私ら夫婦は基本、自宅で飲酒はしない。
私はその昔、実母のアルコール中毒で幾度も酔った勢いで殺されそうになったりしたので、精神的にも酒は好きになれない。
亭主も仕事上の付き合い等で飲む機会はそこそこあるが、楽しいとか美味いと言う感覚で飲んでいるとは思えない。
飲み会となればご当地『すすきの』なのだが、家を出る時にはしっかりと飲み代を受け取りながらも、この男、帰りに手土産一つ、買ってきたことがなかった。
昔の酔っ払い、取りあえず寿司折持って帰宅して、夜中でも容赦なく妻子を叩き起こして食べさせると言う風景があったみたいだが、我が家は金だけ取られてしっかりと自分だけが飲食して帰宅する。父権(夫権)消失の一因は案外、こんなことも関係しているのかも知れない。
「あんたさぁ、自分は散々、外で美味い物食べて口拭って帰宅して気分いい?」
ところが我が亭主、遠回りの言い回しが殆ど理解できない。
「食べて口拭かないと汚いじゃん」
「……」
私がイワン雷帝だったら、この男、もう千回以上は殺されているだろうと思う。
「いや、お土産だ。
外で美味い物食ったら、家で帰りを待つ健気な嫁にも食わせてやりたいって思うだろう?」
全くそう思わない亭主は返事に窮する。
私は酔っぱらった亭主が、帰りを待つ家族にお土産を買うと家族が喜ぶと言う人の道を延々と亭主に説いた。途中で人を放棄したくなった亭主は
「わかった。今度、必ず買って来るから」
と、言うと酒臭い息を吐きながらケツを向けてさっさと寝てしまった。

それから数か月たったある日。
久々に会社で飲み会があると亭主が、金の要求をしてきた。
福沢諭吉氏のブロマイドを一枚手にした亭主は、朝から酔っているかのごとくご機嫌で出かけて行った。
さて、その夜……
「帰ったぞぉ」
深夜、横柄な態度で帰宅した亭主。
私は探偵ナイトスクープに夢中になっていて、
「はいはい、お帰り。テレビが聞こえないから、もう喋らないでね」
と、可愛らしく注文をした。しかし……
「へっへっへっ。ジャーン!!」
亭主は背後で調子の外れた音で擬音を出している。
「んだよぉ」
振り向く私の視界に飛び込んできたのは何と!焼き鳥!!!

私は鶏が大好きだ。『鳥』ではなく『鶏』。
俗名:ニワトリ、戒名(法名):かしわ。
私はナイトスクープに背を向けた。
「今夜はお土産買って来たんだよ~ん」
亭主は全盛期のマリーアントワネットのように、その手にした焼き鳥を優雅に自慢げに見せた。
「おぉっ!偉いね。やれば出来るじゃん。いよっ、男の鏡っ!!」
もう、歌舞伎での「中村屋!」のような掛け声が深夜の部屋に連呼する。亭主は今にでも見得を切りそうな勢いだ。

亭主は私の好きな『塩』を30本買ってきてくれた。
まだ、温もりの残るその焼き鳥を私は口に入れた。
「うめぇ……」
酒を飲まない私は取りあえずコップに水を汲んで、水を手にしながら2本、
3本と食べ始めた。
背後で亭主が
「僕が買ってきた……」
を連呼していたが、私は亭主を無視してひたすら食べる。
気付けば亭主は奥の部屋で熟睡していた。私は深夜番組をお供にしながら、鶏を貪り続けた。

日曜の朝、熟睡していた私を亭主が泣きそうな声で起こした。
「んだよぉ。眠いんだってば」
布団を被ろうとする私の手を掴み、亭主は必死に何かを訴えている。
あまりにうるさくて根負けした私は、ついに布団から這い出てリビングに来た。亭主は必死に昨夜、自分が土産として持ち帰った焼き鳥を食べようとしたら、鶏の肉はなく、串30本がキッチンにまとめられていることを抗議していることがやっと理解できた。
「あぁ、食った。全部食った」
亭主は涙目になりながら、30本買って自分の分が1本もないのは
おかしいと主張し続ける。
「あんた、焼き鳥屋さんで焼きたてを何本も食べたんでしょう?
私は冷えたのしか食べてないんだ。焼き鳥くらいでいい年の男がガタガタと文句言うな!
そんなに大切なものなら、名前でも書いておけ!」
と、私は亭主の言い分を突っぱねた。
「あなたは(亭主は私のことを、ふたりきりでもこんな風に呼ぶ)僕に対して冷たすぎるんじゃないですか?例えば……」
焼き鳥が導火線となり、亭主は私の過去のことをいくつか持ち出し文句を言いだした。
「それを言う?今、言っちゃう?ほぉ~っ。だったら私も言わせてもらうけどさぁ……」
私たち夫婦は焼き鳥30本分の空串を前に、互いの人格攻撃を容赦なく始めた。互いの心に串が1本ずつ、深く突き刺さるかの様な痛みを感じた。
互いに口が疲れて無口になった頃には、もう焼き鳥など見たくもなくなっていた。この日以来、我が家には『非焼き鳥三原則』(焼き鳥を持た、作らず、持ち込ませずの三原則)が不文律として成立した。
そして、冷蔵庫の中には亭主の名の書かれた食べ物がいくつも存在するようになった。