最近、やたら『故・人生幸朗師匠』のように怒ってしまうんだけど、今回もご勘弁を。

 

通院でバタバタしている中、ネット上で『あたし おかあさんだから』という歌にクレームが殺到し、騒ぎになっていると何となく知ってはいたが、今日やっと自宅でその詳細を読んだら何ともやり切れない気持ちになってしまった。

 

 

ひとりの女性が結婚して子を産んで育て…という流れを歌にしたものなのだが、その歌詞は母たる女性に一方的に子育てを押し付け、ワンオペ育児を美化推奨していると思われた方々が(主に女性だな)、騒ぎだし、現時点で作詞をした方や唄った歌のお兄さんまでもが謝罪しているという。

歌詞は大人の事情で載せられないので、各自で確認して欲しいんだけれど、もうここまで来ると道を歩いていて肩が触れた触れないで因縁をつける昔のやくざと、どこが違うんだって思ってしまった。

 

 

何をするにしても、新しい環境に馴染むまでには個性を殺さなければならない時が多々あるはずだ。

中学入学で問答無用で丸坊主にされる男子生徒とか、受験生の子供がいても介護が必要な親がいても、勤務先から「はい、転勤ね」って言われ、単身赴任とか挙げればきりがない。子どもが生まれりゃ、それなりに親としての責任も犠牲も伴うのは当たり前の事。羽生君がひたすらに特訓に明け暮れ、多くの犠牲を払いながらも素晴らしい演技をすれば「羽生君には才能があるから、出来て当然」と言い放ち、自分の子育てになれば「私はこんなに大変な思いをしているのにぃぃぃ」と。自分の言い分を認めて欲しいのならまずは、世の中の虐げられている人たちや光の当たらない人、あらゆる場所で気付かぬうちに自分の生活を支えてくれている人に感謝しろ。なぜ、自分だけは特別なんだ。

 

 

私の場合だが……

あたしおかあさんって言うよりも、自分で覚悟して妊娠がわかっても生む決心した。

最初は責任感しかなかった。

その後、既往症のデパート状態だと知った産科医師に4か月で「僕は怖くてあなたを診たくはないから、僕の日には(外来に)来ないで欲しい」とまで言われ、慌てて別の医師を探し回った。

自然分娩は無理で臨月で即、帝王切開で生まれた娘を連れて実家になど戻りはせず、ネコ10匹の待つアパートに戻った。あぁ、この日から亭主不在時はワンオペ育児だ。当時は東京出張ばかりで、不在の方が多かった。

36歳の高齢出産でしんどかったけど、毒母の元へ行くくらいならワンオペ育児+ネコと亭主の世話の方が天国だった。専門医から「あなたの母親は今は前頭側頭型認知症だけど、生まれ持っていた邪悪な性格も相当だったはず」ってお墨付き貰うような親に産後、世話になるくらいならワンオペ育児が幸せだと嬉々として狭いアパートで子育てしてた私の気持ちなんて、歌に噛みつく者達にわかるはずもないよな。

 

 

幼子抱えている母親が爪を伸ばしている様は、美しさよりもその人の頭の中を私は疑う。子どもがその爪で怪我をしてしまうことまで、想定できないのか?って。

昔、娘を遊ばせていた公園に現実にいたんだけど、ヒールのある美しい靴をはいて、公園には合わない綺麗に着飾った「ママ」と呼ばれる女性がいた。子どもにもブランド服を着せているのだが「あー、だめっ!お洋服がよごれるでしょう!」「汚い手でママに触らないで!」と、キーキー叫んでいた。社会の仕組みを理解して、他者に迷惑を掛けなくなるまで、子どもはまさに「ケモノ」だと私は思ってる。言ってもわからないケモノにはいつでも注意してなきゃならないし、誰かに迷惑かけてもダメだし、そのケモノの大切な命を守るためにも、それに応じた服装だってある。

 

小学校は徒歩数分で朝は7時半まで薬の副作用で起きられないことも多々あったけど、私立中学を選択して6年弁当持ちが決定して、トロい私は以来5時起床で弁当作ってる。「おかあさんだからだけじゃない。家族として娘の選んだ道を、応援したいから」だ。40歳になってから娘と会話を出来るようにと、初代プリキュアからの名前も覚えた。(いや、努力したけど完全には無理だったわ)プリキュアファンのまま、今度はジャニーズファンになって、関ジャニ∞やNEWS、V6など覚えることが増えて、高校時代のテスト期間よりしんどいと思ったけど、共通の話題が増えることは楽しかった。

 

 

おかあさんはカレーの辛いのが苦手で、今では娘の方が中辛を選んでいる。でも、家族は私に合わせてカレーはいつもハウスバーモンドカレーの甘口でも文句を言わず食ってくれる。

 

