2006年1月 冠着にて | 燕党の宴

2006年1月 冠着にて

 [過去画像]とは言っても、それほど古い画像でもありませんが。
 

 最近、前回の無職だった頃を思い出す。その一コマ。

 

 一旦は就職が決まってアルバイトから脱出したものの、決まった就職先は試用期間で辞めてしまった2005年。

 もう年末だったのでスグに就職活動はせず、当座は年賀状を作る短期バイトで凌いだ。

 12月は全部夜勤で28連勤をこなし、どうにか新年を迎えた。当時もやっぱり年末に失業してるのね(笑)。

 

 「気ばらしに電車でも撮りに行くか」。今も昔もそんな思考回路は変わらない。いや、成長してないだけか。

 「どーせなら雪のある場所がイイな。そうだ、ロクヨンを撮ろう」

 …そんなワケで、1月5日の夜には冠着の駅にいた。

 

 燕党の宴-冠着

 冠着駅は雪の中。そりゃもう想像以上の積雪と、想像以上の寒さ

 

 当時、俺の鉄旅行は「18切符&駅泊」がデフォだった。この日もモチロンそのつもり。

 しばらくすると駅の灯は消え、真っ暗な駅舎にただ一人。とにかく寒い。

 それでも入り口のドアとホームに通じるドアを閉め、ベンチに丸まって横になり、自分の体温を感じながら、

 なんとか耐えられるかなといったところ。

 

 眠気を寒さに邪魔されながらも、どうにかウトウトし始めた頃、唐突に駅舎のドアが開いた。

 足音は複数。暗闇の中で横になっている俺には気付いていないのだろう。

 バタバタと俺の脇を歩き抜け、ホームに通じるドアを開け、出て行った。

 

 その後も足跡は出たり入ったりを繰り返した。保線の人が作業を始めてしまったようで。

 すっかり風の通り道になってしまった駅舎。もう耐えられないくらい寒い。足なんか痺れてくるし。

 かと言って、相手は仕事しているワケで、ドアを閉めるワケにもいかない。 

 

 とにかく保線作業が終わるまでそのままの体勢で耐えたものの、作業が終わってももう眠る余裕なんてない。

 身体中冷え切ってるし、足も痺れてるし、朝まで駅舎の中をとにかくウロウロしていた(笑)

 

 ともかく、どうにかそんな夜をやり過ごし、翌日を迎えた。

 

 燕党の宴-383系 燕党の宴-EH200 8

 そんな思いをした甲斐もあった雪晴れの翌日。素晴らしいロケーションが目の前にひろがった。

 

 ……だけど。

 「冬場だから走ってるだろう」と思っていたタキ臨貨はまったく来ないし、数少ない定期貨物も全部ブルサン。

 肝心のロクヨンがまったく来ない。

 

 一時期の鉄活動減少期からボチボチ復活しつつあった当時、まだロクに状況を把握しておらず、

 「中央貨物はロクヨン」とばかり思っていたのだが、中央線は俺の知っている中央線ではなかった(泣)。

 
 結局、マトモに撮れたのは上の2コマくらい。

 目的のロクヨンは寒い夜中に通過している貨物を見ただけ。


 

 この35年で最も寒い思いをしたであろう遠征も、残ったモノと言えば手の指先の痺れくらいだった。

 や、寒い中で立ててた三脚って危ないですよ。ホント。

 

 生活に支障をきたすほどじゃないけど、その後数カ月は残ってましたもん。アノ痺れ。