これは相続じゃなくてヨシエ(姑・仮名)の年金の話。

相続とは関係ないけれど、ほぼ、同時並行で実はこんな事もあったと。

 

ヨシエ(姑・仮名)から電話が来た。

私の体調の悪さを知っていて、呼びつける形になることを躊躇っている感がひしひしと伝わって来るのがわかる。

「大丈夫。明日、必ず行くから」

と、返事をして、あれこれ必要なモノを用意した。

で、翌日。私は一人で列車に揺られながら海を見ていた。

方向音痴で乗り物も間違えて乗ってしまう母を、自閉症の娘は前夜から心配してくれて、乗るべき列車の時間をいくつか書いて(乗り遅れたら次、次と)、ホームの番号やら様々な書き込みをしたメモを託してくれた。大人の私は、その愛らしさに思わず笑った……

 

なんて、ことはなかった。

間違えたらヤベー滝汗と、メモは駅のホームに着く前に手の汗でボロボロになっていた。で、結局、〇番乗車口で乗ると、札幌駅から指定席だったこの車両が自由席になるので、いい席に座れるし、札幌で降りる客も多いから早めに行けば確実に座れるとまで言われたのに、そこに立てなかったという……チーン

まぁ、それでも何とか目的地には着けた。笑い泣き

 

駅に併設されたコンビニでヨシエと食べるおやつを大量に買い込み、袋をぶらぶらさせながら到着。で、二悶着ほどあった後、ヨシエの家に到着。すぐさま今回すべき相続問題の書類等に目を通して『終わった問題』『継続して行う問題』『新たに対応が必要となる問題』を仕分け、取りあえず今日のミッションを終えた。私は朝昼兼用になった菓子パンを頬張る。で、ふと気が付くとテーブルの上にはやけに分厚い茶封筒が。

 

ヨシエの家でこのパターンって大抵、ひと騒動は必ず勃発する。必ずある。嫌な予感を抱えつつ、その茶封筒のことを、それと無くヨシエに尋ねた。

「あぁ、それ、年金関係の書類なのよ。

 書くのは簡単なんだけど、今年から記載方法が変わったとかで、年寄に細かな文字でゴチャゴチャとわからなくて、取りあえず放置してたわウインク

だから、ヨシエ、その『取りあえず放置』はよせって言うんだよっ!!チーン

許可を貰って中を見た。確かに書き方の見本は同封されてはいるけれど、これを年寄りに読ませ熟知させた上で、正確に記入して出せってのは酷な話だと思えた。私も貰えば、取りあえず誰かにお伺いを立てて確かめたいレベルだ。だが、私が注目したのは、そこではなかった。東京からの年金事務所から届いた正式な書類であるその中の、ヨシエの生年月日が明らかに違うのだ。

「そうなのよ。違うでしょう?失礼しちゃうわウインク

おいおい、ヨシエ。そこに可愛らしさは求めない。この書類に戸籍記載と違うことが表記されていることが、大問題なんだぞ。ポーンポーンポーン

 

 

偶然だったけれど、私は彼のブログを読んでいて、今回亡くなったヨシエの姉妹の件でも未だ、大変な思いをしている最中、年金関係の揉め事が無くて良かったとつくづく思っていた矢先だった。


 

縁起でもないと言われるかも知れないが、ヨシエか義父のどちらかに万が一があれば当然、年金関係の手続きも必須であり、戸籍や住民票を添付した際に、それと年金機構に登録された生年月日が違うまま何年も放置していたなんてことになれば、揉め事は予想できる。滝汗

更に書類を読み進めると、何故かヨシエが障害者扱いになって控除対象者にもなっている。確かにヨシエは私と同じ、難病指定(特定疾患)の証書を受けているが、これは障害者には絶対にならないはずだ。

「お母さんって障害者だった?」

私の問いにヨシエは一言「顔」と答えた。

大阪のオカンでも、この事態に笑いを取ろうなんて思わないだろうが。ムキー

「これから何か用事ある?」

首を振るヨシエに私は

「これから年金事務所へ行く。これ、訂正は郵送では受け付けないって書いてあるし、このまま放置したら後が面倒だから。お母さんは印鑑に身分証明になるものと、あとマイナンバーが記載された郵便物と、この年金事務所の封筒を持って」

と、言うと支度を始めた。ヨシエは

「ご飯でも食べようよ」

と、言うが(糖尿のヨシエはちゃんと食べていたが、私に気遣って言った)、それどころじゃない。

「やること済んだら、何でも好きなだけ食べるから、ほれ、支度、支度!」

と、急かせた。カバンにヨシエは私が言った書類を詰め込んでいた。

で、家を出て数歩歩いた時だった。

「何だか寒いわ。上着、持って来るから、アンタ先に行ってタクシーつかまえて」

と、言うとヨシエは心臓をバクバクさせながら家へ戻った。

青空をカモメが舞うのを、ぼ~っと見ていた。5分は経っていただろう。ヨシエが戻りそこからタクシーで年金事務所まで行く。

 

