はむはむ草 朝里庵 -9ページ目

はむはむ草 朝里庵

はむはむなるままに、ひぐらし。

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もう5年以上前だと思うけど、
岡本太郎が好きで、買った本の中に「太郎に訊け!」という
本があった(青林工藝社)。

岡本 太郎
太郎に訊け!〈3〉岡本太郎流激突人生相談



昔、「プレイボーイ」誌で連載されていた、
若者の人生相談をまとめたものらしい。
最近ではダウンタウンの松本氏などがやってたあれ。


全3巻らしいが、当時本屋に「3」しか無かったので、
私はそれを買ったのだった。


現在、どういういきさつだったか、それを手にとってみた。
中は線が引かれ、メモ書きなどがされていた。
当時、大分感動していたようだ。


そして、それを読み返すと今また、どうしようもない感動と
衝動に襲われた。
当時を思い出した、というより、現在の自分にも、
あまりに必要な言葉が述べ倒されていたからである。
質問は、世俗的、短絡的、常識的、時には一人では抗し難い
深刻な悩みもあるが、岡本太郎はそれに一貫した筋を通して
ズバッと答えていく。
その美学と人生の言葉。
最近の模索と行動に対し、ストライクに返ってきたのである。
思わず、涙が吹き出た。


岡本太郎の意見をどう取るかは、人次第だろう。
とかく他人の気持ちは分からない。
以下は、私が感じた主な部分を述べたいと思う。


私は、悩む。
それには、色々な理由があるが、最終的には、どう納得して
生きるかという問題だ。
日々を生きる現実で、納得できないことは多い。
おばちゃん等によく言われる「しゃあないやん」は
ある意味すごい言葉だが、感情の強い私はどうも我慢が出来ない。
人生全てが「我慢」の視点で埋まると、息苦しくて、とても
生き抜く自信がない。
人によっては同じことを「我慢」と取らない場合がある。
そう考えると、「個人差」を埋めることが課題のようにも思われるが、
そんなことは不可能。自然への冒涜。
大体、そんな「受身」の生き方しか出来ないのか。
内からうごめいてくる、暗黒の感情。辛すぎる。


そんな私の閉塞的な感情に、岡本太郎は突きつけてくる。
「覚悟」するんだよと。
生即死。
死即生。
瞬間瞬間に覚悟が出来て、初めて人生は生きてくる。
君にはそれが出来るかい?と。


私の打算的な小心をビシッと指差してくる。
ズキリとする。


普通は他人に「覚悟がたりない」なんて言われると、
「お前はどうなんだよ、まず自分を見ろ」なんて言いたくなるが、
岡本太郎はそれを実践している。
だから、反感や落ち込むというより、むしろ勇気が沸くのだ。



「覚悟」の美学。
口で言うのは安い。
しかし、岡本太郎は、それを「体得」している。
何か目の前で、困難な問題が起こる。
岡本太郎だって、一瞬は「面倒だな、避けたい」と思うはずである。
しかし、彼は、そのつど
「ええい、だったらむしろやってやろうじゃないか」と
覚悟を決めるのである。
瞬間瞬間、いつ何時も。


そして、その「覚悟」とは、
「それを全力で楽しむ」ということ。
だから、彼はいつも全力。手を抜けない。
それを癖にしている。だから、筋が通る。


私は、武道の某達人を彷彿する。
「瞬間を永遠のように開き、全力を尽くす」
その様な発言を聞くと、岡本太郎と同じことを言っている気がするのだ。


「体で覚える」
自分に一番足りていないことなのかもしれない。
地べたを這いずり回ることにある種のエクスタシーを感じないと、
何も始まらないのだと。
その一瞬一瞬。
朝起きたときも、何かが周りで起きた時も。何より、今、この瞬間。
「覚悟」出来ますか?
「面白くなる」までエネルギーを出し尽くす「覚悟」、出来ますか。
「技能」として体得できるまで意識的に繰り返す「覚悟」、出来ますか。
私は、そう問われている。



意味もないのに、RPGの退屈なレベル上げで、クリアにお釣りが
来すぎるほどレベルを上げる人。
人間は本来、打算とは違う快楽性を持っている。
元々あるものを正しく認めるだけ。
そんな気もしているのだ。


