ。(実話よ)

 

紹介状貰い、更には昨年見つかった甲状腺腫瘍でも通院していた今回の入院先。

実は30年以上前に母方の祖母が突然の腹部激痛で救急車搬送され、緊急手術をしたが3か月もせずに亡くなった病院でもあった。

個室で過ごしていたが、たまに鎮まる痛みの間、あれこれ部屋を見て考えたら、

「この部屋、ばあちゃんが今の私と同じ病気で運ばれ、亡くなった部屋じゃん!?」

と、気が付いた。

物覚えの悪い自分が、なぜかトイレやら洗面所等自然と足が動くと思ったが、見舞いにも洗濯やらあれこれしに通っていたから、乏しい脳の片隅に記憶が残っていたんだなって苦笑した。

 

(スクールウォーズの松村雄基演じる大木大介の言い方で)

「ばあちゃんよぉ、良くならないと手術だってよぉ。ばあちゃんが受けた同じ手術だぜ。ばあちゃんの時は腸が壊死していて、病名も知らず開腹されてたけど、案外聞かずに手術ってよかったのかもな」

って呟いた。

 

で、「アンタは何で病院にも行かず自宅にいて、ブログなんて呑気に更新してる訳?」って突っ込まれますね。

日曜の夕方、晩飯支度していたら後ろを通ったばあさまが転倒。骨には異常なかったけど、この時点で完全に自力でトイレに行けなくなった。飯の支度放り出して、タクシー飛ばして閉店間際のホームセンターに飛び込んで残りひとつのポータブルトイレを買い、自宅に戻りばあさまの下の世話が任務に加わった。

 

でね、翌日はどうしても退院強行した最大の理由の、ばあさまのコロナ予防接種2回目と、認知症の薬の処方を貰うために頑張ったけど、もう心も身体も動かないの。ばあさまの見えない所でケアマネさんに電話して、

「無理な宿泊を同意してくれて助かりました。でも、昨夜母が転倒して階段を使って病院往復、どうしても私一人では出来ません」

って、もう声を立てて泣きながら言った。

ケアマネさんには常に事情を伝えてあり

「大丈夫、僕が伺います。間に合うように伺いますから大丈夫。往復、階段のお手伝いもしますし、車椅子も用意しますから、娘さまは必要な書類を忘れずに用意して待っていてくださいね」

と、言ってくれた。

何とか病院へ到着して処方薬も手にして、2回目接種も無事に終えて。

「明日、デイサービス来てください。で、娘さまは病院へ行き診察受けて点滴しましょう。ねっ。で、木曜、金曜とデイサービス入れますから通院と自宅でお休みしましょう。」

と、メモにデイサービスの日と書いた紙を手渡してくれた。

もう自分も限界だし、申し出を素直に受けることにした。

気持ちがスッと楽になった。

 

で、その夜。

ばあさまはコロナの予防接種の副反応で38℃超えの発熱で意識がも朦朧。ポータブルトイレも使えず小便駄々漏れ。

1回目は全く問題なかったのだけれど、2回目って副反応出やすいのかな?

で、私は24時間、ばあさまの完全介護をしているのです。

今日はこれからケアマネさんがポータブルトイレを介護保険を使って、もっとしっかりした手すり付きの物を購入出来るように業者さんと自宅に来てくれます。医師から預かっていた、対ばあさま鎮める頓服薬を与えて寝てくれて、これを書いてます。

 

私はスマホでブログやらSNSは基本しないので、何の用意も無くスマホ持って入院してもパスワードもIDすら覚えていなくて、殆ど何も出来ずに過ごしました。

少しずつ、移転先の準備をしています。

これらのドタバタの続きも、移転先でお伝えすることになるかと思います。

意思表示された方はもちろんですが、日頃お世話になっていたブログの方も誘導させて頂きますので、どうかお待ちください。

 

たぶん、読んでくださる方々が思う程、私は落ち込んでも憔悴もしてないと思います。

その感覚が普通にあれば、私は退院後2時間以上を自宅に戻らず某駅のベンチにいましたが、何かしらのアクションを起こしていたと思うので。(列車は好きだから、そこに迷惑が掛かるマネはせずに、方法は違ったと思うけど)

 

部屋の中がばあさまの汚物臭でいっぱい。これを理解できるってことは、私はコロナじゃないのねw

 

さぁ、ばあさまのパジャマや下着、取り込まなきゃ。