はむはむ草 朝里庵 -11ページ目

はむはむ草 朝里庵

はむはむなるままに、ひぐらし。

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今日の夕方に、春日大社に行ってみた。
奈良市に住んで10年、
恥ずかしながら行くのは初めて。
なんでだろう。大仏は何回か見てるのに。
何となく、遠くにあるイメージだから?


東大寺前にある入り口から入ってみる。
うっそうとした林道、その木の元には
長老のように老けた鹿が座り込んでいる。
若い鹿が割かし騒がしい人通りに出ているのに対し、
老鹿は林の奥で隠居生活をしているようだ。
堂々たる様である。


春日大社は、その名前の通り、でかかった。
歩けども歩けども、道が続く。
鳥羽伏見の稲荷神社も歩いたが、そんな感じだろうか。
連なる灯篭の大通りを進んでいく。


山道となり、一番奥の紀伊神社にたどりついた。
和歌山(紀伊の国)出身だし、万物の生気の神ということで、
気に入ったのでお参りする。
で、別道から歩いて帰った。




そうそう、来る采女(うねめ)祭り用の猿沢池ちょうちんを、
今回やっと写真に収めた。
「うねめまつり」は福島県郡山市でも行われているらしい。
その辺の歴史的経緯に興味がある人は
調べてみてください。奈良にも郡山市のミス采女が
登場するとか。なかなか面白い企画です。










布描き絵の具(ペンテル)というやつを使い、
Tシャツに絵を描いてみた。
絵の具が載らなかったり、にじんだり、結構癖がある。
使用例とかみると、ものすごく綺麗なグラデーション絵が
描かれているけど、不器用な私には到底無理。
こういうの出来る人って、小学生くらいから既に得意ですよね。
才能、というか快感美学の違いかしら。
描いてみたいけど、最中は我慢でムズムズするんだよな、
こういうの。


で、なんか素人くさいのができた。
実際、素人ですけどね。
ほかの人のブログとかで作品を見ると、うめー!
なんか、ああはならない。無念。
でも、なんかチープだけど味のある、てのが
出来ればな~とは思うのだけど。



昨日の夜、画材を探していたら過去のスケッチブックが
出てきた。かなり前の、10年くらい前のやつから。
その絵を見ていると、
当時、それを描いていたときの気持ちや出来事が
思い出されてきた。
不思議だ。
字を書いていなくとも、そこには感情や思い出が
封じ込められている。


今の時点で、その絵をデッサンとして評価すると、
それはひどいものだ。
しかし、このスケッチブックには「情」がこもっている。
歓び、志、苦悩、絶望…
作品に一番重要なものはなにか。
人に訴えたい何かとはどういうものか。
改めて感じさせてくれる。


今から、過去を覗く。
それは逆に、未来にも当てはまることで、
明日へ向かうこの今、何を残していけばよいかの
指針ともなる。
未来の自分は今の絵を見て、きっとデッサン力の知屈さで
頬を赤らめ、読み取れる情景に再び未来を見るのであろう。


デッサンも大事だが、魂を込めることが最も重要なのだ。
魂は育つ。
育てるぞ、私は。
過去の私を泣かせない為にも。




あつ~い話はこれくらいにして、
今日の出来事。


既に日は暮れて、
奈良市は猿沢池のあたりを散歩した。
池岸に沿って提灯がずらりと灯され、なかなか壮観。
水面に反射するのでさらに倍。美しい。
もうすぐ采女(うねめ)祭りだって。
写真に撮りたかったけど、カメラを持ってこなかった。
また機会があれば。


帰宅したら、なぜか玄関にバッタが入っていた。
トノサマバッタに似ているが、違う気もする。
触覚がやたら長い。体長の2倍はある。
居間にまで入ってきたので、追い出そうと捕まえたが、
せっかくだから観察してみることにした。
ひとり風流。

私は好き嫌いはあまりないです。
これ、あまり口にあわない…というのはありますが、
食えないというほどのものはあんまりありません。
出されたら食べます。


しかし、味付けは別です。
たまに「おーい」な味がする食べ物は無理な時があります。
記憶にあるのは某食堂の漬物。
年季の入った人間を食べているような
味がします(あくまでイメージ)。
他の漬物はいけますが、ここのだけはダメです。
ここでは私は「漬物嫌い」で通ってます。
ま、まあね…


あと、生臭いのもダメです。
陸のものは大概いけますが(レバーとか)、海のそういうものは
苦手です。
食べれますけどね。



そういえば、日常食べているジャンクフード、
よくよく考えてみたら子供時代から食べてません?
どうも「たまに食べたくなるチープな味」というのは
幼児体験みたいなものから来てるのかなと。幼児は幼すぎか。


私はマクドナルドにあまり行きません。
年に一回行けばいい方です。
私の田舎では、マクドナルドが行動範囲内に
ありませんでした。
TVで頻繁に登場するドナルドは、一体どこにいるのだろう、
そう思っていたものです。
そのせいですかね、
あまり食べたくならないのは。


