健康のためにしてること ブログネタ:健康のためにしてること

私には「多少口が悪くて、自由闊達で、何でも物おじせず口にして行動にも移して、バカ話をしていつも笑っている風にしか思えない」と一気に評価をされたことがあった。確かに昔、何も言えないまま追い詰められて結果、体調に変調を来たすまで行ってしまったので、思い切って何でも口にすることに決めた。しかし、それは本来の自分ではなく、「本来の自分を持たない自分が逃げ込むための偽りの自分像」だったのかもしれない。

娘が小学生の頃、どの学年も素晴らしい先生方に恵まれた。心に傷しか残らなかった自分とは違って、娘が今も語る小学校は楽しい思い出ばかりのようだ。でも、その楽しい思い出は決して運で引き当てた訳ではなく、ましてやタナボタでもなかった。娘は「学校を楽しく自分の居場所としたいのなら、まずは一教科でも他人から数歩抜きん出た人間になれ!」との学校に適合出来なかった母親の言葉を信じて結果、自らの手で勝ち取ったものである。
ある時、国語で新見南吉の「ごんぎつね」を学んだ娘。撃った後に兵十が呟いた言葉を問われた時、娘は「ごん、お前、女だったのか!?」と珍解答を出し、更に「てぶくろを買いに」の話に触れた時には「きつねって前足はあるけど手はないし」とも答え先生は笑ってその答えを称えてくれたそうだ。それは多くの者の顔色を見ながら自分の意見を変化させなかった事への賛美だと私は解釈している。

私学へ通う娘には学校では入学してから既に大学進学の話題が出ている。つい先日も校長自らが親たちの前で進学先に付いて熱く語っていた。まだ、世間を知らない娘には、自分が選んだ道で歯を食いしばり自立して生きることを問いかけても首を傾げてしまうのは仕方ないことなのかも知れない。
そんな時、世間ではある女優の発言が物議を醸したと騒ぎになっていた。それは彼女の放った一言、
「親になって初めて人間にさせていただいた」
発言だった。
巷では「えっ、じゃ子供産んでない女は人じゃないって意味?」「ひどい!」「デリカシーがない」等、その言葉への反応はヒドイものだった。
あえて私も言う。「え、これって言ってはいけないんですか?」と。


実はチョコチョコとブログ更新をしていたものの、私の体調は悪く数日前には命も危ぶまれるくらい大変なことになっていた。平穏な日も、薬は必要不可欠だし、外出時に杖は必需品。そんな私がちべた店長の作品と出合って、彼女の作品の更新を知りたいが故に私はアメーバのメンバー登録をした。そして、彼女をきっかけに僅かな期間で多くの友人を得ることが出来た。自らもブログを書くことによって、他者のブログも拝見・拝読して様々な感想を持つ。
年に何度かだけど亭主と一緒に釣り竿持参で港へ行くが、自分たちの周囲は三ケタの釣果を出す中、私ら夫婦は合わせて小魚3匹くらいしか釣れず、見かねた横のおじさんがたくさん魚を分けてくれて、
「お家でみんなで笑顔で食べて」
とだけ言い残し去って行った紳士を私は今も「釣りの神様」と呼んでいる。購読しているブログの中には毎回、素晴らしい釣果を上げそれを画像で見せてもらい、時に家庭やご夫婦の話題などもあって読んでいても飽きないし、ましてや「釣れない釣り人」たる私が、それを読んで「釣れない私に配慮してないじゃないか!釣れない者の気持ちも考えろ!」とは思ったことなど皆無だ。

ちべた店長のアイスを食べたことがあるけれど、本当に美味しくて満たされた気持ちになった。でも、実は私は乳製品を摂ると時に命に関わるほどの大ごとになって医者からはその時は救急車を使えとも言われている。(自業自得で食べてなった時に救急車など呼ぶつもりは毛頭ないよ、あれはタクシーじゃないんだし)のたうち回って激痛と戦ったけれど、亭主も娘も美味しいと喜んで食べてくれて、私は自分が好きなだけ食すことのできない美味しい物を作るちべた店長を、「人の苦労も悲しみも分からない人だ!」などと思ったことはない。むしろ、その一度が口にできたお蔭で、今は自分の大切な人へ贈答すべきものの選択肢にもなった。

