はむはむ草 朝里庵 -13ページ目

はむはむ草 朝里庵

はむはむなるままに、ひぐらし。

(トップページに戻るにはすぐ上のタイトルを押して下さい。)

最近読み終わった本。
せっかくなのでちゃんと触れておこうかと。

反社会学講座 (ちくま文庫 ま 33-1)/パオロ・マッツァリーノ


他の本で「これからの時代は1にも2にも社会学」
という記述があったが、確かに便利な学問。すぐ結論が出せる。


この本はその辺の危うさを突っ込んでいる。
著名人が言っているからって、それは本当かな?
どれどれ、資料でもしらべてみるか。
ネットに本、図書館で文献、統計資料探し。
この資料はまず、正確か。嘘は云ってないか。
なにかうまい「トリック」にかかってないか。
脳みそフル回転。
そうした吟味の上で、いよいよあのお方の結論を検証。
脳みそフル回転。
うん…?
名探偵、何かを発見ですか。
ワトソン君、やられていたよ、我々は。
そうなると、彼の真の動機は…


そういう話。


そこまでいかなくても、冷静になってよくよく読んだら
やりたい放題。皆、これは突っ込まなきゃいかんぞ。
ボケ殺しはイケてないぞ。


そういう話。


でもね、この本のいいところはその上の段階を
述べていること。
「人間の生き方」にまで、思考が行っている所。
ちゃんと思考停止しないで悩んでれば、そこは避けて
通れないんです。
どういうスタンスが1つの「人間の生き方」となるのか。
そこに一旦行き着いているから、ちゃんと方向を示せるのです。
社会学に限らず、学問のエライサンでもなかなか
行き着いた人は少ない。行き着いた先が「あの世」の人は
多いけども。そっちは行き止まりです。とりあえず。


そういう意味で、私の頭ではこの本と
宮崎駿「風の帰る場所」は繋がった。

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡/宮崎 駿


別に正しいとか、言いたいわけじゃない。
人である限り、物事は常に覆る。
でも、生きていつか死ぬことだけは否定できないんだな。
そこに何かが欲しい。エネルギーね。



最後に、反社会学講座は笑う本です。
笑わなくても読めるけど、笑った方がそりゃ楽しい。

ちなみに一般書から文庫になった折に、補足が加筆されております。

以前読んだ人ももう一度笑えますよ。

昨日、道場からの帰りに夕立(夜中だが)に逢う。
スーパーの駐輪場で、立ち往生。
まだチャリで家まで何キロという所。

数十分程後、雨が小降りになってきたので
思い切って駐輪場を出る。
しかし、すぐにまた、雨は降り出した。
とっさに某公園の建物の軒に入る。
雨は一向に止む気配なし。
只々、外を見つめる。
突如、稲妻が走る。自宅の方角か、どこかに落ちた。
そのまさに同じ方角にある木から、大量の黒い粒が
飛び立つ。コウモリだ。
雷に驚いたか、土砂降りの中、どこかに飛んでいく。

結局雨が止むまで1時間以上、その場にいた。
蚊に食われたりもしたが、蚊除けスプレーを持っていたので
ひどくはやられなかった。

誰もいない夜、外でひたすらぼうっとする時間。
意外な新鮮さだった。

比較的安いのがあったので体重、体脂肪計を購入してみた。
早速図ってみたら…



体重、64kg
体脂肪立、20%



やば~い!かつては55kgの時代もあったのに…
ま、筋肉の関係もあるのでそれはいい。
とりあえず、この体脂肪を落とさないと。
ちょっとやる気が出てきたの巻。

MASTERキートンがやっと全巻揃う。
特に最終巻には中々会えないと思っていたので嬉しい。


色々悩みながら、ふとこの本を読んで思った。
私は漫画を描いたり企画したりするとき、
自分の理想の世界を創造する。美しい風景やメリハリのある
日常、体感的な空気の感触。
その時々の感情や気分で思いついたり、影響された世界の
再構築によってそれを作ろうとする。
勿論、実際そういう世界に放り込まれたいかというと悩むが、
そうなってしまっても、その世界では自分が生命的な感覚を
謳歌しながら溶けていける。
そういう願いが込められてる。


が、本当にそれでいいのか。
物事を見るとき、いかなる視点でそれを捉えるかによって
印象は全く変わる。
私は現実をなるべく美しく見える視点で捉えようとする。
生活に疲れているのに、わざわざ絵でまで汚いものを
見たいと思わない。
でも、どうなんだろう。
オブラートに包むことが、常にいいとも限らない。
いかに包むかが演出力の見せ所だが、あえて包まず
グチャグチャにしてみるというやり方もあるのだ。


