『海蛍』は特別な趣向を持った方に向けられた不定期連載小説です。

お付き合いの「いいね」は必要ありません。

次回、普通のブログupの時に、またお付き合いください。

 

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その日の深夜、薫、誠、伊達、成瀬の四人が大学病院の一室に集まり、話し合いを重ねていた。
「どうして私のような若造が、こんな大それたオペの執刀医にならなければいけないのですか!?成瀬教授はこの大学病院の名誉教授でもあられる。
伊達先生も国の内外に認められるほどの腕を持っておられるし、橋本先生だって……」
勢いあまって薫の名を出した誠であったが、その先が続かず語尾が途切れた。
「私はもう高齢で今は名誉教授の役職を与えられてはいるが、現実には後進の育成が主な役割だ。内密にはしていたが、今回のオペを最後に私は医学から身を引くことを決めているんだ」
成瀬の言葉に薫と誠は驚き、成瀬を見た。
何の動揺もしない伊達の様子から、伊達は成瀬の決心を知らされていたらしい。
「ならば尚更、成瀬教授と伊達先生、そして橋本先生の三人で……」
「私の理念や技術を伊達君や橋本君に惜しみなく伝授したと思っているよ。
引退を決めた今、これが私をここまでにしてくれた医学界に対しての最後のご奉公と考えている。本当であれば私からの技術を更に高め、橋本君が後輩である君に伝えることが道理なんだろうが、それが今は難しい。
いいかい、私や伊達君はあくまで患者のために治療を行う。
そして、橋本君が君に伝えきれていなかったものを今回、私たちが代行して君に伝える。
これは君のためだけに行われることではないことを、どうか肝に銘じて欲しい。
君が得た技術は、更に高めて今度は君自身が後進に伝えなければならない責務を背負うんだ。重い重い責務だ」
成瀬の言葉に、自信を失いかけている薫への思いが詰まっていることを誠は感じた。
自分がこのオペを成功させれば、落胆している薫に医師としての新たな道を示すきっかけになるやも知れない。
「私に求められていることは、私のキャパシティを遥かに超えるものだと思われます。
しかし……橋本先生は今日まで私に患者を置き去りにして逃げることをただの一度として教えたことはありませんでした。
私は若輩者です、まだまだ技術もありません。しかし、頑張ります。
精一杯、やり抜きます。みなさんが培った技術と思いを私が受け継ぎ、いつの日か新たな後輩にしっかりと伝えることを誓います。
どうか……どうかご指導、よろしくお願い致しますっ!」
誠は思いを一気に言葉にし、皆に深く一礼した。
その横で薫もすぐに立ち上がり、共に深く一礼をする。


「そうと決まれば検査結果を踏まえた上で、早急に今後の方針を決めよう。
執刀責任者は大橋先生。指導助言は橋本先生が。不測の事態に備えて伊達先生と私が控えということで」
成瀬の言葉に三人は頷く。
「で、手術は足の保存の方向で……?」
誠の問いに成瀬は、投影板にレントゲン写真を重ね示す。
「残念ながらハワード夫人を生かすことを最大の目標にするのならば、膝上からの切断を早急に行わなければならないだろう。
幸運なことに現時点では他に転移も認められない。足の切断だけで終わりそうだ」
『切断』の言葉に薫の表情が曇る。


「大橋君……」
不意に成瀬から名を呼ばれた。
「はい」
「我々医者は患者の延命のために、悪性腫瘍と共に足を切断して病巣を取り除き使命を終えたと患者に笑顔で『成功しました、良かったです』と言うのが正しいのだろうか?」
突然の大き過ぎる成瀬の問いかけに、誠は口を堅く閉ざしたままになる。
「我々外科医の大きな役割は、確かに病巣の切除。切除して終わりだ。
しかし、足を奪われた患者の心はどうなんだろうか。
足を奪われ、延命は出来ても心が死んでしまっては、私たちの治療は成功したと言えるのだろうか……
足を亡くし帰国するハワード夫人が、足を切除してでも生きていて良かったと言える人生の再スタートに私たちは是非とも立ち合おうじゃないか。
そして、これからのことは、繋がった命の中で考えていこうと。
決して彼女はひとりで苦難を乗り越える訳ではないことをわかって貰おう」


成瀬の言葉が身に染みる。
指を失った時、成瀬も伊達も慰めなど何一つ言わなかった。
だから、全てが終わったと思ってもいた。
しかし、今の言葉でむしろ自分が心を閉ざしていたから、成瀬や伊達の思いがわからなかったのだと薫はやっと気づいた。