車の免許も私は持ってはいない。日中、車が乗ることなく放置されていて、これが運転できたら子供の塾や買い物など様々な意味で人生が広がっただろうなと思うが、大量に鎮痛剤や様々な薬を服用している私が万が一、他人を巻き込んで事故など起こせば
「すいませんね、なんせ私、病人なものでして…」
などと言って済む問題ではない。

みんな当然のように違う、すべてが違う。健康状態も経済的にも容姿も背の高さも様々なものが違う。それを「個性」と言い張り「世界でひとつだけの花」なんて曲を賛美する反面、子を持ったことで自分が人間になれたという者をなぜ執拗にまで叩くのかが私には理解できない。もしも私が、アイスを売ってる店長やそれを買って食べる人、車を運転して出かける人や釣果を出す人に食って掛かればみんなは「そうだよな、たまさんはできないのだから」と同情して仲良くしてくれるのか?もう、ここまで書いているだけであまりにアホらしくて乾いた笑いがこみ上げてくるわ。

自分が抱えたもので幸せを感じられる人だけが、幸せを手にできるのかも知れない。その術を知らぬ者は死ぬまで自分が幸せだったことすら気づかないだろう。

ハンドルを握って公道を走り、初めて人の命をの重さを感じる人もいるだろう。重い病を抱えて初めて自分の中の本音と向き合い命の深さを知る者もいるだろう。娘のように自閉症を持ちながらも、それをひとつのエピソードとして理解して、自分の小遣いを貯めて高校生になったら使う数学の教科書を自力で探して買って悦に浸る者を、勉強もせず遊んでばかりいた子や親が「どうせ妙な障害だからできるのに偉そうに」(小学校で他の母親に現実に言われた)と、努力もしなかったわが子をそう言いながら慰める者もいた。

「あなたは子供を授かっているから、そんなことが言えるんだ!子供のいない苦しみなんてわかりやしない」ともネットで言われたことがあるが、私自身が結婚前に卵巣がんで既に卵巣のほとんどを取っていて妊娠の可能性はないに等しいと誰もが思っていた。甲状腺にあれこれ病気をしていて、最初に妊娠を告げた医師からは既往症を伝えたら「あぁ、ダメダメ。僕はあなたを診ないから。怖いでしょう?こんなに病気をしていて。お願いだから、僕の日には来ないで欲しい」と、本当にこう言われて診察室を追い出された。他院への紹介状もないままに。やっと某総合病院で内科など先生方がチームを組んでくれて出産まで面倒を見るといわれた時の嬉しさは忘れない。そうして結婚して10年後に生まれた子供が障害持ちだ。私を罵倒した人間はあくまで「五体満足な子供」を授かることしか想定してはいない。子供がいて家族で幸せでと、テレビドラマの様な幸せしか描けない。どうせテレビで思い描くのならば24時間テレビに毎年、出てくる障害児も見て「人生とは何一つ、思うようになんていかないものだ。出産すら実は障害児を生む生まないの確率はギャンブルのようなものなのだ」と覚悟して私に突っかかって来い!と、返事をしたらその人は消えた。確実に健常児と呼ばれる子を産める保障があって、子供がいたら幸せになれるってか?その頭、すでに幸せじゃないか。

美味しそうに食べるリンゴをいつも見ていた子がいた。その子はリンゴアレルギーで口にしただけで命に関わると知った。猫が好きでもアレルギーで飼えない人も知ってる。だから絶えずネットでかわいい猫画像を収集している。

いいじゃないか。ある人間が子を産んで物事を深く考えるきっかけになったと言うならそれでも。みんな条件や形は違ってもきっと誰かができない体験を経て自分も成長できたとか楽しめたってどこかで口にしているはずなのだから。

健康の秘訣って、他人の言葉を受け流せる度量で決まると私は思う。で、その意味では今、私は非常に不健康なのかも知れない。毒親を持つ悲しさよ。

しかし、一番の救いのない連中って炎上ネタを探しに、一定の芸能人のブログに毎日張り付いて煽る者じゃないのかな?自己顕示欲が強いからブログなんてやって自分のプライバシー切り売りしてるんだ。そんな芸能人のブログなんて見ずに相手にも話題にもしない方が最高に相手は堪えるって気づけよ。

偉そうに健康を語った私、急遽、病院に行くことになりました。状況話したら無理に診察時間入れてくれた。
行ってきます。