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例年、札幌の桜の開花はゴールデンウィーク後半以降。
近隣の者から小規模な桜の名所と呼ばれた桜並木
私が20代前半の頃、旅行鞄ひとつを手に、満開になったこの桜を仰ぎ見た記憶が今も鮮明にある。青空を背景に淡いピンクの小さな桜の群れは、我が我がと競い合うかのように咲き誇っていた。その美しさに私は心奪われ、そこでひとり桜を見た。
「来年も、再来年も絶対にこの桜、見てやるんだ」
私は僅かな着替えと身の回りのものが詰まった鞄を持ちなおすと、再び歩き出した。

卵巣がんのため、卵巣摘出手術。左卵巣は全摘出、右は開腹してみないとわからない

私は手術のために病院へ向かっていたのだが、その歩みを止めたのが満開の桜だった。母と二人暮らしで母は入院に付き添うと言ったが、私は断りひとりで鞄片手に歩いていた。あれこれ考えるのが面倒な性分で、何でも大袈裟に泣き叫ぶ感情のコントロールの利かない母同伴では、正直疲れる。何だかんだと言いながら、私はひとりで家を出た。悲壮感など皆無だった。その頃は病気続きで、将来には何の展望もなく“死”が速いか遅いかくらいにしか考えられず、別段、今死んだとしても自分の中では大問題でもなかった。私はよく亭主の感情が欠落しているが如くブログに書くが、実は私の方が正常範囲を超える欠落を抱えていたのかも知れない。

「死ぬようなことになれば面倒だよな。いや、私は送られる側だから面倒じゃねーか。面倒なのは送り出す私の母親か」
春のうららかな日差しを浴びながら満開の桜の下、恐らくこんなことを考えながら歩いていたのは多くの人の中、私だけだったろうと今も思う。
桜に気を取られ立ち止まる人々を邪魔に思いながら、その隙間を縫うように私は歩く。人が邪魔なのではなく、楽しそうに誰かと語らいながら桜を愛でる人が邪魔だったのかも知れない。
「くだらねーよな、桜ぐらいで浮かれてバカじゃ……」
怒りにかまけて思わず空を見上げた。そこには空が見えないくらい桜が咲き誇っていた。私はたちまち目を奪われ立ち止まる。

「くだらない、くだらないね。枯れることがわかっているのに、こんなに煌びやかに咲くなんてバカじゃないの」
そう呟きながら私の目から、涙が零れ落ちた。

私の桜の明確な記憶は小学校の入学式の時しかなかった。入学式を終えて、桜を背景にクラスで写真を撮影して。白のブラウスに黄色のカーディガン。そして、赤いスカート。普段、華やかな服を着ることが無かった私は、その恰好が嬉しくて仕方なかった。目の前にはあと僅かで手に触れそうな満開の桜。服を汚さないように、桜に触れようと何度もジャンプした。笑いながら……
しかし、私の中の桜の記憶は以降無い。それまで学校も家庭もモノクロにしか見えず、四季を彩る花すら記憶に留まることはなかったのだ。あの時、どんなに頑張っても桜に手が届くことのなかった私も今は身長173センチを超え、手を伸ばせば何かしらの桜に触れることが出来るようになっていた。泣きながら触れた桜の花びらは、私の指先で踊るように揺れた。バカと散々、毒づいていた私はこの時、空が青くて桜がピンク色だと改めて気づかされた。こんなに美しい光景を何年も気付かずにいたなんて、まさにバカは自分だったと思い知らされた。この綺麗な光景を来年も再来年も、更にその先見続けたいと思った。
「私さぁ、来年も必ずここでアンタを見に来るから。絶対に」
そう言うと私は鞄を手に再び歩き始めた。来年見ると決めたから、もう振り返りもしなかった。

その後、私は左卵巣全摘出、右は三分の二の摘出をされた。以降、状況によっては残りの卵巣も摘出すると言われ、子どもも将来授かる可能性は極めて低いとも言われた。

翌年、私は前年と同じ場所にひとり立っていた。頭上には満開の桜、空はどこまでも高く青かった。来年もと誓いを立てたこの場所を、他の誰かと来ることはしたくはなかった。その数年後、私は自分にとって特別な存在となった亭主を伴いこの場に立った。亭主は綺麗だと言ってくれた。たまらなく嬉しかった。その後、結婚して10年以上を経て授かった娘を連れて私はこの場へ立った。
「お母さん、綺麗だね」
障害を背負い生まれ、知的情緒面に希望を見いだせないはずであろう娘から、桜を見て思わずこぼれ出た言葉この日、私は人並みの幸せを手に入れたことに気付いた。

春、私は桜の花の下で生まれ変わった。桜の花と共に春を知り、また来年も生きていたいと願うようになった。


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これから病院行って来ます。
こんなこと、書いている暇があれば返事したらと自分でも思います。ごめんなさい。