G-1874 ビデオ講義擁護論 その2
<前回の続き>
学校の授業はどうしてか、必ず先生からの口伝を原則というか、中核に据えてるんですね。
その為に教師も相当数の人数を要するし。
でもね、考えてみたら。
教える内容って一緒じゃないですか。
どこの学校でも、どのクラスでも、いつの年度でも、基本的に教える内容は同じ。
実際には学校間で差は在りますけどね。
何だってそんなもんを、毎回ライブで、別人の手で、生実演でやんなきゃあなんないんだ?
無駄じゃないか?
人件費的にも、労力としても。
そのリソースを別に割いたら、社会の在り方がもっと抜本的に変わって、前に進めるんじゃないか?
…というのを前から思うんですよ。
いや、生抗議の重要性というか、有難味はもう、それはそれとして、理解した上でですよ。
そこまでのマメさでリソース割かなきゃなんないか?
シムシティじゃないけど、なんかこう、国家経営ゲームみたいのあったら、先ずそこから削るんじゃない?
AIで人の手間を削減できる時代だ~という、その前に。
お坊さんの念仏じゃねーんだ。
聞かせて貰う事自体で功徳が積めて、それは肉声じゃないと意味が無い、ってのはもう、宗教的な価値観ですよ。
とても教育の場へ持ち込む様な観念じゃないな。
毎回同じ内容なら録画でいいでしょ?
先生の当たり外れ、って、不謹慎だけど、聞いたことがあられるんではないでしょうか。
あの先生は授業が分かりにくい、自分でも間違った理解してる、指導力が無い、とか。
はたまた今年の先生は立派に生徒の長所を見てくれて伸ばしてくれるからうちの子も活き活き学校に行きますのよ~みたいな。
いや、当たり外れ、在っちゃいけないでしょ。
そもそもの前提が間違ってますよ。
やり直しの効かない人生を生きてて、一期一会の思春期に人格の根幹となる勉学を教えてもらおうって場面ですよ。
無料十連ガチャ引いてんじゃないんですよ、僕らは。
最低限のクオリティの保証は在って然るべき。
それが出来るのはやはり、ビデオ講義のアーカイブだと思うんですよね。
↑レオパルドンって聞いた事有るんだけど、どんなやつだったか忘れた。日本で勝手にスパイダーマンと絡めた巨大ロボという認識だが