三日後、異例ともいえる速さでクロエのオペが大学病院で行われた。
薫の指導の下、誠はクロエの足にメスを入れる。
辛すぎる光景ではあったが、薫は目を逸らすことなくその状況をしっかりと見届けた。
美しいクロエの足は、破傷風と闘い勝ったその身体から分離された。
唯一の救いは他に転移がなかったこと。
クロエは足と引き換えに、長らえることの出来る命を手に入れた。
「伊達君に橋本君、そして大橋君と私は素晴らしい教え子に恵まれた事を誇りに思う。
何の悔いもなく、私はここを去れる。ありがとう」
成瀬の言葉に皆は万感を込めて深く一礼をした。
翌日、成瀬は多くの人の行きかう喧噪の中、患者に紛れ誰もが気付かぬうちに大学病院を
後にした。大袈裟に見送られることを嫌った成瀬の人柄らしい最後だった。
ひとつの時代が静かに幕を閉じた。




薫はクロエに連日、付き添った。
朝夕、そして泊りでクロエの介護をし続けた。
失ったはずの足の痛みに苦しむクロエに、薫は寄り添い続けた。
「去った足が、クロエの身体にさようならを言ってるんだよ。
私も暫く、無いはずの指が痛くて眠ることも出来なかった。
あの痛みは今思えば、さようならって叫びだったのかも知れない」
薫の言葉に高熱に浮かされながらもクロエは頷く。
その一部始終を、同伴を許された誠が見ている。
自分だったらクロエのあの言葉に何と答えただろうか……
誠はいくら自問自答しても答えを見い出すことが出来なかった。



手術後四日目、クロエはベッド上で起き上がれる程になった。
「本当に無くなったのね、私の足」
その言葉にどうしていいのかわからず俯く薫と誠に、クロエは更に言った。
「でも、同情なんてしないでね。私には手も眼も口だってあるのだから。
車椅子に乗ればどこにでも行けるし。
私はアメリカに戻ったら夫の仕事を手伝いながら、医師にも復帰するの。
この経験を生かして、私だけにしかなれない医師になる」
クロエは何処までも前向きだった。
その夜、クロエは薫に願い事を申し出た。
「ドクター、私をアメリカに送ってくださらない?
夫は忙しくてここに来ることは出来ないし、かと言って私はまだ一人で車椅子を
上手に操作も出来ないし」
「実は橋本先生、少し前にアメリカへ行こうとしていたんですよ」
誠の言葉にクロエは驚く。
「でも先生、空港まで行って自分がパスポートを持っていないことに気付いて断念して戻ってきたんです」
笑いを堪えながらの誠の言葉に、クロエは愉快そうに笑いだす。
「ドクターはいつでも真剣で直向きなの。でも、直向き過ぎて、何も見えなくなる時があったわ」
「こんな直向きな先生ひとりでアメリカへ送り出すには私は抵抗がありましたが、クロエさんが同伴してくださるのなら、安心です。どうか、橋本先生をよろしくお願い致します」
誠はクロエに頭を下げた。
「ちょっと、私の意見を訊かずに何を一方的に決めているんですか……」
戸惑う薫にクロエは姿勢を正し薫を見つめる。
「では、改めてお願いをします。私をアメリカへ送ってください、ドクターハシモト」
「先生!」


返事を乞う者、乞われる者の間にしばしの沈黙が流れる。
その沈黙があまりに切ない。
誠もクロエも薫のことを一番心配していることが、痛いほどにわかる。
「明日にでもパスポートの申請をします。私があなたをアメリカへ送り届けます」
薫の返事に誠とクロエは破顔した。


2017,1,24

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今日の北海道各地の「最高気温」だそうな。

最低気温は……考えたくねぇな。あんぐりうさぎ

 

色々と……特に本家サイトにどんな経緯で私の作品を読んでくれるようになったのかとか、作品の感想を頂いてます。最近は「いいよ」的な意思表示もしてくれる方がたくさんいてくれて、とても励みになっています。

嬉しいね、頑張ろうって気持ちが湧き上がってくるんだもん。

外は極寒だけど、心の中はぽかぽかです。しつこいストーカーの件がなければ、こちらを利用せずに読み手さんと交流を持ちたいけれど、しばらくはこちらを使っての意思表示、ご了承ください。とびだすピスケ1

 

これを書いていて思うんだけれど。

人間、本当に大変でしんどい時って、実は気が付かず必死なんだよね。

自分がしんどいことすら気が付かずにいて、後で振り返る余裕が出来た時に

「あの時は大変だったな」

ってなるのかもって思ったりしてます。

 

 

今日はupが深夜になったのは、実は亭主が小銭入れを落としてしまい、何故か私が布やら金具を買ってオール手作りすることになってしまって、夕方近くから裁断から始まってせっせと頑張ってました。ちょっと不格好だけど、亭主は喜んでいました。(と、信じたいショックなうさぎ


あ、寝ないと弁当作れないな。
ではおやすみなさい。
更新のストック、ついに消化したので、頑張って続きを書きます。気合いピスケ