ポテトチップはよく食べてました。
今でも、ちょくちょく食べます。
う~ん。



それは置いといて、
この間、酢に漬けたキャベツの話。
立派なピクルスになりました。
まあ、立派っちゅーか、そりゃそうだろってな話ですが。
たまにつまんでます。


これも、何杯酢にするかが大事なんですね。すっぱ。

最近、絵ばっか描いています。
本はあまり読まなくなりました。
苦手な色塗りに挑戦して幾日、
「色を置く」という本質的な喜びを知るとともに、
未来への、現実的な厳しさも感覚的に分かってまいりました。
しかし、それほど打ちのめされてはいません。
今、何をすればよいかの方向が分かったので、
むしろ楽しんでいるくらいです。
比較すれば、大目標はあっても、
本日これからの方向性が定まらない不安ほど
辛いことはありません。


歩いていればいつかは着くという確信、
たとえ寿命までに着かなくとも、道を楽しむ。
私はもともとRPGが好きなので平気です。
クリアする為でなく、クリアという目標に向かって
積み立てていくことを楽しむ、そういうのがいいです。



さて、絵を描いていて、ふと思い出したこと。
デジタルスタジアムというTV番組がありまして、
若き映像、パフォーマンスクリエイター達が
作品を発表していく番組なのですが、
それに賞をつけるという発表番組があったのです。


最近はあまり観てなくて、かなり前の記憶なのですが、
その時は時代人形劇、たしか「鬼」というのが
最終審査で話し合われていた気がします。
鬼と呼ばれる山の怪人を殺しにいく若者の話ですが、
私は人形のビデオをほとんど作ったことがないので
この作品の素晴らしさがいまいち分かりませんでした。
雨の表現など、技術的なこだわりが徹底されてたからかも
しれません。


で、この審査でMAYA MAXXさん等が
「なんでこの現代に、この時代作品なのかわからない」
という感じの発言をして、
それを聞いた「ニャッキ!」の作者が
「作りたいものを作ればいいんですよ。こういう作品を
作るな、なんてのは傲慢です」
みたいな反論をしていた記憶があります。


私はこの話がずっと引っ掛かっていました。
自分は絵を描く時、何を描いているか。
絵の人が手持ち無沙汰な時、何を持たせるか。
TV、漫画、ゲームの影響が色濃い私はよく
剣を持たせます。銃の時もたまにありますが、
ミリタリーにはあまり興味がないので適当です。


この、「持ち物」がいったい何を意味するのかが
気になっていたのです。


イラストというものは想像が命です。
せいぜい幅何十センチの絵だけでは、大した情報はありません。
そこになるたけ、目立つだけ情報を詰め込んでも、
却って邪魔くさい。
人は情報を受け取った後、自分のストックから
関連情報を引き出します。
それが本人にとって好ましいものであれば、その人にとって
その絵は「いいもの」となります。
絵とは、コミュニケーションを必要としているのです。


では、剣は何を意味するのか。
それで何をするのだろう。
人は想像します。
その持ち主の表情、装束から
この人の職業を、そして、
手の剣は人を斬るものか、ケモノや物の怪を斬るものか、
はたまた暴力から身を守る為のものか。


何故剣か。
私は真剣を持ったことはありません。
持つ必要性があったこともありません。
でも、剣を持たせる。
何かの象徴でしょうか。
人間の持つ暴力性。
退屈への反抗。
恐怖への対抗。
強さへの渇望。
生命観への回帰。


これが携帯電話でも、いいわけです。
そういうときもあるでしょう。
しかし、普段持たないものを持たせるということには、
まだまだ深い意味が眠っているような、
そんな気がするのです。



ファンタジー。
先ほどのクリエイター達の討論は、
アートというものの根幹をつついたものだと思うのです。


ファンタジーが横行するメディアアート。
MAYA MAXXさんは「現実、ちゃんと見ているか」と
云っているような気がします。
「ニャッキ!」の伊藤有壱さんは
「ファンタジーなしの芸術なんて存在しない」と
主張した気がしました。
解釈がすぎるでしょうか?


人が何かを想像したり、夢を見たとき、そこには必ず
「ファンタジー」がある。
古代だろうと現代だろうと、それは変わらない。
でも、「現実」というものを切り取り、それを提示して
変えていくのもまたアートの仕事。
「空想と現実」の狭間で絶えず葛藤する、それが芸術。
「現実から目を背けたファンタジーは意味がない」
「いや、目を背けたという現実がファンタジーを生む」
皆さんはどう思われますか。

昆布酢を作ってみた。

酢に昆布を入れるだけだが。

これに醤油をちょっとたらし、
キャベツを漬けてみる。

冷蔵庫へ。

これはピクルスか、浅漬けか。

適当である。

それは後日のお楽しみ。