葬儀から三日程して、私は列車に揺られていた。

今後のことをヨシエ(亭主の母・仮名)と相談するためにだ。
車窓から見える冷夏の海には、人もまばら。
子供が嬉しそうに列車に向かって手を振っているのを見て、私は手を振り返した。
「今は無邪気なお前も、あと20年もしたら金で大変な思いをするかも知れないから、身の丈に合った生き方をしろよな」
と、振り返したその手に、複雑な思いを乗せていたことに誰も気付くはずもない。

昼近く、蒸し暑い中をヨシエが駅まで出迎えてくれた。

予定の列車が到着しても現れない、方向音痴の嫁を気遣って心臓病で顔色の悪い額に汗を浮かべていた。

「ごめん。駅の売店にハンドスピナー見つけて選んでいたら遅れた」

と、言いながら私は今買ったばかりのハンドスピナーを出してヨシエに見せた。

 

 

新しモノの好きなヨシエの目が光る。

「これね、ただ人差し指と親指で真ん中を押さえながらくるくる回すだけなんだわ」

遊びに来た訳でもないのに、こんなモノを買うために10分も店にいた私を怒るでもなく、ヨシエは

「後で貸しなさいよ」

と言うと、家に向かって歩き始めた。

結婚の挨拶にと初めて会ったヨシエは50キロ台のふくよかな体形だったが、今は病気と心労で30キロ台になっている。後ろ姿の小ささに少し愕然とした。

「ちょっとアンタ。私の横で一緒に歩きなさいよ。

私はゴルゴと同じで後ろに立たれるのが嫌なんだから」

と、ヨシエが笑う。ゴルゴってよりはマタギだよな……

デブと心臓病のふたりが息を切らせながら、坂を上り下りと歩き続ける。

 

 

ヨシエの自宅へ着いてすぐさま、作戦会議を開始。

私が弁護士に一任した方がいいと言うとヨシエは顔を曇らせる。

「大袈裟じゃない…?」

「あのね、2億2千万円のトラブルで弁護士を使わずにいつ、弁護士を使うの?トイレのトラブルだって8000円でしょ?」

ヨシエはあっさりと弁護士への依頼を快諾した。

私はこの土地と札幌の弁護士数人をピックアップしていて、ヨシエと相談しながら人選を開始する。故人もヨシエもこの土地だし、この土地に家裁もあるからとこの土地の弁護士と決めて、更に人選を進める。

電話をしたらお盆休みにも関わらず、転送されたこちらの電話に出てくれた。簡潔に事情を話し相談の予約を取る。

「よっしゃ!」

城壁に囲まれた『どうしょう地獄』に、僅かな崩壊の兆しが感じられる。

さて、弁護士に依頼するなら資料を揃えないと。

でも、相続放棄だけだし、そう面倒もないと思っていたところへ思わぬ伏兵が現れた。ヨシエが差し出した書類の束を見て私は固まった。

 

それは、亡くなったB美名義の不動産の数々の登記簿だった。二束三文の値もつかない山を所有していると聞いた気がしてヨシエに尋ねたら、その登記簿を出してきたが、そこには二束三文の山林が確かにあったが、他にも某所の街中に宅地などもかなり所有していた。近くに保育園があるが、グーグルマップで調べたらグラウンドを所有している保育園の敷地の何倍も大きな宅地じちゃねぇかよっ!

 

死人に口なしと言うが、正直もうどれだけ故人に資産があったのかもわからなくなってきた。土地評価額を何とか調べたが2億2千万円よりは低いものだった。

さて、この事実をちゃんと調べておかないと、後で身内から相続放棄をさせられたけど実は不動産など資産があったじゃねぇか!と突っ込まれそうだ。

 

取りあえず今日はこれから、戸籍など弁護士に渡す書類を揃えておこうと言うことになって、ヨシエと共に市役所へ出向いた。

窓口でヨシエが「自分の本籍地がわからない」と言ったり些細なトラブルはあったが、どうにか故人のものも書類は取得できた。

身内が亡くなり「さあ、戸籍を取ろう」って時に「本籍地がわからない」ってのが意外と多いそうだ。最低限、親や自分たちの本籍地だけは知っておいて損はない。つーか、知らないと大変だ。時間があれば一度は取って確認しておくべきだと強く思った。

