小1で受賞した作文の内容は、私が車に撥ねられた時のことだった。

亭主は南の果てへの出張で二週間不在。靭帯断裂と打撲で自分のトイレでさえままならないのに、発達障害でパニック発作を起こす娘を世話など出来るはずもない。

毒母は「孫の面倒みるなんてなんてまっぴら。迷惑だ。」と常々言われていて、帝王切開後アパートに戻ってからも私は頼らず亭主+娘+ネコ10匹の大所帯の家を切り盛りもしたが、今回は娘は成長していて、動けない自分があまりに無力過ぎた。

で、お世話になっていた保育園・児相を経由して私は苦肉の選択で、娘を亭主が戻るまで施設に預けることにした。娘はこの時のことを作文にした。

 

我が家の自閉症児は、時に常人の想像力を絶する程の記憶力を発揮する。

親なんて一昨日の晩御飯に何を食べたのかも忘れていると言うのに、娘は違った。

機嫌よく遊んでいたと思ったのに、突然泣き出しパニックになる。訊けば数か月前の同じ時間、同じこの場所で私が叱ったことをフラッシュバックしたという。

このフラッシュバック、娘にとっては今なのか一昨日なのかも判断が付かないらしい。

医師に相談すると、自閉症の人にはよくある事例だそうだ。

記憶力が良いと勉強とか捗るだろうし、いいことたくさんだななんて安直に考えていた私は、目の前で数か月前の記憶の悪夢と闘い疲弊する娘の姿を見ながら途方に暮れた。

調べるとどこの親御さんも、これには苦労しているとも記されていた。

 

う~ん………

 

「ねぇ、作文書いてみない?」

私は娘に唐突に言った。

記憶力が良すぎて困っているのも確かなんだが、だったらこの良すぎる記憶力を何とかいい方向へシフトできないかと、素人の母(私)は何の捻りもなく思ったのだ。

 

作文に仕上げるまでが大変だった。

だって、泣きながら親と離れて、見知らぬ施設で突然暮らすことになった訳で、それを意図的に思い出す娘は当然のようにパニックに陥る。

「落ち着け、母はここにいる。鉄太郎(ネコ)たちもみんないるよ。

 大好きなぬいぐるみも、好きなお菓子も、見える景色もいつもと同じだから。」

娘を抱きしめながら私は言い続けた。

正直、自分のしている素人考えの行動が、娘の障害が更に悪化する方向へ向けているのではとも思い悩んだ。でも、大人になってもこの手のパニック発作で苦しむのなら、これ以上最悪はないだろうと思い、娘の様子を見ながら作文は次第に形になり完成した。

素人が何の装備もなく富士登山したかの無謀だったかも知れない。

でも、作文が完成してそれが受賞した時点で、娘が過去を思い出しフラッシュバックし大きな発作を起こすことは劇的に減った。

思い出すと辛いことも、それはもう過去のことであり、今自分がいる時空間とは違うことを娘は母の荒療治で自覚できたのかも知れない。

自閉症児のフラッシュバック。それが『致命的な短所』なら、その常人には難しいフラッシュバックを『他の追随を許さない長所』にすればいいじゃんと。我ながらおめでたい母だと思う。

 

今も切ない体験を思い出す内容の作文はしんどいらしい。

でも、娘は歩みを止めない。生まれた時から一緒にいたボロボロのぬいぐるみを抱きながら、今も作文を書き続けている。これを武器に社会へ飛び出そうと娘はしている。

 

魚しっぽ魚からだ魚からだ魚からだ魚あたま

 

小学2年生になって100文字作文コンクールというものを、偶然に勧められた。対象は全国の小学生。

実はこの『100文字制限』と言うのが、難しかったりする。娘の心の中に拡がる世界を100文字に収めるなんて、娘にもできなければ母にも助言のしようもなかった。100文字で伝えられる自分の世界。娘と話をした。たくさん、たくさん話をして、娘の心の中に色濃く残る風景を、私も一緒に見た。そのたくさんの風景の中から娘はとっておきのものをピックアップした。

どうにか書き上げて主催者へ渡す手配を終えて。

季節が変わり、この100文字作文の存在を忘れた頃、主催者か『全国19万編の中から最優秀賞四名の中の一人に選ばれました』と連絡が来た。

市で一番から、全国19万のトップ!?

しばらく信じられなかった。

悩める障害児の母から一転、全国19万人の応募者の頂点に立った子の母になってしまった。

嬉しさなど微塵もない。実感がないまま、季節は変わる。

 

それから数週間後、私は眠れぬまま朝を迎えていた。

明け方3時に玄関先に出て座り込み、新聞が配達されるのをひたすら待っていた。

5時過ぎ、我が家にその新聞が届けられた。

「お疲れ様」

心ここにあらずの状態で、私は配達さんに声を掛けながらその場で新聞を広げた。

市井の人が新聞に名が出るというのは、犯罪を犯さなければならないという固定概念が覆された瞬間でもあった。そこに娘の名と顔が出ていた。

 

 

娘は亭主と毎日、公園で逆上がりの練習をし続けた風景を100文字で表した。

数多くの作品を生み出しているが、私はこの作品が今も一番大好きだ。

反面、娘の表現力に背筋に冷たいものが走ったのも事実だったりする。

こりゃ、大変な子を授かってしまったなぁと。

私如きが、この子の持つ得体の知れない芽を育めるのだろうかと、登校拒否児でろくに学校にも行けなかった母が頭を抱えた瞬間でもあった。

 

黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま

 

先日の記事に『教科書の模写』と記したけれど、今当時使ったものが少し残っていたので、ここで公開。

私が小学生の頃、光村図書の教科書をつかっていて、娘にも是非とも触れさせたい話があるのにと思っていて調べたら、この様な本が出ていると知ってすぐさま買った。

 

 

光村図書の国語の教科書に載っていた話が復刻した『光村ライブラリー』。

私が登校拒否していたおかげで(学校が嫌いではなかった。いじめで行けなくなった)自宅に籠って国語の教科書を眺めていたことが、この本を娘の勉強にチョイスするきっかけになってくれた。私が普通に学校へ通っていたなら、これを探し出してまで手にする発想はなかったと思う。自分の中では今も『小さい白いにわとり』の話が好きと言うか、所詮、他人はそんなものって鮮明に心に焼き付いている。