このブログのことが良く分からぬうちに「取りあえず発進(発信)」してしまった自分。
自閉症と書いたせいか、これを検索ワードとしてこのブログを訪ねられてくる方が多くて驚いた。悩んでいる人、たくさんいるんだろうなぁ……ってな訳で、今回は娘のことを。

結婚して10年を過ぎ、思わぬ妊娠をした自分。そして、生まれたのがわが娘。
総合病院での産科大部屋にいたが、生まれたての我が子を抱き喜びに満ちた同室の親御さんの顔を見る度、何とも言えぬ気分になった。娘、他のとは何かが違うのだ。
具体的に「これだ!」と言う決定打はなかったが、六人部屋で何となく疎外感を感じていた記憶は今も鮮明だ。
そして、それは次第に具体化してきた。娘、私の乳房から母乳と言う物を全く飲もうとはしなかったのだ。運悪く、この病院は母乳至上主義を掲げていて、私の乳房から顔を背ける娘に「やりかたが悪い」「下手だ」「要領が悪い」等など散々に責め続けられた。産後の喜びなどもうない。娘はあっと言う間に医学的にマズイほどに痩せ、私が絞った乳を哺乳瓶で与えたりもしたが、やはり飲み方はよくはない。
こんなに痩せてまで母乳に拘るってこの病院、頭おかしい。テレビや雑誌ではこんなに国産の優良乳幼児ミルクを宣伝・販売しているのに、それに背を向け母乳を与えない者は母にあらずなど、私からすればお前らが医療に携わるべき者じゃねぇって怒りが混み上がる。傷も満足にふさがらないまま、私はこの病院を出た。
自宅に戻り粉ミルクを与えるが、やはり飲もうとはしなかった。メーカーを替え、哺乳瓶を替えと様々なことをするが娘は飲むことを断固、拒否し続けた。
もう、精神的に限界だった。育児がラクなどとは思ってなかったが、まさか母乳やミルクを飲ませる段階で躓くなんて思ってもなかった。看護師の自分を責める言葉が頭の中でぐるぐる回る。
「……お前さぁ、もう好きにし
切れた私はタオルを巻いた物に哺乳瓶をもたれさせ、娘の口に寝かせたまま入れた。
「あ゛っ!?」
何と、娘は今まで見たこともない勢いで哺乳瓶からミルクを飲み始めた。それまではカブトムシがスイカの汁を吸うくらいしか飲まなかったミルクを娘は私の目の前で一本分を一気飲みしてしまった。
こんなこと、スポック博士の医学書にも、たまひよの育児書にも出てなんてなかった。確かにスポック博士も我が子を放置プレーで授乳せよなんて口が裂けても推奨はしないだろう。けれども、私は床で勢いよくミルクを飲む娘を見て、やっと彼女と心を通わせることができた気がした。この勢いでミルクを飲み続けた娘は、あっと言う間に標準体重に達してしまった。推測ではあるが、自閉症児である娘は抱かれての授乳がかなり苦痛だったようだった。

母乳は神から授けられた素晴らしいものに違いないとは思う。
けれども、それを与える者・それを授けられる側の者も千差万別あり、全てがこの行いに対する『最高な行為』とはならないと、私は押しつぶされそうな思いの中で知ったし、娘に至ってはまさに命がけでそれを伝えたのだろうと思う。もしも、同じようなことで悩んでいるご家族やお母さんがいるのなら私は声を大にして言いたい。
売られている育児書も医師や看護師・保健婦が勧める母乳などの育児方法は確かに素晴らしのだろうが、それはあくまで今日までの多くのサンプルの平均値に過ぎないし、サンプル外と言う規格外も確かに存在しながら子育てはされていたのだ。私の母親の頃の育児法は今となれば、有り得ない方法になってさえいる場合もある。実母に至っては今でも火傷をすると味噌やジャガイモを摩り下ろした物を患部に載せようとする。患部から菌が入るなど、想像もつかないらしい。
冷静になれば、重い障害や疾患を持つ子首をひねって治るなどあり得ない訳だし、それが本当に有効ならば世界中で行われているはずだ。人の不幸につけ込む輩はクソだが、「これは絶対に必要」「これをすれば大丈夫」などという言葉から我が子の命を守ることができるのもまた、親だと言うことを常に思い続けていて欲しい。