20歳過ぎた頃、腎臓の病気をしてから様々な病との戦いが始まったのだと思う。

 

この腎臓の病も某大学病院(今通院中ではない方)で誤診されて、その間治療もやらなければならない事もタイミングを逃し、神奈川の東海大付属病院で救ってもらえた。

こちらの病院では「○○って湿疹です。珍しいから生検させて」と足の肉を穿られ、今も丸くくり抜いた痕がある。

「症例として写真撮影させて」と言われ、スカートをまくり上げ下半身の紫斑だらけの太ももから下の写真も撮られた。あの病院では今も私の画像を間違った病の症例として扱っているんだろうな。チーン

 

東海大では受付を終えた後に何科にするか振り分けをする医師に「腎臓を扱う内科に」と言われ「?」だったが、見ただけで判断して即入院手術までしてくれた恩は忘れない。

その後も医師に気付かれないレアな病気ばかり引き当てて、それでも何とか医療の恩恵に与り今も生きられている。

 

薬や医学のために、今も多くの動物が犠牲になってくれている。

医学もここまで来るのに、多くの人が貢献してくれた。

 

だから私もご恩返しすることにした。

 

 

 

自分の死後、この身体を大学病院に提供して今後の医学に役立てて頂くことになった。

 

20年くらい前から考えていたけれど、平成になり献体はかなり多くなり一時期、受付自体が停止されていた。

私も残念だと諦めていたけれど、先日何と!献体の受付が再開していた。

すぐに申し込みをして手続き書類を送ってもらい、亭主や娘に署名してもらい返信してやっと正式に受理された。

 

 

 

こんな風に携帯出来る会員証もあって、財布に入れておけば大丈夫かな。

 

私の場合、死亡した病院から献体先に連絡を入れてもらい通夜無しで即、献体として引き取ってもらう予定。

2年ぐらい掛けて全身、細々と刻んで教材として役立った後、献体先で火葬にしてもらい市の共同墓地か献体の仲間と共に大学で用意された慰霊碑に入るところまで段取りをつけた。

あくまでこれは私の場合なので。献体しても通夜葬儀をする方もたくさんおられるし、後に遺骨が戻れば自分の家の墓に入るとか普通のこともできるから。

 

私はコロナワクチンは全て接種しているし、これからも接種を続けるつもり。

でも、これはワクチンを完全に肯定する意味ではない。

分からないから考えて考えて、だったら接種し続けて一つの症例になればと思った。

肺疾患やら難病も様々持っているので私の死後、この身体を刻み調べて欲しいと思う。

この病を持った者が○回接種したらどうなったか、私は医学に委ねる。

答えに自分の主観は入れない。

私の死後、この身体が一つの事実を導いてくれるはずだから。

 

 

「ワクチン接種して○○(固有名詞や人数)死んだらしい」

よく目にする様になった文言。

人がひとり死ぬって、この世からいなくなるって大変なことなんだよぁ。

嘆き悲しむ人がいて、この世から去る手続きがあまりにも煩雑で。

 

確認もせずに、その「らしい」の文言を、伝言ゲームの様に匿名で広げる人たち。

今は何も分からない。分からないから肯定も否定も意見を求められても「正しい答え」を述べることの出来る人はいない。

でも、自分の耳に心地よい「らしい」だけを信じて「善意の人」となり拡散をする人たち、お願いだからちょっと立ち止まって考えて欲しいと思う。

 

「私は無宗教。神も仏も信じない。いや、神も仏も存在してない。」

そう言い切る人が何故か、会った事も無い、存在も定かではない人のネット上での言葉をいともたやすく信じてしまう不思議。

 

一ひとりが死ぬことの大きさ。それが事実だと自分の目で見て、その場で確かめたのなら「かも知れない」「に、違いない」と事実に肉付けせず「事実だけ」を情報として発信して欲しいと切に思う。

私には議論するほどの医学的知識はないけれど、この身体を提供することによって事実を確かめるための僅かな伝手になってくれればと思う。

 

コロナなんて克服して、思い切り働いたり勉強したり頑張りたいって願う気持ちはみんな同じ。