「年金事務所で用が済んだら、このまま駅から電車で札幌に戻るわ」

と、ヨシエに伝えた。ヨシエはお礼に食料を買って私に持たせようとしていたが、人のいいヨシエが思うままに買えば、優雅な観光客がおしゃれな紙袋を手にしている中、私だけ戦後の買い出し列車状態になるのは明らかだ。これで良かったんだと思った。

 

年金事務所へ到着して、予約なしである程度は待たされたが、札幌で毒母の年金の事で動いた時は、明らかにあちらのミスであっても待たされ、何度も何度も足を運ばされたことを思えば、窓口での訂正なんて屁みたいなものだ。やがて、手にしていた番号を呼ばれ、ふたりで狭い区切られた窓口へ入った。

「母の年金の書類のことで伺いました」

と言う私の言葉の後に

「娘と言っても私が生んだ訳じゃないの。こんな大きいの、私の家系にはいないし」

と、いきなりヨシエのボケが炸裂した。窓口のおばちゃんが愛想笑いしてくれた。申し訳ないと思った。

 

で、私はヨシエの生年月日が違うことをまずは伝えた。おばちゃんはすぐに端末機を操作したが、確かに間違ったデータが入力されているという。先日の騒ぎで戸籍も取ってあったし、取りあえずヨシエの身分証明なるものを所狭しと並べた。原因は分からないが、何かの手違いで間違えて入力されたのだろうと言われた。でも、古いヨシエの年金手帳には正確な生年月日が記載されていたから、やはりこの点に関してはヨシエの間違いではないと断言できる。真顔

 

そして、ヨシエがなぜか障害者扱いになっている件。

これも原因は不明だが、データ上ではやはり障害者扱いになっていた。ヨシエの場合、義父含めて完全な年金生活者なので大して揉めることもなく、これも訂正。

 

「では、マイナンバーカードをお願いします」

と促され、私はヨシエを見る。ヨシエはカバンに手を突っ込んで探すがない。滝汗

「さっきカバンに入れたよね?私、見たよ」

と言いながらも、ヨシエだけ一時、帰宅したことを思い出した。

さっきまで気分よく飲んでいた伊藤園の濃いお茶が、また嫌な汗になって一気に出て来た。

「上着を取りに行った時にテーブルに出して来たわ」

と、ヨシエは堂々と答えた。

「…何で、肝心なそれを出すんだ」

と、心の中でだけ、その言葉を言った。

年金事務所で訂正は出来たが、提出書類はあくまで東京宛であり、自宅でゆっくりマイナンバーを見ながら書き入れて、期日までに投函してねと言われ、私たちは年金事務所を後にした。そこから駅まですぐだが、この書類にここまで関わった以上、これでサヨナラとも言えず、私はヨシエ宅に戻った。なんだかんだで、娘の帰宅時間も近いので、マイナンバーカードの数字やその他を記載して押印し、私はヨシエと最寄り駅まで歩いた。そこのコンビニでコピーを取り、同封して封をして切手を買って貼り、ヨシエと共に駅前のポストに投函した。

 

作業終了!!(たぶん)

 

次の列車まで20分ほど時間があって、ヨシエと駅のベンチに座ってあれこれ話をした。ヨシエは笑ってはいたものの、やはり自分の物忘れをかなり気にしていた。糖尿と心臓で出会った頃から20キロ以上も痩せて小さくなった身体をさらに小さくして何度も私に迷惑をかけたと謝る。

「あのね……私が初めてお母さんの家に行った時。

息子よりも年上で身体もでかくて、色々家庭的にも問題があったのも知りながら、結婚に反対しなかったでしょう?

今も娘には、お母さんがあの時、反対していたらアンタは生まれていなかったんだって教えているんだわ。私が初めて温かい家庭を持てたのは、お母さんのお陰だから、これぐらいのことで恐縮されても困るし、もっと大きな顔して、私を呼びつけてこき使ってくれてもいいんだからさ」

と言うと、ヨシエは笑いを取らずに、黙って頷いた。で、また

「済まないね」

と言った。

ヨシエの五分の一の、この優しさと謙虚さが毒母にあればと思った。

でも、毒母がこんなだから、私にヨシエが舞い降りたのかも知れないと思うと、世の中、そんなに悪くないもんだと思えた。

それから私たちは、ドカベンの柔道篇って軽んじる人もいるし、アニメではパスされたけど、やっぱ必要だよねって話をした。

 

帰りの車窓からの海は、行きより穏やかに見えた気がした。