G-3598 <政策提言>三柱刑 中編 | ガンダムFREAK!! <B-Edition>

G-3598 <政策提言>三柱刑 中編

ぬええ、今生の内に観てーなあとか言ってたら、らんま1/2、新作アニメ化決定!!?

ホントかよ!?

KIZUIです。

まあ、うる星やつらがリメイクされたとなれば、当然次に白羽の矢が立つのはらんまって事になるのか。

同じくシャフトでのアニメ化になるのかな?

 

 

 

前回の続き。

<政策提言>三柱刑

…の続き、始めていきたいと思います。

キリよく前後編のつもりが、3分割に膨らんじゃったの巻。

 

前回に於いて論じましたのは、刑罰は応報・処罰として重く在るべきか、はたまた矯正の後、早期の社会復帰を促すべく軽く在るべきか。

どちらも正しいのだからどちらも実現されなければならない、片手落ちではなく双方が必要。

つまり一つの刑の軽重を操作して均衡を図るのではなく、そもそもの「刑の種類を分けて」「両方やれ」と。

両方を存分にやればいい。

一つの刑罰の中での綱引きは無意味で、異なるプログラムへと棲み分けをすべきだという内容でした。

 

しかし実はこれ、まだ両輪について話したにすぎません。

世の中、何にしろ安定する為には鼎立、鼎の三本足が望ましい。

三権分立然りね。

 

そして前回終わり際の予告部分に戻るのですが、これらのプログラム、誰の為のものかという部分ですね。

 

およそ社会に於いて刑罰というものが誰の為に存在するか、これもまた議論の分かれるところです。

 

一つには被害者の為に存在する。

悔しさ、怒り、復讐感情、それらは個人が実力で実現するのではなく、現代社会では国家権力が代行してくれると。

その前提を信じればこそ法を護ろうという意識に繋がる。

 

一つには社会安全の為に存在する。

危険な犯罪者を野放しにせず、更生させるにしろ、収監して隔離するにしろ、それらを通じて社会の安全、延いては社会システムに対する信頼性を確保する。

 

はたまた、犯罪傾向にある受刑者自身が社会復帰できるようにするためでもある。

 

「被害者の為」「社会安全の為」「受刑者の更生の為」。

他にも色々考えられはするんですけど(警察や刑務所の雇用を創出するんだとか)、主にこの三つが主眼かなと思います。

 

してこの三つ、やはり前回記事で述べた、独立して分けるべき刑種とそれぞれに合致するんではないかなと。

 

まず犯罪者の更生という目的は、矯正プログラムそのものに適合しますね。

これはわかりやすい。

 

次に仕置きとしての罰を与えること自体が目的だ、というと、それによる模倣犯への警告効果や、社会に示しをつけるという意味合いからして、刑罰は社会の為に存在するという目的に実は適合しているんではないかと。

被害者の復讐感情の代行だという色合いもまた濃いのですが、直接的には復讐の為の刑罰ではなく、社会のルールを破った事へのリアクションと考えるのが自然な構成かなと考えます。

裁判官や立法者も直接には言いにくいんですよね、被害者からの復讐が為されるとしたらもっと苛烈なので刑は重くしておくわとか、よー言わない。

私刑禁止の前提下ではね。

この程度が相当である~って言ってる時は、大概被害者に寄り添おうとしてるんだと思うんですけれどもね。

 

そうすると、前回まとめた両輪、「罰としての刑」+「矯正としての更生プログラム」。

三つの目的の内、まだ二つに過ぎないんじゃないか…

いやまあ、罰としての刑は内実復讐代行の意味もあるので、決して社会の都合だけではないにしてもね。

 

つまり何が言いたいかというと、現代刑罰には「被害者の為」という観点が欠けている。

これを成せていない。

その観点の欠落に問題の根本があると思います。

 

刑事ドラマとか見てても感じられちゃうんですよね、元は犯人対被害者の構図で出てきたものが、いつの間にか肝心の被害者は置き去り、蚊帳の外。

警察が如何に犯人を捕らえるかの局面に移り、そこから先で更に、刑罰はもう司法判断に委ねるしかないよと。

お疲れさまでした、と。

 

なんでやねんという感情、当然に湧く。

最後の最後には被害者にこうこう成果を収めました、仇は取りましたよ!

そう報告して締めじゃないんか。

判決が出るまではやたら長く、そして結果は到底満足のいくものではない。

 

これ、おかしいんですよね。

なんで満足いかないんだろう?

ちろっと考えてみた事とかあります?

 

どこまで行っても被害者が不在だからだろうか?

形として法廷に呼ばれるだけで、誰もその傷付いた心に寄り添っていない?

そこまでの軽視でもないと思うんですよね…。

でも軽視をひしひしと感じる。

何でだろう。

本来在るべき座より、遥かに軽んじられているから?

 

冷静になってみれば、裁判所って、公平なんですよね。

両方の味方ってわけじゃないし、どちらに取っても敵ってわけでもないけど。

双方に対し、敵でも味方でもない。

 

それ変なんですよ、何しろ一方的な被害者がいる時に、なにを公平に扱っとんねんと。

そもそも加害・被害の関係性は何らの公平にも立っていないのに、そこからスタートしておいて終始味方をしてくれないって状況は頓珍漢なわけ。

挙句、犯人の更生まで考え始める。

 

被害者の陳述ばかり重用しろとは言わないけれど、双方を公平に扱うという事は、つまり前提の関係性からすると釣り合ってるようで釣り合ってない、否、「その場でしか釣り合ってない」。

 

しかしまあ、そこまでは許容範囲かなと。

そもそも論として裁判は公正公平に行われなければならないですからね。

 

ただその結果、判決からの処罰段階では、勿論の事、被害者を虐げた事への責めが在って然るべきだし、そこでまで公平を図り出したらもう始末に負えない。

ところが実際。

 

「何となし服役させるほどじゃない気がするわ…って初回特典使えるやん自分、じゃあ執行猶予で!」

「裁判えらい長引いたな~…まあ社会的な制裁はもう受けてるという事にしといてね、ハイ刑は減じときました~!」

信じられますか、これ普通に行われてるんですよ。

 

いや、そういうのとは切り離して、別個で量刑は考えるべきとちゃうかな…。

だって、事件そのものと関係ねーよなあ?

 

ちょい次回予告になっちゃいますが、これに関連して、将来的にでも「執行猶予は実質刑無し」「執行猶予には裁判官の連帯責任を課して乱発を防ぐべき」「量刑事由は法定し、被害者との関係で事件に関係ある事項に限定するべき」みたいなトピックを書きたいと思っておるんですけどね。

まあ今後の構想はそのくらいにして。

 

結論、「被害者の為の刑罰」というものが欠けているのではないか?

それを加えて、「三本柱の刑」。

三柱刑(さんちゅうけい)というファンタジー造語ですが、このタイトルに帰結してくるわけです。

 

鼎の三本足のように、それぞれがそれぞれの役割をしっかと果たす事で、刑罰の意味が全て果たされ、そして相互に補完し合う。

 

今の刑務所より金がかかる?

でもそれって、果たさないと役割を完遂したと評価できないですよね。

 

しかしまあコストか、コストねえ。

その観点ももちろん要るよねえ。

 

もう答えが出ちゃっていますが、三本目の刑は即ち、「被害者への賠償」そして「刑事・司法行政への賠償」。

金銭刑です。

 

 

 

 

↑これ、ペプシスペシャルってトクホだからか、なんかやっぱ効果あるように感じますね。糖の吸収を抑えてくれるという効果、なんとなし感じる…!!てゆうか下剤効果じゃないのかこれ?そういうわけでもないのか?