負けず嫌い?負けてもいい?【投稿でドットマネーがもらえる!】 ブログネタ:負けず嫌い?負けてもいい?【投稿でドットマネーがもらえる!】

『海蛍Vol,9』取りあえず渋と本家にupしましたので、酔狂な方はどうぞおこしくださいませ。凌辱終えたので、Vol,10からは、こちらに戻るかと。(たぶんです)
しかし、正月から何やってんだろうな、自分。でも、忙しくてup出来なかったから、今日は思わぬ時間が持ててウキウキでPCに向ってました。娘も宿題の山に気付いて、今日は静かにやってくれているし。

私がインターネット始めたのは、2ちゃんねるの前身である「あめぞう」の更に前の「県人会」の頃だったと思う。更に遡ればnifttyでのパソ通にまで行ってしまうという。
私が当時立ち上げていたサイトは、何故か様々な人たちが出入りしていて、掲示板も様々な職種人種であふれていた。自分の加入していたプロバイダーのアクセス上位5番以内に常に自分のサイトが名を連ねていて、家にこもっていてもたくさん友人知人が出来て楽しかった。そんな頃に県人会で知り合ったのが「hさん」(仮名)だった。独身男性で年齢も近くて、PC上だけど、楽しく付き合っていた。やがて亭主も巻き込んで付き合いはあったけれど、顔を知らぬまま時は流れた。彼がネット上で知り合った方と結婚することを知って、私たち夫婦は心から嬉しく思い祝おうとした。その頃、偶然だったが彼が札幌に転勤することとなり、こちらの教会で結婚式を行うこととなり私たち夫婦に招待状が送られてきた。しかし、私はその頃、体調がどん底でとても出席は叶わず亭主だけが市内の教会へと向かった。結局、私の友人であるはずのhさんと私は今だに会うことが叶ってはいないまま、年賀状や他のやり取りを繰り返し今に至っている。今でこそ「鬼嫁」なんて言葉が当たり前に使われているけれど、その走りって実は私がやっていたと断言したいくらいだ。虐げられる亭主の姿をウオッチするために、日に1000アクセス超えが当たり前だったんだからなぁ。そのサイトは妊娠がわかったと同時にやめた。理由は病気持ちの妊婦がこの巨大化してしまったサイトの運営と自分の体調の管理双方の両立は無理と見切りをつけたからだった。

で、そのhさんから今日、二通目の年賀状が届いた。一枚目は元旦に、昨年の普通体験しないような出来事に遭遇した話題を手書きで細かく書いて、ついに年賀状の中には「謹賀新年」も「平成28年」「2016年」「おめでとう」の文字も見つけることが出来なかった。(彼らしい・笑)今回の二通目の年賀状はやたら厚みのある手紙?らしきものを手にして見ると裏がこれでしばし見とれた。


やっと彼から「HAPPY NEW YEAR」の言葉がもらえたぞ!(笑)しかし、下の「LOTTE」って文字も気になるな。で、ひっくり返したらこれだ。


ここでもやっと「平成二十八年 元旦」ってあったけど、更にある「聖帝サウザー」って。本当に「笑納」しちゃうわ。20年以上、互いに顔も知らないこの男から今年も目が離せない。


で、ブログのお題だけれど……
月並みだけど、努力している他人に負けても正直、あんまり気にはならない。でも、どこかで妥協してしまう、そんな弱い自分に負けてしまう自分は許せないと思う。身体とか病気とか毒母や娘、亭主を口実に楽な方へ逃げ道を作る自分が無性に許せない時がある。でも、「負け」と「逃げる」のは微妙に違うのかも知れない。毒母がいつでも「仮想敵」を作って戦っているのを見てしまうと、「逃げるが勝ち」って言葉が妙に有り難く、心に染み入って来る気がする。

さて、今夜はカレーうどんにしようかな。ヨシエが美味いとやたら勧めるんで決めた。