勝手な言い分なので、今回も「お付き合いいいね」は無しにしてください。

また、当たり障りのない記事でお会いしましょう。

 

血も無事に止まり、昨日はチワワ奥ご夫婦に誘われお出かけ。

途中、寄り道した所で驚く集団に出くわした。(正確にはチワワ夫婦が事前に情報を得ていて、連れて行ってくれた)

ん、んっ!?

マリオさまご一行様!!

昨日の24時間テレビでの募金活動の一環で、クソ暑い中、頑張っていたそうな。

 

 

さて、24時間テレビの話題。

娘はこの番組が好きで(ジャニーズが出ているからが、大きな理由らしい)、録画してまで観ている。私は独身時代、2年に渡ってスタジオでのボランティアスタッフとして手伝いをした。娘には障害があるとここを踏まえての話になるが……

 

私は妊娠する以前から自分のサイトで

「何で障害者は善人で頑張るのが美徳ってのはおかしいだろう?

 障害など関係なく平等を謳うなら、悪徳障害者や犯罪を犯す障害者も認めろ!」

と、一貫して言い続けていた。

 

例えば自堕落な人がいて、計画性など皆無で他人に散々、迷惑をかけ倒し生きている者もいる。でも、障害者相手になると、何故か周囲は「頑張ってナンボ」的思想の色眼鏡で障害者を見始める場合が多々あるようだ。

私が娘に「ハンディキャップがある以上、人の何倍も努力しないと普通と呼ばれる者と同等のスタートラインにも立てないから、頑張るしかないんだ」と心を鬼にして言う。しかし、娘はそんな親の言葉なんかには動じない。親が死んで障害者ひとりが残って、自立生活ができないのなら、施設へ強制的に入居させられ、生きている限り誰かにお伺いを立てなければ何も出来なくなる。それが嫌ならひとりで生きられるよう頑張るしかない訳だが、娘は所詮は勉強よりジャニーズであり、声優・アニメであり、多くの時間をそちらへ費やし満足して寝る。で、翌日のテストはボロボロ状態。高校一年にもなれば、今の自堕落な生活やテストの点数が数年後の、そして、将来の自分の生き方にどうかかわってくるのかが理解できて、長き人生の僅かな今の時間を必死になれるんだろうが、娘にはその発想自体が欠落している。みていて「これが障害があるってことなんだな」と、最近は私も納得してしまうようになった。テストも返却されても、やばい点数だと親に見せずに徹底的にバックレようとするし。常識はわからないけれど、自己防衛本能はあるらしい。叱るよりも、そのできなかったテストを分析して、何がダメだったのかを話し合おうと言うんだけれど、物事の道理が理解できず、目先のことしか考えられない娘はテストを隠すしか考えが及ばない。その発想こそが障害なんだと言っても、それすらもうわからない。

 

勉強は叩いて蹴ってさせるものではない。サーカスの動物じゃないんだし。夢や希望を胸に自発的に行わなければ身になんて付くはずもない。小学校までは徹底的に私は勉強に介入し、道筋をつけたが中学以降、娘に全てを一任してから娘は自堕落になった。このままでは、将来、本当に施設行きになると説明しても、やはり勉強はアニメ・声優やジャニーズを上回ることはなかった。娘が知的にまともであるならば、将来、施設に入居させられる時に「あぁ、親の言う通りにしておけばよかった」と後悔して泣くこともあるのだろうが、現状の娘を見ていると「こいつはきっと後悔する能力も欠如しているから、自分が置かれた境遇を嘆き泣くこともないんだろうな」と思う。

私は「障害者だけど、努力すれば道は拓ける」と言うことを娘の頭具合を見て放棄した。障害がなくても努力しない者もいるのだし、同等に見るのがいいのであれば、障害者側にも努力せずに無駄に人生を過ごしてしまう娘のような者だっていたっていいはずだと……

このままだと、将来は税金を使って施設入居など、娘のために世の中には本当に申し訳なさしかない。でも、頭の中の「理屈」という名の線がつながらないってのは、宇宙人と会話しているようなものであって、24時間テレビに出ているような物わかりのいい障害者の姿だけがすべてじゃないんだ、現実は。

 

正直思う。娘に障害がなければ、もっと様々な勉強を一緒に重ねて、単に学歴欲しさにFラン大学に行くのではなく、人としてもっと高く深く専門分野を学びたいと最高学府まで駆けあがろうとする娘を後押しする人生が私や亭主にあったのかも知れないなと。私も亭主も家庭の事情で大学へは行けなかったせいもあって、せめて娘にはと思っていたけれど、自分の夢をわが子に重ねることの愚かさは理解していたから、それはしない。でも、勉強の大切さを未だ、理解できない娘を見ると障害ってものに憎しみさえ覚えてくるようになってきている自分がいる。今、頑張って将来自活への道筋をつければ、誰にも束縛されずに自分の稼いだ金でジャニーズのコンサートでもアニメ三昧でも何でもありなのに、今の自由と楽しさと引き換えに、将来の自由を切り売りしていることに気付かない。まさに、これが障害なんだよな。

24時間テレビで障害者が何かにチャレンジして感動を煽るシーンを客観視している娘も、あと何年かしたら親も死んで施設に入れられ、何かしらの思惑に好まざるとも巻き込まれて、自分がどこかのステージに引っ張られてダンスを踊ったり、何かを披露して「障害者なのにすごい!感動しました」なんて言われる側になるのかも知れないのに。

 

日頃、点字ブロックの上に自転車を置かれて不便な思いをしているとか、盲導犬は仕事中の時は何もしないでなど啓発啓蒙番組なら、障害者側も健常者と呼ばれる側も双方いいとは思うが、富士登山させているわが子がぐずってむずかるのを、親がぶん殴ってまで登らせるのを見せられても、何とも気まずい思いしか私はしなかった。どうしても自分が登りたいと、あの子が親や番組を使うくらいのしたたかさでもあってのことならまだしも、大人たちの利害関係に巻き込まれ、時間通り・プログラム通りに進行しなければならないから、殴ってでも行かせるってのは障害者虐待じゃないのか?「すいません。ウチの息子、これ以上はやりたくなって泣いてるんで、中途半端だけどこれでやめます」って認めてやれよ。あの子には断る権利があるはずなんだからサ。番組を盛り上げるために、視聴者が「障害者も頑張ってるのよね」って言葉を吐かせるために、あの子の「やりたくない」って権利を取り上げるのは、番組作ってる側こそが情緒障害あるんじゃないのかって思えてならない。

 

あと、この番組って重度の身体障害者はどんどん番組には出すけれど、重度の知的障害者や精神障害者はさすがに出せないんだね。(苦笑)どの障害だからいいってことはないけれど、知的や精神の障害を持つ人や家族って本当に大変なんだよ。綺麗にお涙頂戴番組を進行するには、これらの人は使えないって39回も続けているこの番組が証明しちゃったな。