わたし、おかあさんになっていなければ、きっと不倫40年継続して好き勝手していた実父を殺していたかも知れない。

わたし、おかあさんになっていなければ、きっと怒号と暴言で私を抑圧していた実母を殺していたかも知れない。

「〇〇のおかあさん、人殺したんだね」なんて指さされるようなことだけは、したくなかったから我慢できた。

 

ワンオペ育児が辛いと言うなら、ウチの毒母をいつでもレンタルして差し上げる。

 

 

黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま

 

たばこの本数、減らしたわ

娘の喜ぶモノ、買ってやりたいから

ぼく、おとうさんだから

 

ぼく、おとうさんだから

家族の生活守るため

深夜2時に帰宅して

早朝5時に仕事に行くんだ

眠いし 身体がしんどいけど

給料出たら 美味しいもの食べようね

 

ぼく、おとうさんだけど

ごめんね

ジャニーズのグループの顔と名前は

V6と嵐しかどうしても一致できないよ

 

弁当は作れないけど

パンを焼いたり ローストビーフだけは

おかあさんには 絶対に負けない自信があるよ

ぼく、おとうさんだから

 

地方に出張 寂しくなって

思わず家に電話したら おかあさんは

「後ろに髪の長い白い着物を着た女が立ってるよ」

「バスルームで物音がしなかった?」

「頭洗っていると 誰かが立ってるんだよね」

って、さんざん脅かすんだ

それでも 電話しちゃう

ぼく、おとうさんだから

ぼく、おとうさんだから……

 

黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま

 

我が家の亭主バージョン。勝手に作った。曲には合わないだろうけど。チーン

見えないけれど、世の中のおとうさんも頑張ってる。

泥だらけになったり、寒さの中で足踏みしたり、営業先で頭を下げまくったり怒鳴られたり、飲みたくないけど酒に付き合わされたり。どんなに大変でも家族や親兄弟、友人を思い浮かべながら頑張ってくれている。

おかあさんだからではなくて、おとうさんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、おじさんもおばさんも、学校の通学路で交通安全のために立ってくれている人も、警察官も消防士も自衛隊員も、みんなみんな頑張ってくれて、この世の中は今日も成り立っている。歌ひとつで目くじら立てる前に、誰かに一言「ありがとう」って言える余裕を持って欲しい。

SNSで文句書き込む暇はあっても、誰かに感謝する暇がないってのは、悲しいことなのだと気付いて欲しい。

 

 

中学時、娘が書いた作文の文言の中に、こんな一文があった。

『世の中は子供を持たない人も、納税の義務を果たしてくれている。そのお金で学校の備品を揃えてもらったり、様々な面で子供である私たちは恩恵を受けている。教科書の後ろに書かれている“この教科書は,これから日本を担う皆さんへの期待を込め,国民の税金によって無償で支給されています。”の文言を、私の両親は就学時、一番最初に教えてくれた。多くの人たちに支えられ学べることを、私は感謝したい。』

 

我が家は、教科書の後ろにあるこの言葉を、必ず娘に読ませていた。

教科書一冊にも、どれだけの人たちが関わってくれているのか、忘れちゃいけない。

人間、孤独になんてなりようがないんだ、必ず誰かと繋がっているんだと気付けるようにと。

 

牛しっぽ牛からだ牛からだ牛あたま

 

最後に……

「母親になると、私個人の名前ではなくて、〇〇ちゃんのママって言われるのが苦痛なの。私って個人が、子どもと引き換えに消えてしまったような気がして」

そんな会話がリアルでもネットでもよく見聞されてる。

しかし、反面。

ネットなどのネームで多くの人が『〇〇のママ』って名乗っているのは、釈然としないんだよな。

問題は呼び方ではなくて、あなたが何者なのかだろう。

悪口の延長での嫌がらせの様なあだ名なら、怒ればいい。

でも、「〇〇のママ」で悩む心理は、ガサツな私には生きている限り理解はできないと思うし、したくもない。

人間、追い込まれていたら、そんな程度の事で悩んだりはしないから。

 

 

「頑張れ!って言われると、追い込まれているようで苦痛なのよね」

これも、よく聞く。

あのね、人間、落ち目になると誰もそばになんて寄って来ないから。

うざくても誰かが、何かを言ってくれるうちが花。

本当の孤独を知らないから言える言葉だと私は思う。

で、本当に誰もいなくなった時、初めて悟るんだ。

「何か言ってくれる人が、誰もいないや…」って。

 

魚しっぽ魚からだ魚からだ魚あたま

ウチの亭主はネコを可愛がりはするが、嘔吐物や糞尿の世話は出来ない。

吐きそうになると言う。

だから亭主、この動画には「ふーん」しか言えない。

何かを行うってことは、それによって失うこともあるけれど、得ることもある。

ネコ大好きの私は、この動画で泣けることが誇りに思える。