もう4月になっちゃったよ!早いね! ブログネタ:もう4月になっちゃったよ!早いね! 参加中

鉛色の空の下、寒風を受けながら選挙カーが候補者の名を連呼しながら走って行く。そうだ、もうすぐ選挙じゃないか。
投票だけは夫婦で必ず行く。支持政党や支持する候補者に付いて亭主とは何の話もせず、互いにその時々に思う人に票を投じる。行けそうもなければ、期日前投票。
その昔、私ら普通の人に投票権なんてなかった。歴史を揺るがす様々な出来事を経て今では、最低限の条件を満たせば基本、誰でも投票が可能になった。ただ、こき使われて搾取されて満足な財産なんて持てない時代を思えば、『興味がないから』などと棄権するのは論外だと思う。私のような者にも投票の権利を与えてくれた、過去に頑張ってくれた人に感謝しながら、私は投票に行く。必ず行く。
で、この時期の選挙で思い出すことがある。

ずっとずっと昔のこと。(特定されるとマズイので、名前・地区等一部改変してます)
友人Lに誘われて、私は某地の市会議員の選挙カーに乗り、ウグイス嬢のお手伝いをすることとなった。時期は今と同じ頃。窓を全開にして受ける北の大地の風はまだまだ冷たくて刺すような痛みすら感じ
揃いのウィンドブレーカーを着て、素人ばかりの寄せ集め集団の私たちはまさに日々、手探りで選挙戦を戦っていた。候補は小さなじいさんだった。
選挙対策本部長を名乗って陣頭指揮を執ったのはじいさんの長。じいさんはすでに何度かの市議をしていて、今回もと張り切っていたが、私ら応援部隊(何故か20代前半の若者ばかりだった)は、
「じいさん、年齢的に先が無さそうだし、多分これが最後の選挙だね。落ちて化けて出られてもイヤだから、当選出来るように精一杯頑張って気持ちよく成仏させてやろう」
と話がまとまって、みんなが出来うる限りの事をした。
ところが、この選対本部長の長が、その時の気分で勝手に予定を変えたり指示をするので、みんなからはかなりウザがられていた。
まだ雪の残る街中を、前日から相談し決めていたルートを走ろうとしたら、その長
「こっちへ行くことにするから行け!」
と言いだした。じいさんと同居している長。指差した場所はじいさんの家と真逆にあり、長く住んでいても地理的に疎かったと思う。私を含め応援部隊の人間のかなりが、長が行けと指差した位置にある高校に通っていて、その地区に関して私たちは何でも知りつくしていた。
「ここは住宅も少なし、この道は狭くて一方通行でこの界隈に入り込んだら、ここを一回りしないと絶対に出られないし」
と、運転係のおじさんが言っても長女は全く聞く耳を持たない。
「一人でも人がいるのならワシは行くぞ!」
じいさんも大乗り気だ。選挙カーは長の指示の方向へ走り出した。
「市議会議員に立候補致しました、表、表(仮名)で、ございます
私のマイクの声に、他のメンバーはにこやかに全開の窓から身を乗り出し手を振る。
じいさんも「私は、死ぬ気で頑張ります!」と、あまり合ってはいない入れ歯をガタガタ言わせながら絶叫する。もう、じいさんが真剣になればなるほど、ツボに入ってしまい笑いを堪えるのが辛かった。しかし、この試練は序章に過ぎなかった。
が行けと言い通した道、実は市内唯一の墓地がある場所で一方通行一本道しかなく、行けば墓地を縫うように進まないと通り抜けられない狭い場所だった。
「表、表(仮名)でございます!」
何を言っても周囲に見えるのは墓地ばかり
遥か彼方にある市営団地から、怪訝そうに人々が窓を開けてこちらを見ている。そりゃそうだろう。何十人もいる候補の中で、自ら墓地に分け入っての選挙活動しているのは日本、いや世界を探してもきっと私たちだけだったに違いない。
「市営住宅でわざわざ窓を開けての声援、感謝致しますっ!」
じいさんが叫ぶが、墓地から叫ばれ気まずくなった住人はすぐに窓を閉めてしまう。
「もっと何か気を引くことを言わなければダメでしょ!」
この状況、この原罪を背負った長が怒り叫ぶ。周りが墓ばかりでマイクを持つ私のテンションが上がる訳もないだろう。
「え~っ、表、表(仮名)。裏があっても表(仮名)。裏も持ってる表(仮名)でございます」(これ私)
「何を言ってるんだっ!
「こんな所で政策述べて、本当に投票に来られたら怖いじゃないですか!?」
「事前に決めていたのに、思い付きで指示するからこんな場所で、こんなことに……」
「もう、何でお墓なのよぉ」
「やべぇ、墓石にぶつけたかも」
選挙カーに乗車していた6人の罵詈雑言が、二本のマイクを通して墓地に響く。

結局、大き目の選挙カーが道なき道を右往左往しながらもどうにか墓地から脱出できたのは40分後だった。選挙事務所へ戻り、長を車から降ろさないと手伝いを拒否すると私たちはじいさんに凄み、結果、長は以降、乗車することはなかった。じいさん自体は悪い人ではない。本当に小さなことからコツコツと頑張って、ここまで登りつけた人だったので、長の排除に成功してから私たちは今まで以上にじいさんの応援に全力を注いだ。
最終日、声は枯れてそりゃ酷いものだった。顔は風焼けして真っ赤に晴れ上がり、髪の毛もボサボサ。ここまで来たら、何とかじいさんを当選させて、最後の御奉公をさせてやりたかった。
「表(仮名)、死んでも頑張ります!」
私の言葉に
「私はまだまだ死にませんっ!」
と、じいさんは泣きながら叫ぶ。
法で決められた時間いっぱいまで、私たちはとにかく頑張った。
結果、じいさんはブービー賞での当選を果たした。
そんなじいさんも今は、その墓に入っていると友人に聞いた。
小高い丘のあの墓地からじいさんは今、若い世代の候補者のアナウンスを聴いているのだろうか。

アホみたいだけど、本当の話