学生時代はやんちゃしてた? ブログネタ:学生時代はやんちゃしてた?

アル中の毒母がやんちゃしていたから、娘は必然的に保護者的立場になってやんちゃなんてできなくなった。気を抜いたら酔った勢いで本気で殺しにくるんだもん。今考えると、よくぞ殺さなかったと思う。ほんとに。(苦笑)

高校に上がって、やんちゃしている連中を見て家庭や様々なものに不満があってぶつかれるだけの最低限のものがあるって羨ましいと思った。安心して寝る家があって衣食住も困らない者が多かったし。やんちゃできる土台があるってことは幸せなことだと気づけないのがやんちゃの特権なのかも知れない。


ある日のこと。クラスでやんちゃかましているグループのトップがクラスメートにケンカを吹っ掛け騒ぎになった。吹っ掛けられたのは、同じクラスのPちゃん。彼女は大病を患い身体も小さかった。手術を何度も受けて一学年遅れての入学だった。大人しくて静かに笑う娘だった。グループはPちゃんがおとなしいと思って小ばかにしながら悪態三昧を繰り返していた。私はPちゃんの「現実」を唯一、知っていたので思い込みであれこれ言われ罵倒されるPちゃんを見かねて、廊下へ出そうと腕を引っ張ったが、Pちゃんは今まで見たことのない表情で私を睨むと
「私が話をつけるから、その手を放して!」
と、言った。その迫力に私は手を放した。

「私は何度も死にかけて、実の父にも捨てられて、再婚した養父に疎まれながら生きているんだ。実の母親だって養父の味方。アンタたちみたいに不良ゴッコして家に戻れば安らぎが待ってるなんてないんだ。この先、どれだけ生きられるかもわからないんだし、こんな理不尽なことで言い負かされたまま終わるなんて私は絶対にしないし、する気もないから。やるんなら命かけてやろうよ」
幾度も大学病院で大きな手術を受けて、身体の中にはごつい金属プレートが入っていて、聞けば小学校からずっと体育の授業に参加したことがなかったPちゃん。腹や背中に蹴り一発入れればPちゃんは確実に致命傷を負うことになるのだろうが、それでもPちゃんは数ミリも引くことはなかったし、あの迫力は森で出会った熊さえ後ずさりするんだろうなとも思った。

Pちゃんはスクリーンの健さんよりも迫力があった。一歩も引かず、まさに今でも何人もいる連中に飛び込みそうな勢いだった。その中からリーダー格の娘が前へ出た。
「ごめんなさい。あなたを馬鹿にした私たちが悪かった」
連中はクラス全員の前でPちゃんに謝った。
「でも、私たちに逆らうなんて、勇気あるよね。すごいじゃん!」
Pちゃんはこの日から、学校に君臨していたその手の連中と互角に渡り合える人となって、Pちゃんに困ったことが起きれば、連中はどこからともなく駆け付けPちゃんの味方をした。

Pちゃんは口から出まかせなど言ってはいなかった。修学旅行で初めて小遣い1万5千円を許されて「こんな大金、初めてもらったわ」と目を輝かせながら大好きだった「さだまさし」のLPを京都新京極のレコード屋さんで買ってはしゃいでいた姿は今も忘れない。私の家の事情を知っていたから、Pちゃんも自分のことを教えてくれたのだと言った。

高校卒業後、Pちゃんは住み込みの仕事を見つけて札幌へ出た。養父との関係もあって、実家には戻れない立場になった。しばらく付き合いがあったけれど、Pちゃんは次第に誰ともつき合わなくなってしまった。Pちゃんを「親友」と調子のいいことを言っていたSに必死になって貯めたお金数十万を貸して逃げられてしまって以降、Pちゃんは誰も信じなくなって中高時代の友人との関係を一切、断ってしまったのだ。数年前の同窓会でそれを知った私は今もSを探していて、友人たちにSの所在が分かったら「Sを囲む会」を開催するから手伝って欲しいと言ってある。でも、金は戻ったとしてもPちゃんの心はささくれたままなんだろうな。

出産前の臨月近くだったと思う。(16年くらい前)通院のため、札幌の地下街を歩いていたら偶然、私は人ごみの中にPちゃんを見た。Pちゃんは俯いたままで、立ち止まって見ていた私に気付くことなく視界から消えた。夏休み、二人で街外れのばあちゃんが店番をしている雑貨屋までバスで行って、エロ本を買って回し読みしたのも今はいい思い出だ。Pちゃんはまだ、それを覚えていて笑う時があるのだろうかとふと思った。