地元の名物必ず食べる? ブログネタ:地元の名物必ず食べる?

20年近く前のこと。
私と旦那は日本海に沿うように車を走らせていた。時期は11月、鉛色の空の下、海岸線のまま車は走る。
「ん?」
前方に何やら白いものが道路一面に広がっていた。それが何かがわからぬまま車はその一面に広がる「白」に突っ込んだ。それは生まれて初めて見た「潮の花」というものだった。メレンゲのように泡立った潮の花は風が吹くごとに揺れ動く。そして、更に道路を白に侵食していく。旦那に頼んで停車して私はしばしそれを見ていた。綺麗というより不思議に思える現象だった。時間を気にする旦那に促され、私は名残惜しさの中、車に乗り込んだ。そして、その光景を車中から振り返り見つめ続けた。札幌を出て既に何時間経っただろか。

私たちの目的地は小さな漁港だった。初めて訪れたその小さな町を教えられた住所を探しながら、やっと目的地となる古い木造住宅に辿り着いた。手にしていたものは土産ではなく喪服。
父方のおばの葬儀のため、私たちはこの地を初めて訪れたのだ。

父の弟の奥さんは本州に住んでいたが、うつ病を発症した。投薬を受けてはいたが、家族の理解を得られることなく、90歳を過ぎた実父の元へ戻り療養中に納屋で首を吊って亡くなられた。久々に対面したおば。首には紫と黒を混ぜたような痕がくっきりと付いていた。

父の男兄弟5人のすべてが人格崩壊者だったのだろう。私の母親も含め、どの男たちも皆、浮気に借金、暴力などで妻を精神的に追い詰め崩壊させていた。私の母のように精神を病んでアル中になったくらいならましだったのかも知れない。父親の前妻などは頭蓋骨陥没までさせられていたそうだし、他にも記述が躊躇われるような仕打ちを女たちは受け続けていた。

小学校の頃、学校から戻ると真っ暗にされた私の部屋に誰かが寝ていた。父親の弟のお嫁さんだった。とても綺麗で明るかった人が、顔に黒いアザができて目の焦点も合わずにいる。それがおじの「浮気をしているのだろう」という勝手な思い込みから殴られ蹴られついに重いうつ病に陥ってしまったと聞かされた。当時、自分の母親も同じ状況だったので私は、その姿に戦慄した。数日後、彼女はいなくなっていた。実家のある九州へ離婚届を出すと同時におじは列車の切符を買い与え、そのまま一人で載せて帰したというのだ。駅まで送っていってやったんだとおじは笑いながら私の父親と話していた。「きちがい」という言葉は差別用語になるらしが、この輩を「きちがい」と言わず何をきちがいと言って人に伝えることが出来るのかを私は教えて欲しいくらいだ。

私の母親はぎりぎりの時点で逃げたが、亡くなったおばは追いつめられ、実家に戻ったときすでに生きる気力は残ってはいなかった。納屋で首を吊っていたのを見つけたのは90歳を超えた高齢の父親だったそうだ。「長生きなんてするもんじゃねぇよな」彼女の父はそう言いながら、遠方から来た私たちに地元の食材で持てなしてくれた。別に私たちは観光に来た訳ではなく、何度も台所と居間を往復する彼女の父を見ていて切なくなった。今思えば、じっとしてはいられなかったのだろうと思う。

父の男兄弟はみんなこうだったが、私の父と他の弟たちと決定的に違うことがあった。それは、おじ達は家庭崩壊をさせながらも皆が、わが子だけには国立や私立の素晴らしい大学を出していたことだった。嫁の代わりはいても、血を分けた我が子の代わりはいないと我が子を可愛がり最高学府まで出したおじ達はある意味、倒錯した人種ではありながらも偉い面もあったのだろう。家庭を破壊して妻子の精神を崩壊させたのは長男である私の父親だけだった。

今でもあの首についた痕跡を鮮明に思い出す。自分の夫となる男に追い込まれ自殺したおばは最後に何を思ったのだろうか。それをした男への恨み?残していくわが子と孫への思慕?いや、もう疲れて何も考えられやしなかっただろうな。よく「死ぬくらいなら…」と、言うやつがいるが、後がないほどに追い詰められてられて精神が普通じゃなくなってるんだよ。普通の思考が出来るならうつ病なんて病名付く訳がないだろう。

本州から駆け付けたおじは某国の「泣き女」のように泣き騒いでいた。
「なぜ死んだんだっ!!」と。
お前が殺したんだろうが。で、私の父親以下、他の兄弟も心情的には殺人教唆だわなと、私は心の中で突っ込んでいた。

魚介類の美味しい田舎町だったが、高齢のお父さんが運んでくれた地元食材の煮物、どうしても最後まで手を付けることが私には出来なかった。

「うつ病は甘えだ」
「病院からの薬、飲んでるんだろう?だったらなぜよくならないんだ?」
そんな罵声を一番身近な夫に浴びせられながら、それでも別れずそんなクソ男の背に向かって
「あなた、あのね…」と、幾度もその言葉を飲み込んだのかも知れない。聞いて欲しいことがたくさんあっただろうに。誰からも相手にされない絶望感はいかばかりだっただろう。死ねば人前で「なぜ死んだんだぁぁぁ!」と絶叫。一番、腹立たしかったのは高齢の父親だっただろう。もっと若ければ漁師だった腕っぷしで、死の原因となった愚か者のおじを殴り引きづり倒していたに違いない。しかし、震える手でやっとの思いで皿に盛った煮物を運んできた老父に何ができるだろう。

死ぬほどに追い詰めたはずの家族という名の加害者は、その相手が死んだ瞬間に「遺族」と名を替えあらゆる者たちから慰めを受ける。首に無残な跡を残したおばこそが慰めを受けるはずなのに……