絵を変えた。

マリアさまからこれに。

 

これは徳川四代将軍である『徳川家綱』が描いたもの。

失礼ながら、最初に見た時、シャクレルプラネットの新キャラかと思った。ニワトリとか軍鶏…なのか?

少しだけ記憶の奥にあった、三波伸介の凸凹大学校の江藤くんの絵を思い出してしまった。笑い泣き

でも、絵に関しては私も人の事は何も言えないわ。

 

 

昨日は家族でパイプオルガンと某学生の合唱を聴いてきた。

時間よりも早く到着して、氷点下の中、ウロウロしていたら天文台が開いていた。私と娘は二度目の、亭主は初めての訪問となった。

 

中の職員さんは相変わらずいい人で、温もり皆無の氷点下の寒い天文台の中で、星たちの話を嬉しそうに、楽しそうにしてくれた。

もしも人生に迷ったら私は札幌天文台のあの職員さんの元へ行けと誰彼構わず言いたい。人が誇りを持って仕事をするということを、彼は星の煌きを繋ぎながら来る者達に悟らせてくれる。

偉そうなことも、教訓めいたことも彼は何も言わない。

ただ、宇宙の広大さと美しさと神秘を、大空を舞う小鳥が囀る様に語り続ける。寒くても、手がかじかんでも彼は笑みを絶やさない。

それどころか言葉に熱が入ってくるのだ。

 

札幌が停電になったあの時の、信じられないような星がこぼれ落ちそうな空の写真を見せてくれた。

「あんな時に不謹慎と思われる方もいるんでしょうが……」

彼の淋しそうな顔が見たくなくて、私はその言葉を咄嗟に遮る。

「確かに大変だったけれど、こうして写真に残してくれた人がいたことを私は感謝したいです。大変だ、大変だと私も外に飛び出てマンションの人たちと外で話し合っていたけれど、私たちは自分の足元と今しか考えていなかったです。こうして、あんな時でも空を見上げてくれた人がいたことが嬉しいです。」

 

「不謹慎」「自粛」「大変な人のことを考えろ」いつの頃からか、そんな声で誰かを責めることを美徳とさえする人が登場している。

でも、私は震災で学んだ。心を寄り添わせることと自粛はイコールにはならないということを。不謹慎と言われようが、経済を回さないと、誰も、何をも救済できないということを。

医学、科学、物理学、建築学……もう、カテゴリ分けできないぐらい様々な分野があって、その中で私たちは生きているし、生かされている。「不謹慎」と言われようが、亡くなられた方の身体を刻み、病を知ることで今、私たちは医学の恩恵にあずかっている。

地震で被災した方の家やマンション、ビルを見て触れて叩いて昨日よりも耐震構造の優れた建物に私たちは守られている。

交通事故で亡くなられた方の状況を細かに分析して、丈夫な車を、事故を無くせる車を作る手がかりを得ている。

どれも「不謹慎」と言って責めていては、何百年経っても私たちは大変な生活を強いられていただろう。

彼との話は、私の心を無限大にしてくれた。

 

彼がもう見る事も無いであろうと願いを込めるように言いながら見せてくれた写真には、北斗七星と北極星が作り物のように輝いていた。

そのある部分(正確には北斗七星のひしゃくの柄の部分から二つ目のアルコルとミザール)に、星が微妙に重なって見えたので「これ、双子星ですね」と指をさした私。

すると彼は苦笑いしながら言った。

「あ、見えちゃいました、これ?これは北斗の拳では“死兆星”と呼ばれていた星なんですよっ」

もしも彼がケンシロウだったら、北斗の拳はもっとお気楽に進行していたと思った。クリスマス前夜、私は思い切り死兆星を見て指をさした。亭主は横で死兆星を見た私よりも先に死にそうなくらいに、笑いを堪えていた。(星見たぐらいで死にはしねーよ、ウチの嫁はって声が聴こえた気がした真顔

念のため、彼は誰にでもこのような言動はしてはいないし、私も大ウケして横隔膜が痛くなるほど笑ってしまった。ニヒヒ

 

で、興味を持ってこの『死兆星』の意味を調べてみた。

アラビアでは昔、「ミザール」と「アルコル」を使って兵士の視力検査をしていた。「アルコル」が見えれば兵士として徴兵され死亡する場合も多かったので、「死兆星」と呼ばれることもあったそうだ。

アラビア人、大変だったんだな。チーン

 

 

さて、南青山のセレブの方々の発言問題。

前もこのブログに書いたけれど、娘の学校も金持ちがたくさんいる。我が家はキングオブ小市民なんで、張り合うどころかただただ傍観者として見ているけれど、本当の金持ちはあんな下世話なことなど言わない。人を誹謗中傷もしないし、困っていたら本当に親身になって心配してくれる。

足の引っ張り合いやら仲間外しの類は、地元だった公立小学校が本当に酷かった。

青山の顔を隠しての似非セレブも、我が子の小学校自慢をしきりにしていたり「子どもたちの間では“一貫、いくらのお寿司を食べたの?”“〇〇のブランドの服、何枚持ってるの?”と言ってる中、児相の子が来たら可哀想」なんて言っていたのをテレビで見たが、あれは本物の住人なのか?と思う。

そこまで金に執着して拘るのなら、自分たちにはお前らと違うステータスがあるんだというなら、なんで私立に通わせないんだ??東京ならいくらでもそれを自慢できる私学があるだろうに。ニヤニヤ

 

 

先日、娘の学校でクリスマスコンサートがあった。

舞台横には5メーター程の高さの立派なクリスマスツリーが置かれていて、彩を添えていた。「買ったんだね。」小声で亭主に言うと「すごいなぁ」と返事が。私学って公立ではあり得ない所にお金を使うんだなって漠然と思っていた。

コンサートも終わり帰宅した娘から聞いたのだが、あの立派な5メーター程のクリスマスツリーは、在校生の某子ちゃんのお家が立派な戸建てから、タワーマンションに引っ越しをすることになり、学校に寄贈したとのことだった。

あんなでかいモノが、自宅の吹き抜けに飾ってあったなんて、金はあるところにはホントにあるんだなって実感した。

その金持ちさんの恩恵を私たちのような一般ピープルの生徒や親が享受させてもらってる。娘の学校の生徒達自体、金のあるなしで壁を作ったりもしてはいない。いや、金のあるなし自体、話題にすらならない。持参する弁当箱が、幼稚園の頃から使っていたものを高校生になっても使い続けている子がいたりもする。

セレブを自称するお上品な人種はもやしの値段で騒いだりするはずはないのだ。つーか、セレブは自分でもやしなんて買いに行かねぇよ。チーン

 

今日は亭主が朝から活躍、ケーキを作ってくれた。

 

私も恒例の消しゴムはんこが完成!

聖書に登場する『東方の博士たち』。

本当に今年で指も眼も限界かな。