クリスマスにほしいものはなに? ブログネタ:クリスマスにほしいものはなに?

毒母は幼いころに貧困から「学ぶ」機会を奪われた。後に自分の時間をふんだんに持てるようになったものの、その頃には「学ぶ」ことを自ら放棄した。読み書きが出来ないから、知識はテレビや近隣のあてにならない会話からしか得られない。彼女にとっては、口述伝承がすべてなのだ。

だから未だにクリスマスの本来の意味を知らずにいる。鶏肉やケーキを貪って、何かしらのプレゼントを貰うことが、彼女にとってのクリスマスであり、異教徒の教祖様のお誕生日なんて知る術もなく、知ろうともしない。彼女の中でのクリスマスは「どれだけの食材を用意できるか」しか興味の対象はない。

毒母から離れ、教会を訪ねクリスマスのミサに初めて参加して、大きなパイプオルガンの演奏で「ハレルヤ」を歌った時の感動は今も忘れない。

どこからも、誰からも何かを貰える予定なんて皆無だが、ふと天体望遠鏡が欲しいと思った。

辛かった時、いつも空を見上げていた。青空に長く尾を引いて飛ぶ飛行機など見つけたら、もう立ち止まって見入ってしまう。夜は星を見て、自分はこの宇宙から見れば「蚤のへそ」より小さな存在なんだと思うと、どんなに落ち込んでいても頑張れた。どこか遠くの星でも、悩みを抱えた同じ「蚤のへそ」ほどの存在の宇宙人が同じ様にこちらを見ているのかもと思うと笑みがこぼれる。

いつか煩わしいこと全てから解放されて、気の合う人と星を見上げたい。見上げながら他愛もない話をしたい。自分の存在を認めてくれて、必要としてくれたらそれで満足。

話したいことが、聴いてもらいたいことが山ほどあるんだ。



_blank