本物の「13日の金曜日」に対して、異様なほどに警戒をしていた亭主。仕方ないので前倒しした。驚いて心停止したら困るので、額に「肉」の文字を書いて、マイルド感をだしてみた。これ、実は蓄光する素材。散々、光を当てて、亭主が帰宅する頃に真っ暗な亭主の部屋で正座してこれを被って待っていた。トイレの灯りと換気扇は付けていたので、亭主は私がトイレにいると信じて疑わなかった。で、自室を開けて灯りをともして……目が合った。

この男、平均寿命を全うできないのではないかと、最近、強く思うようになった。




話はガラリとかわるのだが。

ネット上で偶然、小学校の卒業式での服装についての意見が飛び交っているのを見つけて、面白そうで読みふけってしまった。

娘の小学校は数年前から袴姿の女子児童が出てきて、娘もそれを見て自分も着て式に出席したいと希望をしたのが6年生になってすぐのこと。夏休みの終わりころ、候補だったお店に出向いて娘の希望で着物と袴、他に必要なものをレンタルすることにした。

娘は小学2年から表彰式に呼ばれる機会が必ずあって、私たちはその都度、体に合う紺色をベースにしたスーツを買って着せていた。成長期もあって1年後には着られなくなっていたので、毎年買っていた。新品もあれば、タイミングよくリサイクルショップで見つけて格安で買ったものもあった。5年間、スーツを着続けた娘の「私、卒業式にまでスーツは着たくはない」と言う気もちもわかったので、私たち夫婦も娘の希望する袴にゴーサインを出した訳だ。

様々な表彰式に出席させてもらった。官房長官も皇族も市長や知事と様々な方々とお会いで来た。でも残念だったのが、公の場でも関わらず、はき古したジーンズに普段着で来ているお子さんもいたということだった。私たち夫婦は娘に表彰式などの機会に「ドレスコード」や「物事、特に服装には絶対的なTPOが存在する」ことを教えた。その集まりのドレスコードに文句があるのなら「欠席する」という選択肢も私たちにはあることも教えた。必ずこの手の話で出てくるのは「買えない子どももいるだろう」ということだ。うちも金があり余っている訳じゃないが、「少なくともアメリカあたりで作業着として使われていたものを着ていくのはありえないから」と、とにかく他の予算を削ってでもスーツと靴だけは常に用意し続けた。リサイクルショップで買って手直しして着せたこともあったしね。

娘の小学校では「中学の制服を着用しての、小学校の卒業式出席はありえない」スタンスだったので、現に私がその学校にいた間も、進学先の中学の制服で来た子の話も聞いたことはなかった。私のいたその土地では、制服を着ることが「頭、大丈夫?お子さんも可愛そうに」状態なのだ。「親の見栄で袴やスーツっておかしいわ。進学先の制服着るのが当然!」との意見の人、お宅が日本の標準ではない。

ただ、娘からはスーツ購入時に常に一点だけ、強い希望が出されていた。それは「A○Bの様なスーツだけは買わないで欲しい。私は売春婦じゃないから。」だった。ある本で海外で若い女性があのような姿を公衆の面前でするのは、身体を売る売春婦だけだとの記述を読み、以降、娘はあの手の服装を徹底的に嫌うようになった。袴を選んだ娘は「これは日本の国の正装に準ずるものである」と胸を張っていた。確かに売春婦の姿は良くて、日本の礼装が認められないってのはおかしい。ちなみに袴のレンタル料や着付けは新品スーツを買うよりも安かった。


娘は夏休みの殆どを作文や文学系の創作に費やした。みんなが遊んでいても「こっちをやってみたい」といい、私はそれを認めつき合った。自閉症児は外でみんなと仲良く騒ぐことを「幸せ」「楽しい」「エンジョイしている」とは捉えない場合が多々ある。厳密にいえば、対人関係がしんどくて、天秤にかけたらひとりで作文書いている方が天秤が下がるほどに有意義だと判断していた。だが、娘が大きな賞を頂いても学校はなるべく騒がず、静かにそれをなかったことにさえした。理由は「賞を貰えない子が可哀想ですから」だった。「いや、うちの娘、休みを家の中でずっと原稿用紙に向っていて、それは可哀想じゃないんですか?」と言っても学校は、努力せずに無冠の絶対多数の生徒に学校は合わせ続けた。娘の中にもそれを不快に思うようになり、燻っていたようだった。だから、卒業式の服装を決める時には、「事情があって着られない子が……」の言葉に「みんなはいつ、何を努力したんですか!?これまで私は面倒だと何もしなかった人たちの言い分を聞いて黙っていたけれど、袴に関しては誰からも文句は言われたくはない」と言い切った。

各家庭には、それぞれの思いがある。考えも夢も希望も。常識からかなり逸脱してしまうのは考えものなのだろうが、何でもできない(やらない)人に一律合わせることに、私はあえて異議を唱える。そんなに不公平感が我慢ならないのならば、みんなレベルを同じにした高校にしてそれも義務教育にしたらいいのだ。社会に出たら不公平感どころか、心が凍り、折れ、枯れるようなことまで言われるんだぜ。小学校に限っても、卒業式まで実に6年の用意期間がある訳で、月300円ずつ貯めてもスーツ買えるだろう。ウチで買って使ったスーツもクリーニング出して、よその家に回した。金がなければ頭を使え。愛想よくしてお古を回してもらえ。リサイクルショップをこまめに回れ。自分が出来ないからと他人を引っ張るのは違う。

私自身、貧しい家庭だったから七五三もお正月も成人式も着物なんて着たことも、お参りに行ったことも皆無だ。だから、可哀想で終わらず考えるようになったんだよ。わが子のためにどうしたらいいのかってさ。