通院日を除いて、ほぼ毎日、リビングのテーブルで娘と向かい合っている。

娘は夏休みの宿題に追われ、私は娘の宿題のサポート。

娘が仕上げた文章の誤字脱字探し(自分も多いから、こんな作業は向かないと思うけど滝汗)、次の課題の資料整理や読書感想文で必要になるであろう聖書引用部分の事前チェックなど。読書感想文にレポート等々、娘はかれこれ原稿用紙30枚分は軽く書いていると思う。小学校6年の夏休みの自由課題で娘に日本国憲法前文を書き写させた。その時は冷房もない部屋で汗だくになりながら頑張ったが、それがベースになって多少の大変さもその時を思い出しては克服しているみたいだ。

 

そんなある夜……

月の綺麗な夜だった。家族が寝静まった深夜3時、文献から目を離して私は周囲を気にしながら大きく背伸びをした。大きな窓の向こうには月が輝いていた。

聖書の解釈に不安があって、幾通りかの答えを用意しているうち寝そびれてしまっていた。毒母の鼾が聴こえている間は好きなことを出来ると思うと眠気も醒めた。

 

PCを操作していたら、あるフォルダーに触れてしまった。

「あっ……」

嫌悪感が一気に全身に回るのを感じる。

 

そのフォルダーは以前、しつこくストーカー行為をしていた者の送信してきたメールが入っていたのだ。思い入れも何もない。あの騒動の時、弁護士に相談した時に、こちらに送られているメールの数々は『証拠』となるので、嫌でも絶対に削除せずに保存しておいてくれと言われたものだった。

「1年後2年後3年後、何事が無くても絶対に削除はしないでください。

相手は普通じゃないのですから。」

当時のドタバタを思い出し、吐き気がした。

吐き気がしながらも、私はその中を見た。

記憶をたどるまでもない。

死ぬことを連呼しながら、これが最後です、最期ですと繰り返しながら何十通も溜まり続けるメール。

そうだよ、こいつのおかげで私たちは毒母と暮らすことになってしまったんだよ。

全てが狂いだしたんだ……

優しい月の光の下で、自分の心が次第に修羅になるのがわかる。

 

弁護士が言っていたことが大袈裟ではなかったことを、数年経ってから私は知ることとなった。

 

あの騒動以降、PCを何度も変えた。変えながらも、この思い出したくもない嫌なストーカーフォルダーもまた、新しいPCに移動させている。この行為を止めるのは、どちらかが死んだ時しかないんだろうなと思うと、胃液がこみあげてきた。

 

怪我や病気で苦しむ人は多くいる。

それを安易に「罰が当たった」などと言い放つ輩が自分の周囲にいることを、私の心も身体も許さないのだ。私に言ったように、世の病や怪我で苦しむ人の前で「あなた、罰があたったのねぇ」と言えるのか?

 

娘の宿題はまだ終わらない。

胃液の酸っぱさに顔を顰めながら私はあと幾度、深夜の月を見上げるのだろうか。