G-1248 <政策提言>年金支給年齢引き上げという「敗北」
70歳定年は荒唐無稽な話ではあったが、昨今では現実味を帯びてきた。
だが、その際に引き合いに出されるのが、決まって健康かつ一線で働いている人達ばかりだ。
病院には全く取材に行かないし、多数を占めるであろう「働けない65歳以上」に目もくれない。
その方々にとっては、単に年金がもらえなくなる、掛け値なしに「生活できなくなる」という効果しかない。
そういう「負の側面」を報じないし、検討しない。
ともかくも私の思う事は一つ、「約束は守らなければならない」これは人間として最低限のモラルであって、社会を成立させる基盤だ。
約束を反故にする、というのは、信じられない裏切りで、許されざる邪悪なのだ。
具体に何が言いたいかというと、65歳になれば年金がもらえるという約束で掛け金を払っていた人等に、或いは65歳で定年を迎えるという条件で勤務していた人等に、後からの思い付きや都合で、ゴールを遠ざからせることだけは有ってはならない。
やるなら今からの新成人について、新しいルール下での社会設計をお願いする、まあお願いというか強制だが。
それは、百歩譲ってではあるが、在り得る。
だが今、定年間近の年代にそれを言うのは、酷を通り越して狂気だとしか言えない。
人間のやる事じゃない。
競走馬の目の前に人参をぶら下げて、ゴールしたら食べさせてやると言いつつ、やっぱ次のレース完走したらやるわ、と言ってるに等しい。
一種の虐待だ。
必ず禍根を残す。
約束を違えることの意味を過小評価しているし、年金をやっぱ払わないという、非常に低次元な、それこそ幼稚園児でもできる最終手段を持ち出すという、正に無策の露呈でしかないものを。
これをやるのが政策手腕だなどと、とんでもない次元で履き違えている。
端的に表現するなら、阿呆丸出しだとしか言いようがない。
早い話が約束した金を準備出来ないので法律を改正して支払いを免れたいという債務不履行、デフォルトでしかないのだ。
失敗なのだ。
こんな事をさも政治上必要な決断であるかのように述べている政治家というのは、経営に失敗して約束の養老保険を払わないと言っている破綻保険会社の放漫経営者と変わりがない。
だがそれを正当視し、さも時代の寵児のように持ち上げるマスメディア。
正常な判断が働いているとは思えない。
それだけ国庫が苦しい、という事実を踏まえるのはもちろん、敗北は敗北として認めねば何も始まらないのではないか。
そもそもまず最初に手を付けるべきは、給与を得たら年金受給額が減額調整されるというそのシステム。
これをまず廃止して、働くことに意義を持たせるべきだ。
目先の個人に対する年金支給額を減らせるかどうかではなく、税収、国民総生産の拡大を目指してゆく中で年金の削減を考えてゆくべきだろう。
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