写真は何を使って撮影する? ブログネタ:写真は何を使って撮影する?

10年以上前。デジカメで盛り上がっている中、私は10万を超えるフィルム使用の一眼のカメラを買ってもらった。フィルム使用の一眼カメラに魅力を感じて店員さんが執拗にデジカメを勧める中、私は焦がれていたカメラを手にした。子供の運動会やら様々な場面で活躍していたが、いつしかフィルムの入手やそれを焼いてもらう店の減少に負けた形でカメラは使われずに至る。

カシオのQV10を買った時は感動したもんだった。自分のサイトを立ちあげていたので、そのQV10を使ってあれこれ撮影して画像をupしまくった。QV10の登場はインターネットの方向性に確実に一石を投じたと思う。

その後、携帯にカメラが付いた。私は携帯を使いこなせる自信がなくてなかなかそれを手にしなかったが、携帯がスマホになってiPhoneとなり気づけば、気になるものがあると気軽に画像として取り置きするようになった。気にいったものがあれば、それを写真として印刷して人様に渡したりもしている。

自分は体験がないけれど、飲食店に入って隣の席などで注文品が届いた時に食べようとする自分の幼い子供を制してスマホを取りだし撮影を終えるまで食べさせないという光景を何度か見た。撮影を終えて「食べていいよ」というと同時に母親はスマホを操り、すぐさま自らのブログやツイッターに「自分は子供と今、こんなものを食べているのよ」的な記事をupしているのを見ると何とも切ない気持ちになってしまう。んなもの、他人に発信するより、子供と「おいしそうだよね」などその場に即した会話がまずありきじゃないのかと……他人が何時何を食うことがそんなに重要なのか?それを発信したり受信することにより目の前にいる者を蔑ろにしていることに気付かず、見えない相手・いつそれを見るのかもわからない相手に発信することの方が大切な行為だと思えてしまう神経の方が私は恐ろしい。飯ぐらいゆったり楽しく、相手と楽しみながら食べたいよな。あくまで私が拘るのは「他人を制して(制する相手は子供だな)まで撮影を優先させて、その場でupするまでしないと気が済まないって人の話」ってことで読んで欲しい。

さて、先日、娘と出かけた際にまた拾いモノをした。アクセサリーで「おもちゃかイミテーション」と思って手にして確認したら「K-18」の刻印があった。急ぐ用事は既に済んでいて、娘と行きつけになってしまった某警察署へ持参届けて来た。持ち主が現れなかったら、こちらに所有権が来るそうだ。手軽に撮影できるから、自分もこうしてupしちゃう訳で。(笑)





気軽お手軽にカメラを手に出来るおかげで、「決定的瞬間」なんてテレビ番組も成り立つし、そんな場面を私たちも見ることが出来る恩恵に預かっている訳でありと。自分が行けない場所や、行ってはみたけれど「へぇ、改めてみるとこんな風になっていたんだ」「こんな視点で見る人もいるんだ」等々、人様の撮影したものに見入ってしまう自分は確かにいる。自分の年代だとケネディー暗殺の瞬間なんて、記憶から消えることはないと思う。あと月面着陸とか。

でも、スマホでの撮影は気軽にできるけれど、削除も簡単にしてしまう。写真として手にすると、その時のことを考えたりしてたかが紙一枚だが重さを感じる。簡単に削除ができるということが実は、所かまわず撮影するよりも何か引っかかりを感じている自分。