G-3463 平成異次元ガンダム回顧録 前編 | ガンダムFREAK!! <B-Edition>

G-3463 平成異次元ガンダム回顧録 前編

ガンダムXはワクワクしたんだよなあ~。

KIZUIです。

世間的には不人気なんだけどさ。

 

 

平成異次元ガンダムにはそれに繋がる流れが在ってね。

正しく、最終作Xにはピークへ向けた盛り上がりが見て取れた。

 

てわけで、長きガンダムの歴史のターニングポイント、平成異次元ガンダムの思い出を軽く振り返ってみたい。

 

前日譚というか前振り。

ダブルゼータから実に6年ぶりのガンダムTVシリーズ。

宇宙世紀シリアス路線に最年少主人公とかRPG的成長とかの要素を取り込みつつも、だがしかし重苦しさも先鋭化されていた「Vガンダム」が皮切りだった。

 

なんなんだろ、時代を象徴してたな。

テッカマンブレードとかシリアス路線が人気だった。

ドラゴボですら超シリアスだったからな。

今じゃ考えられな…くもないか、ニトロプラスとかは過酷系だし。

なんだかんだ言っても暗いのが好まれる需要みたいのがあって、アメリカのコミックやアニメとか今ちょうどそんな感じなんじゃない?

 

しかしVガンの人気は低迷した。

情勢として、SDガンダム人気が全盛だった、ってのがあるよな。

SD人気の中核が戦国伝とか外伝、コマンドなどのSDVだったので、パロディもの=ある種ギャグ調な雰囲気が既に在ったんだ。

明るくて楽しい、シリアスもあり超パワーもあり、みたいな世界観だった。

 

今の世代では不思議に思うかもしれないが、当時最大のキラーコンテンツ・SDガンダムは殆どアニメにはなっておらず、どころかちゃんとしたストーリーとして提示される機会も少なめだった。

コミカライズがあったくらいだが、それが人気の中核かというとそんな事も無かったように思う。

重要な一翼を担ってはいたろうが、コミックの面白さが人気の大半を占めてなどはいなかった。

というよりSDガンダム自体がリアルガンダムの陰に隠れたマイナーコンテンツそのものだった。

飽くまで断片、殆どは想像、プラモの説明書やパッケージの僅かなインスト文こそが世界観の根幹であったように思う。

 

あれが人気を博したのは、正にキャラクターの魅力そのものによるものだった。

信じ難いかもしれないが、玩具先行、商品こそがコンテンツの本体だったと言っていい。

そういう例自体は女児向けマスコット、サンリオ系などでもたまに見られる。

シナモロールだとかポムポムプリンだとかな。

 

商品自体がそれそのものとして人気なSDとはまた毛色が違ってしまっていたが、Vガン商品はかなりの革命を成し遂げていた意欲作ではあった。

前作である劇場版・F91で設定高を低く抑えられたモビルスーツ、それらは従来だと大型キットの括りである1/100スケールを標準として展開された。

だがVは敢えて、伝統的な標準である1/144にスケールを引き戻してキットを展開した。

更に小型化しながらもよく動き、主役機などはデザインの再現度も高い。

それでいて安く(基本500円)、クリアパーツのスタンドやジオラマシートなども付属。

シリーズの他キットと接続し世界を広げるなどの意欲的な試みも見られた。

 

失敗は一つ。

当時では人気の中核であったガンプラという本命コンテンツそのものだというのに、意欲的が過ぎて検証が不十分であったのだろう。

オールPCで骨格を再現しようとした「Vフレーム」構想は、卑劣な事後論で評するなら「使い所を間違えており」、肩やスカートアーマーなどで顕著にパーツの脱落が相次いだ。

飾る事だけがガンプラの存在意義とするならそれでもまだ許されるのだろうが、公正な立場で言ってしまえば、これはある意味「不良品」の謗りを免れない。

勿論そこから年月を重ねて進歩してこそ、今の輝かしいガンプラ再全盛があるわけであるが。

 

その指向した理想像は極めて理解できる。

可動箇所などの表示上スペック、理想ばかりが先行してしまった結果だろう。

 

加えて、メカデザインも宇宙世紀の王道を踏襲しつつの全く新たな形の模索に挑み、それでいてセルアニメの作画負担に配慮したという事で、SDの派手さが人気を博す情勢下、対極と言える地味さに纏まってしまった。

死神の鎌を持ったような異形の敵(=アビゴル。ザンネックはプラモ化されていない)など、魅力的なメカも多く輩出されたが、キット化点数自体が物足りないものに留まった。

 

アニメ本編にも確かに問題点が見られた。

陰惨な展開、作画クオリティの低さ。

スレイヤーズなどで角川系列が黎明期としての人気を博していた当時にしては、キャラデザがやや古臭く映ってしまった事もある。

メカデザインがアニメを意識してなるべく線を減らされていた事、結果として従来のゼータやF91、どころかSDとさえ比してなお情報密度が低かったことなども要因だろう。

 

これを端的に言えば、リアルガンダムで積み上げられた精密なメカデザインや、SDで獲得した派手さなど、時代に期待された「未来図」とは違うものだったのだ。

もしVを失敗と呼ぶのなら、「だから失敗した」と言える。

 

それでも好きだったんだよなあ。

個人的にはだが、面白かった。

 

最終話は良かった。

時代の許した御伽噺のように美しい終盤の展開。

祈りを集め宇宙の闇に輝く天使の輪、それが儚い夢のように地上へと崩れながら落ちていく。

ギロチンをはじめとしたそれまでの因果や宿業をも呑み込んで物語は収束していく。

そして時が巡り、冬が来て、人の心の傷痕を象徴するかのように愛機が朽ち残る。

 

<続く>

 

 

 

↑本編で敢えて触れなかったけど、平成異次元のガンプラで最高峰は1/60だった。1/144は無印、当時の1/100はHG(今ではすっかり1/144がHGと先祖返りしちゃってるけど)、超豪華版である1/60はまたブランドを持たない無印だったんだよな。当時欲しくても買えなくてさ。小冊子のカタログを一時大放出してた頃があって、あれでよく見たわ。心躍らせてた。当時は終ぞ手には入んなかったんだけども。大人になって、働くようになってから1/60も幾つか入手した。ところがまだ組んでなかったよな。今回記事書いてて思い出した。今じゃすっかりプレミア価格か。夢の結晶、憧れ焦がれる気持ちは痛いほどわかる。ふふ、でもこれじゃ、バンダイで幾ら再生産しても追っつかないな