私がやってみたいのは、逃避行動と現実直面の融合である。
例えば一時的に物語の世界に没頭するのは幸福だ。
が、現実に戻された時の空虚さは歳追うごとに増大する。
知識が増えてきたからだ。現実が重くなってきた。
大人になったらゲームをしなくなりがちなのは、なにも
時間が足りないからだけではない。


だからといって、夢がないのも嫌だ。
私はおそらく人一倍、夢や想像に頼って自我を形成してきたので、
そこを否定するのは危険。というより無理。


やっぱり私は、現実逃避したはずが、リフレッシュと
価値観の再構築を得て、現実に戻ってくると
「もういっちょやってみるか」という
気分にさせてくれる物語が理想なのである。


話がまた長くなった。実は、まだ本題に入ってなかったりして。


私はそれで逃避世界の入り口も出口もその「世界」で
解決しようとしてきた。
でも、MASTERキートンを読んで思ったのである。
人に希望を与えるのはやはり「人」なのだと。
なぜか。単純なことで、考える自分も「人」だから。
人であるという現実を除いて生きるリアリティは体得しえない。
じゃあ「世界」で表現は不可能か。
そんなことはないと思う。
でも、「地球にやさしい」みたいな世界観ではてんでダメ。
自然はやっかいだ。田舎で生きてきたからそれは分かる。
決して人にとっていい面だけではない。


結局、「人」も「世界」も、強力なコミュニケーション性を
求められていて、そこに面白さと必要性があるのは間違いない。
まとめたら、「世界」で描くにも例えば裏切りや嘲り、
負の感情は必要なのだなと。
たまにいわれる「自然や動物は嘘をつかない」とか、
ありゃ嘘だと。人間にはそれが分かりにくいだけですね。
ある種のアニミズムでした。



そういえば、以前述べた白川義員の世界百名山写真集、
500円のお試し廉価版、というか雑誌?を買った。

名作写真館 1巻 白川義員(1)「世界百名山」 (小学館アーカイヴスベスト・ライブラリー)/白川 義員
¥500
当然写真数は少ないけど、やっぱり凄い。
なんだか綺麗といったら失礼なくらいの感じで。
これのNHKスペシャル(TV,DVD)も良かったな。
人が圧倒される光景に想像力が合わされば、
そこはもうあの世。人の世界の隣には常にあの世がある。
量子力学の平行世界まで行かなくとも、脳はそう出来ている。
不思議だ。


ゲッタウェイ デジタル・リマスター版

昨日観た映画は「ゲッタウェイ」だった。
詳しいあらすじはもういいや。
前みたくオチを描くのもどうかと思うし。
私、オチを聞いて見る気なくなる映画は好きではないんです。
本当に面白い映画はラストを知っていても面白いんですよ。
私がストーリーより演出に目が行っているからかもしれません。

さて、この映画は観ていて途中、以前観た事あるのに気づいた。
悪漢に脅された男が妻もろとも行動を共にする破目になるのだが、
この妻がちょっとお馬鹿で、そのまま進んで悪漢の女に
なってしまう。
男は目の前で常々妻を陵辱され(が、妻はそれを気にしない)、
人としての尊厳を奪われた彼は自殺してしまう。
そのシーンがあまりに強烈で、憶えていたのである。

自由になるチャンスがあったのなら逃げるなり、
屈辱への怒りで妻もろとも皆殺しにだって出来たであろうに、
気のいい常識人だった彼は自らを殺してしまった。
凄惨かつ複雑な事態に絶えられなかった。

ともかく、人間の描写が凄い。

72年、サム・ペキンパー監督作品。
繊細で壮絶。極まったセンスだ。
今後、他の作品もきっと観るであろう。

日本の映画もこういう繊細で激しいの、あるよね。
今村昌平とか。

中世の日本人はもっと激情的だったって
司馬遼太郎さんか誰かが言ってたけど、
そこまで行かなくても
現在より40年前とかそれ以前の方が暴力的だったらしい。
暴力的といったらどうかとなるかもしれないけれど、
ちょっとくらい怪我しても気にすんなみたいな。
大雑把ですね。

現在は子供が公園で怪我したらあれ禁止これ禁止、責任取れの時代。
国家とメディアのマインドコントロールが成功して、
多くが骨抜き。私もその一人です。
でも、おかげで事故や犯罪は当時より減っているらしい。
交通事故は別として。

タランティーノが一生懸命オマージュしているのも、
それが受けたりするのも、今足りない何かを取り戻そうと
しているからかもしれない。
「リアリティ」かな。存在感というか生命感というか。