きっかけの日
親父のお下がりのX-700をぶら下げていたハズなので、小学校高学年にはなっていたかと思う。
こんな写真しか残ってないけれど、ともかく、クモハ12が重連で運転された日
その日は弁天橋電車区で撮影会があった。
どうも個人的には消化不良な撮影会だったらしく、ロクイチの写真しか撮っていないようだけど
実際、この後で「イマイチだったんですよ~。」みたいな会話をしたような記憶がある。
ともあれ、鶴見側から弁天橋に入ったのだけど、浜川崎側から帰ってみようってことになって。
まだ黄色い101系の2両編成で運行していた南部支線の八丁畷駅に降り立った
何人かの鉄チャンがいて。
「何か来るんですかー?」
「貨物を撮ってるんですよ~。」
みたいな会話の後、消化不良の我々(当時は親子鉄)は、いっしょに貨物を撮ることにした。
あの頃は私鉄とかも撮りに行ったりしてたけれど、そもそも釜の方が好きだったんだろうと思う。
あの頃のこの辺りは凄かった。待ってりゃ来ること来ること。ひっきりなしと言ってもいいくらい
ブルトレの牽引機はすでにPFからロクロクに代わっていたハズだけど、
当時は東京口でロクロクの貨物が見られるなんてことは知らなかった。どこかで書いたかな?
……で、奴が来た。
左)単機だけど、EF66901。酷いことになってたので白黒にしてみた
右)振り向きざまにギラリと光った901。写真はヒドいけど、その光景はよく憶えている
しばらくは「一番好きな釜は?」と聞かれれば「ロクロク901」って答えてたな。
O村サン。後にも先にも現場で知り合って友達になった唯一の人と知り合ったのもこの日。
その後しばらく文通みたいなことしたり、たまにいっしょになったりしてたけど、
いつのまにやら連絡をとらなくなって、そのまま疎遠になってしまった。今頃どうしてるかな。
ガキだった俺の相手、よくしてくれたよな。まァ、親父がいっしょだったしな。
そのO村さんに「朝からいればロクロクもいっぱい来ますよ」みたいなことを言われて。
それから八丁畷に通うようになった。釜ばっかり撮るようになった、そのきっかけの日。