今日は半年に一度のサルコイドーシスの肺の腫瘍チェック日。
亭主の出勤と一緒に三人で家を出た。
腫瘍は大きくもならずハッキリクッキリと肺に写っていた。
肺に影があるのに、一番つらい症状が目なんだもんなぁ。
半年後の検査予約を入れて病院を出た。
実は昨日も娘の具合が改善されず、今までの病院を蹴って、この病院に転院して来ていた。
で、明日は娘の検査でまたここに来る。
娘を産んだのもここだし、亭主が謎の症状で死にかけて、説明を求めているにも関わらず逃げ回る主治医から点滴を引き抜き、無理やりここへ転院。結果、そのままでは死に至るとわかり手術して助かったのも、全てこの病院だった。
で、昨日。
病院の帰りに娘と歩いていたら、某神社前で私の足が止まった。
足元には大量の銀杏が落ちていたのだ!!!
11月中旬にたまたま通りかかった大通公園で銀杏を見つけた。
正直、銀杏って好きではなかった。茶碗蒸しに入っていたら、仕方ないから食べるぐらい。
大通公園でこの銀杏を見つけてしばし考えた。
「あんまり好きじゃないけど、結構、拾ってる人もいるんだよなぁ。
どうやって食べるまでに至るのかもわからないけど、まずは拾ってみようか」
私は銀杏を拾い始めた。
たまたまカバンに入っていたコンビニのレジ袋に、臭い実のまま拾っては入れた。
臭い銀杏を後部座席に積んで、私は10キロ程自転車を漕いで自宅に到着。
で、ネットで銀杏の処理方法と食べ方を調べた。
ベランダで臭い実を取って水洗いして、乾燥させてストーブの上に載せて焼いて口に入れた。
この世にはまだまだ私の知らない、こんなにも美味い物があったんだ!
私は興奮した。で、最初は亭主が提供してくれたペンチで割って食べていたが、途中でそれがまどろっこしくなって、ついには自らの歯でバリバリと殻をかみ砕き(殻は吐き出した)銀杏を貪った。
ただし、一度に大量摂取は身体に悪いと言うので、一日20粒を限度にして食べた。
けれども、この銀杏はあくまで試しで取ったものであり、一日20粒を繰り返すうちに銀杏は(殆どが私の腹の中に)消えた。
その頃には大通公園も雪に閉ざされ、もう銀杏を取ることができなくなっていて、私は頭を抱える程に後悔をした。
何故、もっと銀杏と真剣に向かい合って、もっと大量に取らなかったのかと……
もう、お金を工面して西に南にと飛行機で移動して銀杏を探す旅に出ようかとも思った。
でも、銀杏はあまりにも臭過ぎた。飛行機の手荷物になんてしたら、一発でテロ認定されるだろうと思うと、私は諦めるしかなかった。
その銀杏と私は昨日、娘の病院の帰りにまた出会った。
街中で誰もが臭い銀杏など見向きもしない。
道路に落ちた銀杏など、歩行者に踏みつぶされてさえいた。
一度は雪に閉ざされた、この北の大地だったが、異常なほどに温かくなったり雨が降ったりして雪は解け、この神社の銀杏が露わになった。そこを私が通りがかったと……
一人でスーパーの袋(前回よりも大きいのが嬉しかった)に、どんどん収穫した。
昨日は吹雪で風も酷く、強風の度に頭上の銀杏の木は揺れて私の頭に、熟れたその身をガンガン落として来た。
臭かったけど、食欲の方が勝り、私は銀杏を全身に浴びながらも拾い続けた。
その後、亭主が車で迎えに来たが、素手で銀杏を拾った姿に絶句した。
私のことをどうこうではなく、この臭いものを車に乗せなければならないことに頭を抱えていたらしい。
帰宅してすぐに銀杏の処理をした。
前回は素手で掴むことはなかったが、今回は右手は銀杏の汁まみれ。
これって素手で触るのはご法度らしい。(かなり手荒れがするとか)
確かに現時点で、右手だけ指紋が薄くなって、ハングマン状態。
で、これが今回の収穫。数えたら550粒あった。
待ちきれなくて早速、焼いてみた。
で、亭主の部屋からペンチを借りてきて割って食った。泣けるほど美味かった。
今日、病院を終えてから娘とカラオケに行った。
そこで私は岡田くんに思いを込めながら、さだまさしの『防人の歌』や『遠くへ行きたい』を熱唱した。
初めて聴く♪海は死にますかぁ~、山は死にますかぁ~♪の歌詞に娘は固まっていた。
これで岡田くんへの邪な気持ちを葬った。