 

数日後、弁護士と受任契約を結ぶことになるんで、その時にまた来るからとヨシエに伝えた。ヨシエは何度も申し訳ないと頭を下げた。

 

「むかしむかし。自分の息子が大きくて年上の嫁候補を連れて来た時、お母さんは何も言わず結婚を許してくれたでしょ?

それからずっと我が子同様に扱ってくれたし、ご飯の時は炊飯ジャーを私に預けて食べ放題にしてくれたし。行けば私の好きな鳥の半身揚げやマグロの刺身を用意してくれた。あなたの息子と喧嘩して、自分の親があんなんで泣きつけないからお母さんの所へ来て泣いたらお母さんはすぐに息子を呼びつけてシメてくれた。あの時、私は何があってもお母さんを護るって決めたんだ。お母さんが私と向かい合うとき『義理の文字』がないのと同じで、私も『義理』の言葉は捨ててる」

 

私がヨシエを見ずにそう言うと、ヨシエは髪を整える振りをして涙を拭いていた。

人間なんていい状態だけで向かい合って「いい関係」なんて無理なのかも知れない。洗いざらい、恥部まで曝け出してぶつかって、残った素の部分が触れ合った時、分かり合えるのかと、乏しい頭で思った。正直、ヨシエとは全てが円満だった訳ではない。それはヨシエから見ても同じだったと思う。

 

ヨシエの娘婿ケンジ(仮名)は、元暴走していた輩だった。

ヨシエの娘アキコ(仮名)と出会い、綺麗に足を洗い以来、土木現場で働き続け三人の子を育て上げ社会に送り出した。

強面で初対面では近寄りがたい風貌だが、ヨシエはケンジが娘と結婚すると同時に『義理の息子』の壁を取り払っていた。

「ちょっと、ケンジ!いい加減にしなさいっ!!」

150センチのヨシエが180センチあるケンジを怒鳴り叱る。下から睨みつけガンを飛ばすヨシエにケンジは震える。

「小さくても差し違えるくらいの気迫で怒ってるんだよ。その辺のヤンキーの数倍怖いって」

ケンジが笑う。ケンジもまた、嫁と喧嘩したらヨシエの元へ駈け込む。双方の話を聞き、娘が悪ければヨシエは娘を張り倒す。ケンジは思わずヨシエを止めたこともあるそうだ。ケンジ自身もまた。張り倒されたことがあるという。ケンジも親との縁が薄かった。

 

数年前、ヨシエの身内が亡くなり通夜の席で酔ったケンジが私の元へ来た。

「お母さんに何かあったら俺、お母さんの世話するからよぉ」

「あ゛っ?何言ってんだよ。私は散々、お母さんに世話になってるから、アンタには渡さないよ、お母さんの世話の権利は」

「何言ってんの。俺の方がたくさん、たくさん世話になってるんだから」

「うるせー、お母さんは渡さないって」

言い合いをしている所にヨシエが現れ言った。

「何でここに私が生んだ息子と娘がいないんだ?」

言葉と裏腹にヨシエは少しだけ嬉しそうだった。

 

今回は実働部隊としてケンジとアキコにも動いてもらうことになっている。

「おねえちゃんさぁ」

今回亡くなったB美の通夜の席で、ケンジがそう何度も私に言って来た。

「おねえちゃん」って言葉が嬉しくて、何度も心の中でその言葉を繰り返した。

みんな大好き。だから頑張れる。

 

帰りの列車から見た海に人影はもうなかった。

次は三日後。弁護士と会うとき。

 

帰宅してヨシエに「大丈夫。私が何でもするから」と電話。

三日後、行くまで何度も電話をして安心させた。

ヨシエにもまた、認知症の気配が出始めていることを私は感じていた。