娘の夏がやっと終わった。

 

クソ暑い中、頑張って書いた作文は大きな賞を二つ受賞して、表彰された。短歌も小学校3年から(5年時は市の代表で長崎へ行き、短歌は提出できなかった)高校三年まで連続で賞を貰い表彰式にずっと呼ばれ続けた。

内閣総理大臣賞、知事賞(2回)、市長賞、教育委員会教育長賞etc…12年間、表彰され続けた。

 

でも、4月からは無職だぜ。笑い泣き

 

通院先5か所。表彰歴でボーダーフリーの大学なら、推薦で入れるとも言われたけれど、今は心身がボロボロなので、じっくり養生生活となる。

大学に行かない選択をしたけれど、今になって勉強が面白いと好きなテレビも見ずに、勉強をしている。

専門医には昔「情緒面や知的面で3~4年遅れがあります」と言われたけれど、今の頑張りって普通は中学生が始めるものであり、専門医の言葉は嘘じゃなかったと、思い出して苦笑い。ニヤニヤ

 

どこでもいいから大学に押し込むのが、私の子育てのゴールじゃない。娘が人生を歩む上で大学が必要ならば、堂々と試験を受けて合格すればいい。その学力がないのなら、身の丈に合った進路を考えればいい。私が娘に授けなければならんのは、学歴ではなくて、ひとりになっても生きられる術。

 

北の大地で、人知れず前人未到の偉業を成し遂げた娘を、心の中で褒めまくっている。

 

春になったら肩書は無くなる。

同級生は皆、大学進学で、娘の他には学校創立以来、もう一人だけ家庭の事情で卒業後、進学できずに就職した生徒がいたと学校から聞いている。

来年は一緒に季節を感じ、人とのつながりは大切だけど、怖い人もいるのだとか、会得しなければならないことが山ほどある訳で。

 

あまり考えるとまた禿げるから(最近、亭主の発達障害の件で禿げてきたわ)面倒なことは今は考えない。

 

猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま

 

話題がガラリと変わるけれど……

 

私は『トイレの神様』という歌が大嫌いだ。

平たく言えば「トイレを掃除する人(女)は、べっぴんさん(美人)になるぅ~」て話。

美人の定義は様々なんだろうが、一般的な例えを出すとして、ミス・ユニバースの代表たちが率先してトイレ掃除をしていたなんて話、聞いたことがない。

要はトイレ掃除(誰もが嫌がる役割)を体よく他人に押し付ける口実に、ばあさんの話を混ぜたって歌詞で、世間が「感動しました」なんて言ってる言葉を聞いて、「テメーが汚した便器を各自が掃除すれば、こんな歌、成立しないじゃん」って、この歌に私は常に“ななめ45°”に突き刺さっていたと思う。(今もだけど)

特に男の小便蹴散らかし汚れ!ムキーなんて目の当たりにすると、この歌を一万人の合唱のフルオーケストラで聴かされても、感動なんてしねぇ。寧ろ「♪便器を汚して、そのままシカトして逃げるお前を、地獄の閻魔様は、眉間をヒクヒクさせながらぁ~、待っているのさぁ~。数えきれないほどの拷問道具を用意してぇ~♪」の歌詞で歌を作るべきだったと、私は強く思っている。

歌でご機嫌を取って、自分の汚した便器を他人に綺麗にしてもらおうなんて考えが、私は好かない。

自分の汚れを自分で解決していれば、この様な歌が賛美される必要などない訳で、この歌で明確にされた事実は「日本人はテメーの汚した便器もまともに掃除できない」ってことだ。

何より、この歌で思うのは「トイレよりも、ばあさんを大切にしてやれよチーンお前、冷たすぎだわ」。

 

 

さて、トイレの話題でもう一発。

 

小中高校生(大人もだな)の女って、誰かが「トイレに行く」と言うと、何故か「私も」「あ、私も」「私、用は足さないけど行く」と、白い巨塔の財前教授の総回診状態になる場合が多かった。

私はそれが嫌いで、ひとりで黙ってトイレに行っていたが、教室に戻ると友人に(友達ができたのは高校からだった)「ねーねー、トイレに行くなら言ってくれれば、一緒に行ったのにぃ」と言われる。「女ってウゼーなぁ」って心の底から思ってたもんだ。

娘も同じ思考に育ち、トイレに財前総回診で行くのは嫌で、人気のないフロアーのトイレにまで行くと言う。

これって私は単に、話好きの女の特性故の行動だと信じて疑うこともなかったが、衝撃の事実を知ってしまった。

 

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【文京区小2女児殺人事件】

1954年(昭和29年)4月19日、東京都文京区の元町小学校で、2年生の女児(当時7歳)が、授業の合間にトイレに行くと友人に言い残し教室から出て行った。授業が始まっても女児は教室に戻ってこなかったが、担任は近くにある自宅まで忘れ物でも取りに戻ったのだろうと思い、大して気にかけなかった。しかし友人に言い残してから2時間経過しても女児は戻らず、ようやく担任やクラスメイトが手分けして学校中を探し、正面玄関横にあるトイレ内で女児は遺体で発見された。女児は下着を口に詰められ暴行された上、絞殺されていた。

~中略~

当時、小学校は誰でも入れる開かれた施設であり、特にトイレは公衆便所の役割を果たしていた。Sがトイレで小便をすませると、同じトイレ内で戸を少し開けて用を足している女児を見て欲情して、いたずらしようと近づき、泣き出した彼女の口を塞ぎ、暴行して殺害した。

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この痛ましい事件以降、学校のトイレは部外者が簡単に使えなくもなったし、トイレへ行く際には必ず友達数人と行くことが、教師や親から強く勧められるようになったそうで。

いつしか事件は風化してしまったけれど、「トイレに行くときは、友達と連れ立って」の行動だけが今も残ったと知った。

昔の事件を辿るのが好きで、この事件も何度も読んではいたけれど、まさか女たちがトイレへ徒党を組んでいく発端になっていたとは……

娘が調べていたけれど、発展途上国では壊れ、鍵の使えないトイレが女性への性犯罪の温床となっている事実があると知り驚いたりもしたっけ。トイレに神様がいるのなら、掃除する女を褒め称えるよりも、こうして虐げられた女たちを助けてやって欲しいと言いたい。

 

汚れた便器を歌ひとつで機嫌よく掃除していることが、実は案外、幸せなことだったりするのかも知れない。