娘の家庭学習帳が何冊か出て来た。

引っ越しで処分せざるを得なかったこともあって、手元にあるのは僅か数冊。

 

家庭学習帳の殆どが、私の手作り問題。(このノートは小3の頃だと思う)

ドリルを預けて「やれ!」という親もいるらしいが、それじゃ子どもは迷う。

毎日、娘の進度や様子を見ながら課題を作る。昨日できていても今日ダメだったら、十日後ダメだったら躊躇なく戻ってまた、そこをやる。

「何でできないの!?」

って親は怒鳴るな。できないから勉強するんだから。

(娘「お母さん、怒らなかったっけ?」 私「滝汗」)

 

 

 

漢字の練習帳は私が手書きで全て教科書の進度に合わせて書いた。

 

 

 

下手な字はごめんなさいだわ。滝汗

書き順、音読み・訓読みやよく目にする漢字の使われ方なども書く。

マーカーがこんな風に役立つなんて。試行錯誤してたけど、マーカーに行きついた時は嬉しかった。色も試したけれど、このオレンジが一番、しっくりとした。

何度か書き取りをして、間違えるものをピックアップして、そこを強化するためにまた練習。

 

 

買ったドリルは、理解できても出来なくても次に進んでしまうから、娘には合わなかった。

一緒にやるから、苦手箇所を把握できる。出来るまで、理解するまで留まることは決して恥じゃない。本当に恥ずべきはわからないまま、わかったふりをして進んでしまうこと。

で、娘は今漢検準二級。(夏に二級受験するらしい)高校生になるとテストや調べもので検定を受けるのが難しくなる。

 

 

そして、これは手作り教材「国語」の一部。

 

 

読売新聞の記事をまるまる課題にしてみた。(小4の頃だと思う)

まず記事を読んでもらう。

でも、難しい言葉や読めない漢字もたくさんある。

読めないものは私が教えた。

そして意味の分からない言葉は辞書で調べてもらう。

 

『議論』→いいのか、悪いのかをみんなで話し合っている

『分岐点』→どちらへ行くかの分かれ道

など、まずは記事の内容を大雑把にでも読み解く努力をしてみる。

で、意味が分かってきたら、今度はディスカッション開始。

ここでは明確に「正解」「間違い」を明示しない。

ただし、「新聞に載っているから、記事になったから、それは絶対に正しいと思ってはいけない」とは伝えている。

 

この頃だと思う。同じひとつの事件や出来事を、新聞各紙で読み比べさせてみたことがある。新聞社の主義主張により、同じ事柄を記事にしているにも関わらず、論調が180度違うことも面白そうに理解してくれた。

実は私が登校拒否していた時、読売・朝日・毎日と何時でも各紙読み放題な状況下にあった。退屈になると私は、新聞を貪るように読んでいた。色々な体験が今、子育てに生かされていると思う。有難い。

 

 

 

 

 

 

で、この記事を見ながら、私が作った問題を答えるようにする。

答えは全て文面にあるので、探せば必ず見つかることになっている。

 

でね、こんなこともしていた。

 

スーパーに食材を買いに行く。で、店内には『お客様の声』って掲示板のようなコーナーがある。私たちはそこをまず探して、そこに書かれたもの(主に苦情だな)を読む。

(〇〇売り場の店員の態度が悪かったとか)

このコーナーって実は大変な優れものだと思ってる。

客が様々なことで怒り、店を糾弾しようとする。

客は「これって店の不備でしょう?」と、その時の出来事をありとあらゆる記憶を手繰りながら書き記す。その怒りで熱くなった客の言い分を、冷静に冷静に怒りを鎮めて頂こうとしたためている現場責任者の回答。これって、生きた国語なわけ。

ぶっちゃけ、昔の顔も知らない作者が、何を思ってその作品を書いたのかなんてのはどうでもいい訳であり、目の前の怒っているお客様をいかに最短でその怒りを収めさせるかの方が、人間、生きていく上で大切に決まってるもん。

クレームを書く側も「芥川」がいれば「太宰」もいる。「夏目」もいれば「大江」もいる。これらの「怒りの文豪」相手に事態を丸く収めようとする回答は、座学では絶対に学ぶことは出来ない。私と娘は数えきれないほど、これらの掲示物を見続けた。

 

何年も通い続けているある日、娘が唐突に掲示物の前で言った。

「店に来るお客さんって、みんな嫌な思いをしてばかりなんだろうか?

 欲しいものが手に入って嬉しかったとか、店員さんに親切にされたとか“良かったこと”を書く人がどうしていないんだろう?」

おお、娘よ。それに気づいたか!!

そうなんだ。母も含めて、人間って文句があれば声高に叫ぶけど、有り難かったことって案外、当たり前って思って感謝の気持ちを表に出さない人が圧倒的に多いんだよ。

娘のこの言葉をきっかけに、私たち母娘は掲示板巡りの旅を終えた。

 

無学な母のお勉強ごっこは、まだまだ続く。