とにかく這いずりまわる。
そんな人に、私はなりたい。

家で描いて、喫茶店で描いて。
油、鉛筆、ボールペン…


ちょっと気づいた。
練習と、実戦。
これはセットにすべきだと。


練習だけだと、実戦に対応出来ない。
基礎練習と応用は全く別物。
実戦の為に練習するわけだから、
応用が出来ないと現時点で意味がない。


実戦だけだと、復習が足りない。
本番というものは、学ぶことが多くある。
しかし、それを生かせるかどうかは、復習の密度による。
復習は、いつもの単調な練習の反復で効果が出る。


不満な夜がある。
作品を作っているのに不満。
練習したのに不満。
何かが足りない。
それは、両方しないからだ。
効率が悪い。
明日をもっと楽しむには、両方必要なのだ。


例えば、楽器が上手くなるのが早い人は、
きっと毎日のようにライブをして、帰った家でも弾いている。
別に本気本番でなくとも、実戦に近いことは可能だろう。
メンバーで弾き、一人でも常に弾くのである。


空手の道場訓に、空手は湯の如しというのがある。
絶えず熱度を与えざれば、元の水に還ると。


私は武道はまだまだ素人だから、勘違いは、しているかもしれない。
だから、考えはまた変わるかも。それだけは前述しておくけど。


上記の訓で、ふと思いつくことがあった。
これは「練習サボると下手に戻るぞ」という意見にも取れるが、
実際、人間は一度体で覚えたことは、そうそう忘れはしない。
サボればもちろん今より下手になるが、素人に戻るわけではない。
では、この言葉の真意は。
毎日、実戦や練習を繰り返すと、ある種の緊張感が常に保たれる。
この緊張感が、実は、上達の架け橋ではないのか。
学者が常に同じ考え事をしていて、ある時、ふとひらめく感じ。
それが、究極は上達の秘訣ではないか。


練習や実戦の間を何日も置くと、この緊張感が薄れる。
薄れると、問題提起を忘れる。
これが、「元の水に還る」ではないかと思ったのだ。


一応、補足しておくけど、どうしても、行き詰る時はある。
そういう時は、長期に休んだりするものだ。
すると、その間に脳が整理されたりする。
脳内棚卸しですね(笑)。
緊張より優先せねばならぬ場合もあるとは思います。時にね。


他者からの情報にあまりまみれると、私は混乱してくる。
そこに私の「体」がないですものね。
それはもう、「お腹いっぱい」のサイン。
体を動かしましょう。
手を動かしましょう。
評価なんか気にせず、
頭をいっぱい使って、吐き出して、新陳代謝を促しましょう。
するとあら不思議、
またお腹が減ってきた。

ひとりたび1年生/たかぎ なおこ
¥1,050
旅のエッセイ本は数あれど、
ここまでリアルな旅情を感じるものは少ない。
旅館で目覚める朝の空気、
わびしさと開放感の織り成す、どこか
ノスタルジックな光景…
私の波長と合っているのだろうか。

ともかく、絵がすごい。
こんな単調な線で、すぐさま
リアルな光景と空気を想像させる。
これぞイラストの真骨頂ではないだろうか。

色合いもいい。
なぜか、クレーの絵を思い出した。
記憶を引き出す、旅の色。
ああ…

紙粘土を買いに文房具屋に行き、
紙パレットを買って店を出た。


紙違いだった。




初代「100語でスタート!英会話」が再放送されているようだ。
ジョージ・ウィリアムズと加藤夏希の名コンビ(あとダリオ)が織り成す、
名語学講座。


投野 由紀夫
NHK100語でスタート! 英会話 ~アメリカ編 DVD + BOOK (NHK出版DVD+BOOK)


もう何年も前のやつなのに。
ナッキーがブレイクしているからだろうか。


後半になってくると、お互い息も合ってきて、
その掛け合いがほのぼのしていていい。
最終回はほろりと来る。
ああ、本当に楽しかったんだなあと思ってしまう。
ジョージ先生のシリーズは合計3つあるけど、
この初代シリーズが一番いい。
懐かしいなぁ。

昨日、自分なりにある結論が出た。


人の中で何かを成すには、物語が必要だということ。
それは、物だったり、力だったり、言葉だったり、容姿だったり、
雰囲気だったり。
そして、未来への期待。


得意分野は人それぞれだろうけど、これらの総合点で
人は評価されるのだと思う。


そういう観点では、ダリの奇行も肯定できる。
芸術も経済も、政治だっていっしょ。
物語に何が多く含まれるかで、中身の印象は随分変わってくるだろうけど。


当人にとっては、中身も外装も大事だということですね。