明日はやっとの雪予報。

11月下旬になっても初雪を見ないなんて、100年を優に超える記録らしい。

 

Amebaのトップページが使いにくく改変されてから、なんとなく足が遠のいていた。

どうでもいい芸能人やら、あの道・この道に通じている『トップブロガー』が一気に表示されて、自分が大切に思っている人たちのブログが追いやられてしまって、何だかヤな感じがして。

まぁ、Amebaも金に結びつくことをしなけりゃ運営できないだろうし、仕方ないんだろうなぁ。

 

まだ元気な頃(この直後に色々あった滝汗)、私の専用自転車『ヤックル号(もののけ姫のアシタカが乗ってるあの動物から名を借りた)』で、あちこち用を足しに出かけていたが、

ふと何年かぶりにここへ来た。

娘がまだ保育園に通っていた頃。

ここで私は車に撥ねられた。4tトラックが止められていて、その影から徐行せずに大きな道路へ出ようとした車に、私は車道に飛ばされた。

互いに「あのトラックさえなければ……」と警察に言ったものの、事故の騒ぎでそのトラックはいつの間にか消えていた。横断する前に50くらい数えてから渡れば、私は事故には合わなかったと思う。

で、私を撥ねた車には初老の夫婦が乗っていて、靭帯断裂して身動きできない私に必死に頭を下げながら「どーもずみまぜんっ!(こんな風に聞こえた)いつもはこんな運転はしてないんです。これから障害のある息子がいる施設に行くところだったんでずっ!!息子は自閉症で大変なんでずっ!!!」と、叫んでいた。

別に障害のある子どもがいようが、いなかろうが事故は起きる時には起きる訳で。

でも、なんでこの互いの不注意による事故で、自閉症の息子を引っ張り出して連呼すんだろう?何だか痛いのとは別に、すげー気分が悪くなってきた。

 

「息子さん、自閉症なんですか?」

痛みに顔を顰めながら、私は夫婦どちらともなく訊ねる。

「そうなんですっ!息子は障害があって、自閉症で!!」

「療育手帳の等級は?」

思いもよらぬ私からの問いかけに、夫婦は戸惑う。

「A,B,B-とあるでしょう?息子さんはどれ?」

息子を引き合いに出したにも関わらず、何故か等級の話にはこのふたり、乗っては来ない。

 

「私にも娘がいるんですよ。今、保育園で預かってもらってます。

この子、自閉症で療育手帳A判定受けてます。(当時)

あと数時間で私が迎えに来ると信じてるんですわ。

互いに不注意だった訳で、この事故に自閉症を連呼する必要ってないんじゃないですか?

これから警察も来るし、私は救急車で病院に運ばれるし、事故で互いに大変な思いをするはずだけど、そのたびに自閉症の息子さんを持ちだすのは怪我をした足よりも胸が痛くなります。」

夫婦は以降、黙った。

 

この後、夫婦は私の元へ来たが「保険屋さんと話し合うんで、もう来なくても連絡を貰わなくてもいいです。こちらから来なくてもいいと言った訳だし、反省の色がないなんて言うつもりはありませんから。そちらの保険屋さんと連絡を取り合って、ごく普通の保証をしていただくだけです。」と言って、それ以降、夫婦と会うことはなかった。

 

今でも考える。

もしも、ウチの娘が自閉症でなければ、私はこの夫婦の言葉に同情して夫婦の有利になるように計らったのだろうかと。

 

後に毒母が車に撥ねられて、加害者の対応の酷さに即、弁護士をお願いして対応を丸投げしたが、最後の最後、毒母の手に渡った弁護士費用を差し引いた金額の多さに驚いた。

あの時、私も弁護士を入れていればあの時の数倍は……w

 

 

先月、またまたまたまた骨折した。左足の小指、ドアにぶつけてだった。

この日、亭主の身内が亡くなり通夜へ行く直前。

ただの打撲と骨折の痛みの違いはもう、会得している。チーン

亭主に「これ、骨折してるわ」と言ってるうちに、指は紫色に腫れてくる。

 

が、結局、私は今現在、この足を放置したまま過ごしている。

いや、痛いのよ。歩くだけでも。ゲッソリ

通夜・葬儀は病弱なヨシエ(亭主の母・仮名)に成り代わってやることもあったし、足の小指ぐらいならどうにかなると頑張ってみた。

通夜・葬儀の読経のリズムで痛みがジンジン。もう、ロックよ、ロック!!

何とか自宅に戻って亭主が「病院行ってギプス……」って言うけど、実は私にはこの時期、年に一度の誕生日よりも大きなミッションがあった。それは……

 

銀杏拾いっ!!

 

去年、偶然拾って乾燥させ食べた銀杏の美味さに私、大歓喜!

以降、今年こそは後れを取らずたくさん拾って冬の間、ちまちま食べるんだと誓っていたのだ。

銀杏拾い人が足をギプス固定なんてしていたら、拾えるはずがない。

私は銀杏拾いのためだけに、骨折を放置する道を選んだ。

もう、日々、痛みとの戦い。家事も買い物も狂言師の和泉元彌のように「そろ~り、そろり」と歩く。今では和泉元彌のように優雅なステップで歩けるようにもなった。

 

何度か銀杏拾いのために大通公園にも出向いたが、天候不順だったこともあって、昨年とは実のなり方や落ち方が違っていて、収穫が少なかった。10個くらいしか……

その後、チワワ奥の近所に銀杏があると教えてもらい、私の足を心配したチワワ奥のお手伝いもあって、そこそこ(昨年比)銀杏をゲットした。

でも、私の銀杏欲はそれで満足はしなかった。

その後、自力でヤックル号にまたがり、あちこち徘徊しているうちに何か所かの銀杏スポットを見つけて、私が痛みをこらえて妙な恰好で銀杏拾いをしている様を不思議に思った見知らぬご老人に問われ「去年、脳卒中で倒れた父が銀杏が大好きで。何とか食べさせてあげたくて来たけれど、私も骨折していて思うように拾えなくて……もっと取れたら父も喜ぶだろうに。」と、40年以上も付き合っていた愛人を選び、食道動脈瘤で吐血して道端でひとり死んだ毒父のことなど忘れて、思い付きで言った言葉にご老人が反応してくれ、たまたまそばにいた通りすがりの人たちに「この奥さんのお父さんが……」と説明してくれ、その場にいた赤の他人6人を総動員して、スーパーの大きなレジ袋を10分でいっぱいにしてくれたことには、心から感謝している。(こんな大ごとになるとは思ってませんでした。自分の罪深さも認識してます、はい)

私は、あのご老人と6人の民を勝手に「銀杏の神」と崇めている。

銀杏を積んだ自転車を止めて、帰り道のコンビニのレジにある募金箱に1500円入れて来た。何だかこんなに調子よく銀杏を手にした自分が怖くなってのことだった。レジのおばちゃんに「ありがとうございます!」と、ちょっと大げさにお礼を言われた。

足はまだ痛いが、昨年よりも多い銀杏を見ながら、ほくほくの笑顔の冬を迎える“たま”であった。