ブログで『#ハロウィン2016』ってハッシュタグをつけると、何かがおきるって表示が随分と出ていたんでちょいと便乗してみた。どうなるんだ、これ??

 

 

随分と前のことだけど……

娘の小学校関係の催しにお巡りさんがやって来た。交通安全のことで熱心になって講演をしてくれた。若くて男前のお巡りさんだった。つつがなく講演も終え帰り支度をしているお巡りさんに私は質問をした。

「あの……死体を車に乗せる場合、やっぱシートベルトをしなければ減点対象になるんですか?」

荷物をまとめていたお巡りさんの手がぴたっと止まり、間髪入れずその顔を上げた。私と目を合わせ質問の意図を探ろうとしているらしいことは、すぐにわかった。

「それは、どのような状況で……?」

今考えると、彼は回答如何で自分も犯罪の片棒を担がされると思ったようだ。しばしの間の後、私はこの場にそぐわない質問をしてしまったことに気付き後悔した。自分の胸にはどこの小学校から来た誰それと名札があり、彼は私の顔と名札を興味深そうに何度も交互に見つめる。でも、海千山千のおばさんはすぐさま機転を利かせて、針の筵から逃れる術を実行した。

「いえ、娘が大好きなおばあちゃんが老いて死んでしまった時、いつも乗りなれていた自宅の車で火葬場に連れていけないのかなって質問されて、私は法律のことなどわからないし娘に何といえばいいのか困ってしまって……」

と、善良な市民のふりをした。小学校という場も幸いしてか、彼は硬い表情を一気に崩して「そうでしたか」と言ったものの、言葉はそこで途絶えた。

「ご遺体を搬送する霊柩車じゃ納得はしてくれないんですか?」

「どうしても家の車に拘っていて……感情的にはダメであっても、法律的にはどうなんだと言われると親も適当なことを言えないし」

善良な市民印の小旗を小刻みに振りながら、私はジリジリと彼ににじり寄る。しばし考えたのち、彼は答えてくれた。

 

早い話、遺体(死体)と判定された瞬間に「人」から「物」に扱いが変わり、人に対してするべきシートベルトの着用義務はなくなるそうだ。逆の視点で言えば、医師が死亡判定しない限りはこれは「遺体」ではなく「生きている人」扱いとなり、シートベルトの着用義務が発生するそうだ。遺体は普通の車でも移動は可能だけれど、移動の際には必ず「死亡診断書」を持参していないと、大ごとになるのは確からしい。

蛇足だがタクシーは「人間」を運ぶから二種免許が必要になるが、霊柩車は「モノ」を運ぶから二種免許はいらない。最近多い「遺体と一緒にバス移動」のバス型霊柩車の場合は、乗客もいるので二種免許がいるそうだ。

 

「でも、おばあちゃんにはやはりその時にふさわしい車で送迎してあげたいですね」

と、話題にそぐわない爽やかな笑顔で私を見つめる彼。

さっさと寿命が来たら、霊柩車でも牛車でも自転車ででも如何なる方法ででもさっさと運んでやろうと思っているが、「おばあちゃん(毒母)」は悲しいぐらいに今も健在だ。