声優が変わってビックリしたアニメ ブログネタ:声優が変わってビックリしたアニメ

 大量のアイロンがけしながら、コナンとルパンの劇場版を見ていた。いくら似ているからと起用しても所詮、栗貫は栗貫で、毛利小五郎も未だ神谷明でないことに違和感を持ったままで、アイロンを握る手に妙な力が入ってうまくいかなかった。今日の夕方のコナンの犯人役の女性声優さんも「これって麻上洋子じゃね?古代君!って言ったら信じちゃうぞ、私。でも、藩恵子もありって感じかな?さぁ、私ごと撃って、おじさまっ!って言っても信じるかもなぁ」なんて、30年以上前に普通にしていた声優談義(までもいかないか)を亭主としていた自分に途中で驚いた。

 今も声優さんって有名で人気あるんだろうな。でも、私たちが騒いでいた頃とは活躍される人たちも違うから、残念ながら今の時代をけん引される方々の名前は正直、私にはわからないほうが多いかと思う。

 学校へ行かなくなった中学生の私を支えていたのは、まだアニメなんて言葉も一般認知されていないテレビマンガと呼ばれる番組だった。何度も再放送されているものをみているうちに、私はその作品の今までにない奥の深い音楽に惹かれた。宇宙戦艦ヤマト。今のアニメ文化の礎となったと明言しても過言ではないと私は断言する。当時、何度も何度も再放送されるテレビマンガはたくさんあったが、夕方(北海道の話ね)のヤマトの再放送は回を重ねるごとに音楽だけではなく、その設定やセリフに私は心を摑まれていった。やたら再放送が多くなって私はウキウキでそれを見続けていたが、やがて劇場版(テレビ版を再編集したもの)が公開される日、誰もが想像もしていなかった長蛇の列が劇場まで続いていたのをニュースで見て(その光景は東京だった)驚いた。更に驚いたのは、並んでいた客層は自分と同年代から上の者たちだったことだろうか。思えばあの日から「宇宙戦艦ヤマト」はテレビマンガからアニメカルチャーとして認知され、声優の名が大々的に紹介され日ごとに日ごとに声優ファンが激増していくきっかけを作りだした。今の時代から見れば、確かに突っ込みどころも満載だったと思うが、ヤマトは新しい時代を背負ってあの時、確かに船出した。

 高校に入学後、私は自分がヤマトファンであることやアニメファンであることを自己紹介として述べた。ほとんどの者が私を奇異な目で見たが(当時は世間的には子供以外がアニメに現を抜かすなんて馬鹿じゃないのかとさえ思われた風潮だった)、ただ一人、「私もヤマトのファンなの。仲良くしようよ」と声をかけてくれたのが卒業後30年以上経っても縁が切れない親友のRだった。私たちは学校で会えば、時間の許す限りヤマトの話で盛り上がり続けた。当時はヤマト人気から松本作品が次々とテレビアニメ化して放送されてもいて、ガンダムまで来てアニメファンは次第に細分化されていった。でも、私たちは基本はヤマトであり、そこで演じていた富山敬さんはじめ伊武雅之さん、仲村さんや麻上さん中心に一日が回っていた気がする。もう、古代君も素敵だが、その声を演じる富山さんも大好きで、私は彼女と若干違ったのは宮川泰さんの壮大な音楽に惹かれたことだった。今も川島さんの「あ~あ~あああ」を聴くと何とも満たされた気持ちになれる。登校拒否児が一転して高校を卒業できたのは、ヤマトファンとして親友となってくれた彼女と、その彼女との縁を取り持ってくれたヤマトやアニメのおかげだと今も思う。私たちファンの存在が、当時、誰もが考えていなかった日劇での「声優フェスティバルVOICE・VOICE・VOICE」を行うまで一気に押し上げたと言っても過言ではない。その様子は後にLP版のレコードとなって販売され、かなり売り上げがあったとも聞いた。私も擦り切れるんじゃないかってくらいに聴きまくっていた。そこそこの年齢になって亭主との結婚が決まった時、ヤマトは捨てなきゃならないのかと落胆しかけたが、亭主の新居への持ち込んだ荷物の中に、作りかけのコスモゼロ(戦闘班班長専用機であり古代の専用機)があったのを見た時、ヤマトを捨てずに生きられるのかと人知れず安堵した。

眠いから続きは次にでも。