昨日の写真。
平城旧跡はひたすら静かで草原を風がそよぐ。
虫除けスプレーをかけて行ったのに蚊にくわれた。
昨日とかぶるけど、平城宮から見えた花火。周りには誰もいない。
この遠くの花火の侘び寂びを分かっていただければ。
お面というか、顔の立体を作りたいと思い、
昨日、風船を膨らませて新聞紙を貼った。
下地の部分を付けたらまた、乾くのを待つ。
明日かそれ以後、乾いたらいよいよ顔面を形作るのだ。
私は紙粘土があまり好きではない。
乾くのが遅いからだ。待ちきれない。
釣りは短気の方が向いているというが、
私は短気すぎて却って向いてないと思う。
待つのは苦手だ。自分のテンポと合わない。
何となく、空しい。
粘土が?いやいや、そうではなく、自分の無力さと、
外の世界への存在の響か無さ。
外といっても、そんな大層なことではなく、
日々を積み上げる日常が外と繋がらない空しさである。
働いていても、無職でも、
やはり空しい。
帰り道、
自転車で夜の平城宮跡をひた走る。
ああ、寂しい。
紙粘土、早く乾かないかな。
昨日、前の会社の方と待ち合わせる為、
ジュンク堂の大阪本店に初めて行った。
ずらりと並んだ本の山。興奮状態で店内を散策する。
うわあ。
欲しい本がいっぱい。
最近は古本屋と小さな書店ばかり通っていたので、
目新しい本の勢ぞろいに悶絶する。
が、作家じゃあるまいし、そんなに本ばかり買えない。
たくさん買っても、重くて持ち帰る時が悲惨である。
お得意さんとかは郵送してもらうのだろうが…
で、数冊買った中の1つが「ぼくには数字が風景に見える」。
まだ、紹介できるほどは読んでないけど、一応ね、
こういう本だと。
サヴァン症候群とアスペルガー症候群の筆者が語る、
独自の世界。
例えば、数字には形や色があり、それを判別することで
瞬時に計算が出来る。高桁数の掛け算もひと目で答えが出る。
数字にそれぞれ独自の「個性」があるというのだ。
こういう感覚を「共感覚」という。
一般的な共感覚は数字に色がついているというもの。
ちなみに私は数字を見ると色をイメージする。
例えば1は白で、5は緑。
買ったイチローの本が緑と白色だったことがあるが、それには
すごく納得できた。「51」の色だったからだ。
しかし、ここでいう「共感覚」はそれではなく、
本当に色が見えてしまうようだ。
だから、文字自体の色がそれと違う色で塗られていたりすると、
すごく気持ち悪いらしい。
もっとユニークな共感覚は、音に「味」があるというもの。
人の会話を聞いていると、口の中に色んな味がするという。
面白い話だが、実際は音によってソーセージとかキャンディ、
黒焦げの味とかいろんな味が同時に混ざるので非常に
大変らしい。どうやら幼少時代に味わった「味」が
関係しているようだが、美味しい「味」ばかりでは無いようなので
ちょっと辛そうだ。
こういう能力は特殊であり、サヴァン症候群などの症状を
もつ方に多くみられるという。
ちなみに私は専門家ではないので、いい加減なことを
書いているかもしれない。これはその程度のつもりで
読んでいただけると幸いである。
私はモノを憶えるのが苦手だ。
サヴァン症候群の方は凄い記憶力の方が多いらしい。
そういう意味では、私とサヴァンの方は正反対のようである。
しかし、私だって好きなことに関しては割と記憶力がいい。
「何でそんなこと知ってんねん」と突っ込まれたりする。
好きなことは何故記憶力がいいのか。
脳がやる気あるからといえばそうだろうが、具体的には
「連想繋がり」出来るものが多いのだろう。
あっちこっちとキーワードが結びつき、憶えやすくなるのだ。
反対に、興味のない事は「連想」が出来ない。もしくは乏しい。
あまり他の情報と結びつかないので、記憶しづらいのだ。
英単語を覚えるときも、具体的な映像が浮かべば
格段に憶えやすくなる。さらに、その映像が独自であるほど
忘れにくい。逆に、具体的映像が浮かばない、浮かんでも、
他の単語とバッティングするイメージとかだと
その他大勢に埋もれて忘れてしまう。
記憶には連想と想像力が大事なのだ。
サヴァン症候群の超記憶力を持つ方は、その想像力が
ずば抜けているのではないか。
数字や文字など、抽象が極まった図形でさえ、その想像力で
個性を持たせてしまう。
故に、連想も無限に広がり、恐るべき記憶力を持つことに
なるのではないだろうか。
勿論、それだけでこの事象を説明は出来ないだろうが、
サヴァン症候群の多くの方が自閉症を持つのもこれと
無関係ではないと思う。
コミュニケーションが困難になるのは、そこにある情報が
膨大すぎて処理しきれないからではないだろうか。
別々の感覚をつなぎ合わせる「共感覚」は
特殊な能力に思える。
しかし、これに似た能力は全ての人間、
もしくは生物に備わっているのではないか。
例えば上記の「音に味がある」というのは言葉で表現できる。
しかし、言葉で表現できない能力もたくさんあるはずなのである。
世に活躍する人の中には、こういう「説明できない」共感覚を
駆使しているように見えてならない。
そもそも人間は「感覚」を「言語」に変換してきたではないか。
あるいは「言語」にならなくとも、なんらかのパフォーマンスに
開花、消化してきた。それを「芸術」という。
これぞ「共感覚」と起源を同じくするものではないのか。
「人間らしさ」と「共感覚」はさも似たりだと思うのである。
こういうことを偉そうに書いている私も、上記の本はまだ
読み始めたばかりである。
せめて読み終えてから書けと言われそうだが、
全部読んでからだと頭の中の情報が多すぎてとても
まとめられない。結局「もういいや」になってしまう。
私事で全く申し訳ないが、はきだした方が健康にいいのだ。
「共感覚」とは違うかもしれないが、上記で触れた連想的、
私の数字のイメージを書いておく。
他の人のイメージなどもぜひ理由つきで聞きたいものだ。
ちなみに私は季節の「月」のイメージによっていると思う。
0…無色。透明な感じです。ゼロだからでしょう。
1…白。多分「雪」。正月の「餅」もあるかもしれない。
2…赤。節分の「鬼」だろうか。「南天」かも。
3…水色。よく判らない。友人の誕生月を思い出すが…
4…ピンク。これは「桜」でしょう。
5…緑。「新緑」の季節ですもんね。
6…青。「雨」と「あじさい」の色。
7…黄色。七夕の「星」の色。星いっぱいの夜空を思い出します。
8…茶色。よく判りません。「アブラゼミ」の色でしょうか。
暑さを和らげる「すだれ」かも。「土」もありますね。
9…青紫。「十五夜」の空の色。なんかロマンチックです。
10…黄土色、もしくは白。数字的に1と0とで「10」なら
白のイメージに。カレンダーだと「土」のイメージに
なります。「運動会」の赤土でしょうか。
思えば不思議な数字です。
11…こげ茶色。「落ち葉」と「腐葉土」の色ですね。
算数などではねずみ色になります。白が汚れてきたような、
そんな感じ。
12…赤。「サンタ」が原因?寒い季節、暖かさの象徴です。
その他の数字は例えば「17」は1の白と7の黄色の
合わせた色合いになります。混ざるわけではなく、
「目玉焼き」みたいなイメージです。
10と11は例外なところもあります。
みなさんはいかがでしょう。