G-2382 なろうに学ぶヘルプメニューの頼り甲斐
なろう系見てて思うのが、意外に「システムメニューからの項目解説」とか「解析」とかをゲームプレイヤー視点での有用性と捉えてるんですよね。
モブ、NPCは持っていない、独自性であると。
チートとしての「能力」だけじゃなくて、そういう、ヘルプの存在によって「全知」感を得る。
能力が突出してて無双、ってのは意外にも結構自力でやるんですよ。
まあ初期値が高いというズルはあるんですけど。
それを自力と呼ぶのか、チートと呼ぶのか。
才能がある=チートみたいな言い方が定着しつつあるけど、本来的には故意が必要なんじゃないかな。
わざと、悪意で改造して、自分のいいように能力を弄るのがチートだと思うんだ。
転生したら意外に強かったってのは、責められても「知らねーよ…」としか返せないわけで、これをチート呼ばわりは本当は違うんだよな。
まあ、あまりに強過ぎて最早チートだとしか思えない、ってのを省略した慣用句なんでしょうね。
でも与えられた能力を使いこなせるように精進していく、って側面では、王道の少年漫画的展開ではある。
ところが、物事を「知る」という側面になると、途端にシステム任せ。
自分で学び取りに行くのではなく、聞けばすぐ答えてもらえるという環境。
これこそがチートと言える。
利根川さんに怒られそうですけどね。
大人は質問に答えたりしないってやつ(笑)。
まあ、生き様とか、努力としてどうかという指摘はご尤もですが。
勉強する気ねーのかこのクソゆとりがってとこが、「なろう」のジャンルとして侮られてしまう所以なのだろうか。
けど冷静に考えて、そんな感じにサポートの充実したシステムこそがお気楽で楽しいという側面もまた確かに有る。
これこそ、元ネタであるゲームにも逆輸入できるかも知れないですね。
声にならぬ声として、プレイヤーアシストの充実をユーザーは望んでいるのかもしれない。
全ての材料を与えられた上で、ちろっと考えれば最強に手が届きうる、とか。
その材料をどう使うかに個性を見出すと。
或いはシステムの解説力、サポート性能もまたプレイヤーとともに成長してゆく、なんてゲームも面白いかも。
↑まー今時代、大抵のソフトはチュートリアル充実してるよね。強制チュートリアルではなく、省けるようにはしてやってほしいが