自転車で転んで強打した右半身に痛みを抱えたまま、気付けば連休は今日でお終い。亭主の仕事の件もあって、外出できたのは一日だけだったけれど、その一日が新たな趣味との出会いになったかも知れない。
アンモナイト、掘ってたんですわ、私。
正確に言うと、プロと呼ばれる方が川などで発掘してきた石の塊に見え隠れするアンモナイトを、金槌など細かな道具を使って根気よくトントントントントントン……と叩いて石からだす作業。あまり叩きすぎると、一気に砕けそうで怖いし、でも相手は石であり、力を入れないと砕けないしで。叩いているうちにだんだん力加減が分かってきて、気付けば30分ぐらいで大小合わせて5個のアンモナイトの取り出しに成功してた。
娘の作文の取材のために訪れた地で、思わぬ体験だったけれど、自宅に戻ってからも亭主に
「ねーねー、アンモナイト発掘したぁいよぉぉぉぉ」
と、騒ぎ続けている。
現実にはクマや有害な虫などがわんさかいて、足場も悪いしロープを使って沢まで降りることも必要で。でも、規模の小さなものなら、小学生が行けるような川でも見つけることが可能。
帰りに炭鉱の廃墟を見てきた。
いや、実は私の毒父が昔、ここで働いてたんだけどね。
普段は危険なので立ち入り禁止区域だけど、偶然訪ねたこの日はNPO団体の人がいて、名前などを書いて提出して特別に許可された。他にも見学者がたくさんいて、楽しんでた。
ここの画像をupしている方の中には、勝手に入って撮影している人も多くいるけれど、これは違法ではないのでと、一応明記しておきます。
場所は北海道三笠市奔別(ぽんべつ)炭鉱跡
確かに危ない箇所がたくさんあった。来年はもう、公開はないかもと思えるほどに。
毒父はここで働き、炭鉱長屋で私は生まれた。でも、落盤事故で大けがをした毒父は炭鉱夫として働くことが出来なくなり、その後、私たち家族は神奈川へ移住することとなった。田舎生まれの大正生まれだった毒父だったが、学歴だけは当時としてはかなりあり(大きな農家の長男だったそうだ)、炭鉱にしがみつくこともなく、あっさりとこの地を後にしたと何度も聞かされていた。しっかりと学んでいなければ、怪我をして炭鉱夫として働けなくなった父は酒でも飲んで暴れていたかも知れない。
けれども毒父は、働くことが(女と同等に)大好きだったので、自分が学んだことをフルに生かして「この仕事が出来ないのなら、次行こう!」とポジティブ思考で乗り切った。無駄な学歴はいらないと思うけれど、学びは必要だと思った。
で、この旅のみやげ。
日焼けではなく火傷状態。
もう少し外にいたら、水泡が出来ていた。ステロイド軟こうのお陰で何とか乗り越えられた。