はむはむ草 朝里庵 -10ページ目

はむはむ草 朝里庵

はむはむなるままに、ひぐらし。

(トップページに戻るにはすぐ上のタイトルを押して下さい。)

あ~、暑いし、寒い。
体調崩したな、こりゃ。







それはともかく、上の。
最近の、いわゆる「走り描き」?です。
あまり考えず、リズムに乗って手の動くままに
描いた絵です。完成図を想像せずに描いているので、
描き終わって「なんじゃこれ」ってなことに、当然なります。


こういう描き方は、線の勉強になります。
自分の癖が浮き彫りになるのです。
どの状態での線の引きで、快感か、苦痛か。
困った時、どういうごまかしをしているか、
そういうことが感覚的に分かるのです。


何か模様や形状、デザインを考える時、自分の癖を
理解していると、あと何が足りないか、割とはっきりします。
オリジナルで何かを描こうという人にはきっと
役に立つはずです。



その上で思ったこと。
絵を描くと一言でいっても、画風以前に
「どういうモードで描くか」というのがあると思うのですよ。


完成図を予想して、それに向かって正確に描いていく場合。
手の赴くままに、伸び伸びと描く場合。
この二つの間には、無限ともいえる交わりの段階があり、
その中で、自分の絵に対する目的が一致するところを、
画家は皆、探しているのでしょうか。


この辺はまだまだ手探りの段階ですけれども、
考えているのであります。


今だ、芸術や商業美術の技術的ルールがよく分かりませんからね。
色々な理論がありますが、結局芯棒はどこだと思うと、
やっぱりよく分からない。
そこは自分で考えてというのがほとんど。


言いたいことは分かります。考えるのは大事ですよ。
でも、それだけでいいのかなぁ。
技術的な意味で、過去の整理だけでも、しておいた方が
いいんじゃないかなぁ。
美大や専門学校では、そういうことをちゃんと教わって
いるのかしら。
スポーツなどと違って、しっかりしたルールがない分、
その辺あいまいですよね。
「気付け」というのは武道に近いけど。
う~ん。この情報過多の時代に。


芯棒がない分、はっきり自分を持たないと辛いですね、こりゃ。

その1
幾日か前、文庫漫画「水木しげる伝」
(ボクの一生はゲゲゲの楽園だ、改題)を買った。


完全版 水木しげる伝〈上〉戦前編 (講談社漫画文庫)/水木 しげる
上下巻を買ってワーイと帰って、上巻を読み終えた。
そして、下巻を開くと…


時代がスポーンと飛んでいる。ラバウルでの話はどこへ
行ったのか。それは「ラバウル戦記」で読んどくれと
いうことか。


よくよく調べてみると…


なんと、中巻の存在発覚!
でも、上下しか売ってなかった…
そして、奈良の本屋ではもう見つからない…
なんか、微妙な気分。



その2
うがい薬のイソジンが切れたので、薬局に買いに行く。
一軒目は、カウンターに言わないと出してくれないと言ったので
パス。イソジン定価は嫌だ。
で、二軒目。
ありました。
でも、なんか、おまけが付いている。
カバ君付きの、コップの取っ手(コップそのものではない)。
私はイソジンユーザーだが、実はイソジンのおまけが嫌いだ。
安っぽい作りだし、何より、使い道がない。
カバ君コップ置きとかいらない。
コップは元からイソジン本体に付けられるだろうが。
子供が喜ぶのかなあ…
でも、
「お母ちゃ~ん、イソジン買って~」なんていう
衛生主義のガキなぞ見たこともない。
私ならお菓子を買ってもらう。
これで本当に販促効果が得られるのだろうか…


というわけで私は、自分にとってはゴミを増やすだけの、
地球に優しくない「おまけ付きイソジン」を避けて、
以前のノーマルイソジンを探すわけだが、
残念ながらノーマルはなかった。大盛況のようだ。


こういう販促品で、疑問のある製品は多い。
代表的なもの。
女性雑誌のおまけ。
ブランドなど高級品がぎっしり乗った、垢抜けた雑誌のおまけに、
安っぽいポーチ。
おしゃれ感覚のある人なら、製品の良し悪し別として
使えないでしょう、恥ずかしくて。
だって、おまけですよ。商品の物語が(笑)。
てことは、その雑誌はおしゃれじゃない人がターゲット
なんでしょうか。…複雑怪奇です。


どうせなら、メーカータイアップで化粧品の試供品とか
入れたらいいのにね。
絶対売れるよ、これ。



その3
最近、おかげさまで痩せてきた。
元の体型に戻ってきました。
あ、これはグチじゃないや。報告です。




大学時代に描いた絵を元に、新たな絵を描いている。
そこで、ふと、その元の絵をいじくることを思い立った。
ちょこっと描き足す。



…これでいいんじゃねえか?
なんか、納得してしまった。
新しい絵の運命は…
いや、ちゃんと描きますけどね。
いろいろ試しているもんで。


当時は誰にも、見向きもされなかった絵。
確かに、自分でも何かが足りないと思っていた。
世界が欲しい。
物語である必要はない。
ただ、ただ、かつてあった世界が…


住人が帰ってきたのだ。
良かった。
左目に見えていたものが現実の地元世界なら、
右目に見えていたのはもう1つの世界。
物理を越えた、自分の為の世界。
それを物理的に繋げることが、絵を描くこと。
お帰り。



絵そのものよりパレットのほうが綺麗だと

思うことがよくある。