80 + 759 土崎へ
先日仙台に行ったパーイチの80号機が、ナナハンの759号機を連れて土崎へ向かいました。
両機とも廃車前提の回送。最後の旅路です。
今日はアサイチから動いて日照のあるウチから撮り始めようかと思っていたんですが、
昨夜の野球観戦の影響が出て(?)早起きに失敗(泣)。
結局、日中は細君とダラダラ過ごし、また夕方ころから活動を開始しました。
そんなワケで。今日もまずはほこすぎ橋に展開(苦笑)。
先週 とはちょっとだけ立ち位置をズラしてるんですが…
そんなに変わり映えしないかなぁ(苦笑)
この後はいろいろ無理をせず一気に田端へ。
左)ちょっと遅れてやって来ました。田端で乗務員が交代します
右)最後の星釜。栄光の(?)北斗星塗装も、これにて終焉
停車時間は30分ほど。長い汽笛一声、田端を発って行きました
80号機にとっては古巣の田端に立ち寄ったカタチになりましたねェ。秋風星落田端操
これにてED75は全滅。
すなわち、ED70から始まった交流電気機関車の歴史に幕が下ろされます。
…この9月。激動です。
最後のバタピー
田端のバタ
PFのP
をとって、バタピーなんて呼ばれることもある田端区のPF。
電車を撮り始めてほどなくして東海道口のブルトレがロクロクに変わった俺などからすると、
貨物のPFといえば新鶴見
旅客のPFといえば田端
という認識をもつくらいには田端に在籍したPFは多かったように思いますが、
それもいつの間にやら残すところ1両のみとなっておりまして。
本日、
その最後の1両も最期の旅に出るということで、昼間だけチョロっと線路脇に。
向かった先は尾久。
左)尾久の奥からロクヨンの1031号機にエスコートされたPFの1115号機が出て来ました
まずは出区を狙ってみたものの、イイトコロで下り電車の刺客(泣)
右)電車が過ぎ去った時にはこの位置。
どうにか撮れはしたものの、最も撮り頃な場所では撮れませんでした(号泣)
目の前で一旦停止。分かっちゃいたけど、肝心のPFの顔が拝めない(苦笑)
折り返し、推進で尾久駅の側線に入って行きました
一度、尾久でのカマの出区を動画で録っときたくてね。最後の最期になっちゃった(苦笑)
…さて。その後は駅に戻りまして。
多くのギャラリーと一緒に尾久を出る最後のPFをお見送り
折からの雨に打たれながら尾久区を後にしました
後撃ちで尾久区っぽさを出そうと思うと、結局ホームの先端が一番ソレっぽい気がします
小学生の時に初めて東京に出て来た頃は東京口の寝台特急もまだPFが担当していてね。
以降、鉄チャンとして最も親しんできたカマなんです。
まァ、JR西日本やJR貨物にはまだ辛うじて残存しているPFもありますが、
東日本の旅客鉄道会社からPFが消滅するというのは、やはり大きな動きの一つだと思うんですよね。
また一つ。歴史の終焉。

















