一週間ほど前のこと。

 

娘のクラスメートの訃報が飛び込んで来た。

体調を崩しているとは聞いていたが、まさか17歳の若さで亡くなるなど思いもよらずだったので、電話を受けた自分もかなりのショックを受けた。

 

札幌は本格的な夏の暑さが始まり、少し動くだけで汗が流れる。

亭主は仕事で地方出張で、市外で行われる通夜・葬儀はJRやタクシーを利用しての参列となった。亡くなられたA子ちゃんのお母さんは、泣きじゃくる娘を見つけ、遺影の前で娘を抱きしめて何度も頭を撫でてくれた。

娘はA子ちゃんが自分を助けてくれたこと、励ましてくれたことを言葉を詰まらせながらも伝えていた。

 

葬儀は『音楽葬』。

故人が好きだった、思い出深い曲を専属のピアニストさんがずっと演奏し続けてくれた。会場の雰囲気を察しながらのグランドピアノの音色は、心に染み入った。

故人が生まれ育った生い立ちのムービーが披露される。生まれてから、両親が慈しみ育てた事実が刺さるように痛かった。中学入学後以降(中高一貫校)、A子ちゃんのスマホからの画像やムービーを使ったものが流れる。

学校での行事で笑顔が弾けていた。けれども、その画像はA子ちゃんの発病あたりから枚数が減り、ついには画像は途切れた。

 

通夜の席で急遽、参列した生徒たちからの申し出で、中学の卒業式で唄った歌をその場で…と言うことになった。

 

友~旅立ちの時~

 

練習なしで一発勝負で霊前に捧げ唄う娘たち。泣きじゃくり満足に歌など歌えるはずもなかった彼女たちは、卒業式同様に、その歌を立派に歌い上げた。

プロのピアニストは譜面を前に、堂々と素晴らしく演奏した。

唄い終えて娘たちは棺の前に集まり、たわいもない話を始めた。A子ちゃんを囲み、普通に世間話をして笑いさえしていた。不謹慎さなんて欠片もない。少し離れた場所で見ていた娘の親たち誰もが、そこにA子ちゃんがいて、それを囲んでみんなが会話しているように見えていた。殆どの生徒は今夜がA子ちゃんと過ごせる最後のひとときと知っていて、その場を離れることができなかったのだ。

 

帰ることを躊躇う娘たちを前に、A子ちゃんのお父さんが声を大きくして皆に言った。

 

 

「やるべきことを『明日、やろう』と先延ばししないでください。

明日が確実にあるか、誰にもわからないのだから。

娘自身も、こんなに早く亡くなるなんて、考えていなかったんです。

だから『明日やろう』と、明日に繋がる夢をたくさん持っていました。

でも、明日はありませんでした。夢の全ては半ばで途切れてしまいました。

悔いのないように生きてください。

明日なんて言わず、今日を精一杯生きてください。

明日が確実にあるかなんて誰にも分らないのですから……

もしも、君たちが夢を見つけて努力しても親御さんがそれを認めてくれなかった時、どうか私たち夫婦を訪ねて来てください。私たちがあなた方のご両親を説得します。生きて元気に夢を見つけて歩む素晴らしさを伝えます……」

 

 

あれから幾日かが経った。

娘は小さなクマのぬいぐるみを彼女に見立て、彼女のスマホで途切れていた思い出の続きを紡ぐのだと、一緒に登校を始めた。修学旅行も球技大会も学校祭も全て一緒に参加するそうだ。

 

本格的に始まった夏の暑さに、冷たい水を何度も口に含み喉を潤す。

空は相変わらずどこまでも高く青い。

花は暑さに立ち向かうかのように、背筋を伸ばして凛としている。

巣立ち直前の鳥の雛が、母鳥を叫ぶように呼ぶ。母鳥は雛から目を離さず忙しなく羽ばたく。今夜のおかずが決まらずイライラしてしまう。自宅前の賃貸マンション入り口には、武丸が乗っていたようなバイクが、原作(『疾風伝説 特攻の拓』かぜでんせつ ぶっこみのたく)のように、本当に他人の迷惑など蚤のヘソ程も考えずに止まっている。(日章旗柄ではなかったが)

みんな生きている。確かに生きている。

 

人一人の命は確かに重いのだろうが、誰かが亡くなっても、何事も無かったかのように朝が来て夜が来る。人間、楽しいことの中に身を置いて暮らす訳にもいかず。かと言って悲しみの中に沈んでいる訳にもいかない。

誰彼問わず『明日』は確実に減っているのだと、ふと思った。

 

17歳の娘はこれで三人目の友達を見送ったことになる。