amebaって何だか敷居が高くて、何があっても自分だけはここで世話になるとは思っていなかった。でも、一方的だってけれど、私の心を自らの『作品』で揺さぶった人が現れた。
描く側VS観る側の関係とは、実はかなり不安定で、楽しみに読んでいた作品がある日、突然サイトごと消失していたなんてこともザラだ。そんな時はいつも思う。
「あなたの作品が大好きです。と、どうしてしっかりと伝えなかったのか」と。
中には私がその作品を好きになる何年も前にサイトを始められていて、どんなにファンになっても「新参者には用はない」と、あからさまに意思表示してくる方もいると知って驚いたこともある。(私は直接、体験していないので有難いと思う)
本当に偶然、その方の作品を目にした。気張り過ぎることなく、自然体で自分の描きたいものを描いていく姿に憧れた。温かさがにじみ出ていて切ない気持ちさえ沸き立った。
誰かの何かに媚びることのない、その人の心の籠った作品や人柄に触れたくて、また今日も何度目かその方のサイトを訪れ、作品に触れ、消息を知ろうとする自分。
その方のサイト更新の連絡がいち早く頂けると知って、私はこのアメブロに根を下ろすことにした。
思い切って自分の気持ちを伝えるメールを送った。娘の中学受験の面接時だってこんなに緊張なんてしなかったと思う。その方はごく自然に返事を返して下さった。嬉しかった。
そんな気持ちとは別に、その方がプライベートで扱っている商品があって、どうしてもそれを家族で食してみたいと思っていた。悩んだけれど食い気に負けてついに注文まで入れてしまった。
美味しかった!娘は黒ごま味を、私はきなこ、そして亭主はラムレーズンを堪能した。美味いものは、最近、静まり返っていたリビングに家族を呼び寄せ笑顔と歓談の場にしてくれた。もっと驚いたのは、注文したラムレーズンが一つだったことを知った亭主が、普段は「お下品」と嫌な顔をするアイスのカップの蓋や底をスプーンでガリガリと漁っていたことだった。アイスのほんわかした優しい甘さは、家庭内別居状態の家族をもあっけない程にまとめ上げてしまった。娘に至っては、店のチラシに書かれていた文言を読んで「そうか、応仁の乱の時、西軍(西陣)だった山名氏にちなんで西陣織なんだ」と教科書に出ていないことを学んでいた。(私も初めて知りました)
けれども、何と言っても一番驚いたのは、その方が手書きのイラストやお手紙、葉書をも(別便郵送で)送って来てくださったことだった。
これ、これっ!もう、感涙モノでした、ほんと。
アイスを平らげた亭主に、私はこの手書きイラストがどれだけ価値があるのかを延々と説明した。
「私は先生とか師匠って呼んでるんだ。それだけ凄い人なんだから」
しかし、亭主は私からなるべく下半身を遠ざけながら
「確かに美味しかったんで感謝だけど、僕の先生や師匠とは……」
「上のふたりをまねて、最高な思いをしたらアンタもきっと彼女を先生と呼びたくなるはずだ」
結婚20年を超えてもなお、夫婦の間には微妙な溝があるようだ。
ちべた店長さま、感謝です。
【追記】
「“ちべた店長さま”って言い方、おかしくない?」
「“さかなクン”って書くと、ネットが荒れるんだぞ。“さん”を付けろ、でこ助野 郎!って。
私もアンタが“さま”付けしなかったら、家庭が荒れると思う」
日本語とはかくも難しいものである。
描く側VS観る側の関係とは、実はかなり不安定で、楽しみに読んでいた作品がある日、突然サイトごと消失していたなんてこともザラだ。そんな時はいつも思う。
「あなたの作品が大好きです。と、どうしてしっかりと伝えなかったのか」と。
中には私がその作品を好きになる何年も前にサイトを始められていて、どんなにファンになっても「新参者には用はない」と、あからさまに意思表示してくる方もいると知って驚いたこともある。(私は直接、体験していないので有難いと思う)
本当に偶然、その方の作品を目にした。気張り過ぎることなく、自然体で自分の描きたいものを描いていく姿に憧れた。温かさがにじみ出ていて切ない気持ちさえ沸き立った。
誰かの何かに媚びることのない、その人の心の籠った作品や人柄に触れたくて、また今日も何度目かその方のサイトを訪れ、作品に触れ、消息を知ろうとする自分。
その方のサイト更新の連絡がいち早く頂けると知って、私はこのアメブロに根を下ろすことにした。
思い切って自分の気持ちを伝えるメールを送った。娘の中学受験の面接時だってこんなに緊張なんてしなかったと思う。その方はごく自然に返事を返して下さった。嬉しかった。
そんな気持ちとは別に、その方がプライベートで扱っている商品があって、どうしてもそれを家族で食してみたいと思っていた。悩んだけれど食い気に負けてついに注文まで入れてしまった。
美味しかった!娘は黒ごま味を、私はきなこ、そして亭主はラムレーズンを堪能した。美味いものは、最近、静まり返っていたリビングに家族を呼び寄せ笑顔と歓談の場にしてくれた。もっと驚いたのは、注文したラムレーズンが一つだったことを知った亭主が、普段は「お下品」と嫌な顔をするアイスのカップの蓋や底をスプーンでガリガリと漁っていたことだった。アイスのほんわかした優しい甘さは、家庭内別居状態の家族をもあっけない程にまとめ上げてしまった。娘に至っては、店のチラシに書かれていた文言を読んで「そうか、応仁の乱の時、西軍(西陣)だった山名氏にちなんで西陣織なんだ」と教科書に出ていないことを学んでいた。(私も初めて知りました)
けれども、何と言っても一番驚いたのは、その方が手書きのイラストやお手紙、葉書をも(別便郵送で)送って来てくださったことだった。
これ、これっ!もう、感涙モノでした、ほんと。
アイスを平らげた亭主に、私はこの手書きイラストがどれだけ価値があるのかを延々と説明した。
「私は先生とか師匠って呼んでるんだ。それだけ凄い人なんだから」
しかし、亭主は私からなるべく下半身を遠ざけながら
「確かに美味しかったんで感謝だけど、僕の先生や師匠とは……」
「上のふたりをまねて、最高な思いをしたらアンタもきっと彼女を先生と呼びたくなるはずだ」
結婚20年を超えてもなお、夫婦の間には微妙な溝があるようだ。
ちべた店長さま、感謝です。
【追記】
「“ちべた店長さま”って言い方、おかしくない?」
「“さかなクン”って書くと、ネットが荒れるんだぞ。“さん”を付けろ、でこ助野 郎!って。
私もアンタが“さま”付けしなかったら、家庭が荒れると思う」
日本語とはかくも難しいものである。