今日から娘は新学期。

でも、昨日から酷い頭痛でほぼ寝込んでいた。

今朝も痛みが抜けずにかなり辛そうだった。

ご飯を一口食べて、鎮痛剤を味噌汁で胃に流し込み、荷物を抱えて学校へと行った。

 

 

一昨日、私は整形で右膝の内外両側の半月板が駄目になっていると言われた。

手術もありだけれど、今は娘の進級もあるし痛み止めの膝注射で誤魔化して過ごしている。

不思議なもので、初めてメスを入れた腎臓の時は痛くて仕方なかったけれど、その後、どんどん痛みに耐性が付いて

卵巣・椎間板ヘルニア・足の関節etc…と、手術や怪我をしているうちに、

「車に跳ねられて靭帯断裂の時よりはマシだわ。まだ、我慢できるわ」

と、なってくる。

結局、年末の骨折も自分でギプスを撤去したけど、先日のレントゲン上では治っていた。(でも痛みは続いている)

膝も痛くて今では、杖をついてのすり足歩行。

でも、悲壮感はない。面倒なことを考えて、起きてもいない嫌なことを先回りしてまで考え悩むこともないかなと。

 

1月になって娘の作文が31,600作品の中から入賞した知らせが来た。

クソ暑い中、クラスメートたちが海外で楽しく過ごしているlineを横目に、娘はひたすら作文を書き、短歌を作った。

三つの作文と短歌、合わせて四作品は全て何らかの賞を受賞し、今年度の幕をおろした。

あと来年、賞に入れば遂に6・3・3の12年、全学年受賞となる。

 

読書感想文の提出後、来年度の感想文候補の本を何冊かピックアップし始めていたが、今日、娘が帰宅してある本を

見せてこの中から選ぶこととなるかと思う。

ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』と、遠藤周作の『海と毒薬』の二冊が最終候補で、ここから選ぶと私も娘も

考えていたが、偶然今日見つけた本に、心が揺さぶられた。

最終決定権は娘にあるけれど、多分、この第三の本に決めると思う。

読書感想文を楽しみにしているのは、我が家くらいかもなぁ。ウインク

 

魚しっぽ魚からだ魚あたま 魚しっぽ魚からだ魚あたま 魚しっぽ魚からだ魚あたま

 

あと、誰か教えて欲しいのだけれど……
昨日朝、日テレのZIPという番組で、『手作りの箸袋』の話題の放送をしていた。
自宅でも折り紙などで、簡単に箸袋を作ることができて、ほら、こんなに素敵でしょう?的な。
家事をしながら横目でチラ見していたけれど、思わず二度見、三度見をした。
たまたま録画をしていたので、その部分を。

え?

え??

いや、私の知識と教養が乏しいが故の無知なのかも知れないんだけれど……

箸袋って口に入れる部分が、汚れたりしない様にとの気遣いから生まれたものだと前に聞いた記憶がある。
もてなしのために箸袋を作ったにも関わらず、何故か箸先が外に出ている。ポーン
使い捨て箸の中には、どちら側も使える仕様の箸もあるけれど、この箸はどう見ても両方が使える箸ではない。
この箸の全長と一番太い部位の割合を見ても、それは明らかだ。
で、ネットで箸袋についての記述を探したけれど、あまりに当たり前すぎてなのか、箸袋に入れるのが箸先なのか、太い方なのかの明確な記述が見つからない。
いや、「いただきます」と(一般的に)右利きの人が、箸袋から出ている右側を手にして引っ張り出す訳で、これでは汚れない様にと箸袋まで用意した気遣いが、最後は素手で箸先を掴むと言う暴挙になるのではと思う。
上記を鵜呑みにするのなら、箸先を右手で掴んで引き出して、それからその箸をクルリと方向転換させて食べると言う、何だか面倒な展開になるのではと。滝汗
箸の後ろをご丁寧に箸袋に入れて保護して、箸先を素手で掴んでと言う流儀や流派があるのなら、是非とも無知な私に教えてください。
少なくとも私は箸先を素手で掴みたくなどないし、衛生面であれこれ言われても反論できる理屈が浮かびません。
以上、一つの袋で悩んでる“たま”でした。宇宙人くん