ジャカルタ駐在アラサー男子 -16ページ目

ジャカルタ駐在アラサー男子

2011年6月末で会社を辞めて、2011年7月中旬より、インドネシアのジャカルタの会社に就職することとなりました。さらに2012年8月に結婚、新婚生活を始めました。

ちょうど1年前のこと。2011年7月16日、僕は偉大なる祖国日本を出国し、インドネシアのジャカルタで新生活を始めることとなりました。

その日のことは昨日のことのように覚えており、例えば伊丹でチェックインしようとしたらパスポートを持っておらず(前夜の書類整理の際に持つ必要なしと判断された封筒に入っていた)母親にタクシーで駆けつけてもらったり、ジャカルタに着いたら今度は待ってくれているはずの会社の方(その後上司と判明する)と全く巡り会えなかったり。。。

本当にアレから1年366日(閏年)が経ったんだなぁ、まだまだインドネシア語もおぼつかなければ仕事も全く出来ない、その一方でカラダだけは太くたくましくなっていきなんと15キロ以上この1年で太ってます。正確には半年で太り、その後何とか現状維持を保っているだけなんですけどね。

ただ、私生活のほうでは皆さんに本当によくしていただいており、日本ではあり得なかったほどのリア充生活をしてしまっております。

1年前の手帳を見返しているのですが、ホント何も知らないで来ていたんだなぁと感じてます。

必死で表メニュー裏メニューを駆使してインドネシア語の勉強もやって、最低限の会話は成立するようになってきているし、国内いろんなところに出張して広いインドネシアを学んでいるし、周辺諸国にも遊びに行っているし、ラルクのライブを見たし、阿波踊りやってるし、全く考えのつかなかった舞台に僕は今立っております。

次の1年後にはどうなっているのでしょうか。

ひょっとしたら結婚して子どもができているという状態かもしれません。

経済情勢が悪化し、暴動が起こり危険な国になっているかもしれません。

まぁ統計学的に考えても祖国の総理大臣はほぼ確実に変わっているでしょうねw

何が起こるか分からないインドネシア、なるべくしてなってしまう祖国日本。

いつか将来、祖国に錦を飾りたいなという想いを持ちつつも、今は当面この土地で強くたくましく厚かましく生きていきたいなぁと、それに向けての第2ステップをこれからはじめるんだと自分に言い聞かせつつ、本当に人生の次なる出発点、30歳という大台に向けての土台作りにも繋がっていく1年ですので、関係のある皆様とこれからもより一層の良好な関係を築いていきたく思います。

まぁ僕自身が心を開いて新しい人脈と繋がっていくことが出来るようにならないとなぁ。。。

ジャカルタ駐在アラサー男子(正確には現地雇用なので駐在じゃないけど)、まだまだ人生と言う物語は続いていくと思いますので、温かく見守って、お付き合いください。

ジャカルタ生活367日目は朝4時起きでカリマンタンに出張に行ってきます!
突然ですが、子どもができました。


上野のパンダのお話です。という出だしを考えていたのですが、残念なことにお亡くなりになってしまいましたね。

まぁ、政治道具に使われるのもかわいそうな話しだなぁと思いつつ、パンダのレンタル料を見て改めてびっくりしておりました。

一方で滋賀では中学生の痛ましい度を越しすぎたいじめ自殺?他殺?が明るみにでましたね。

なんというか、関係各所の対応を見ていると(といってもネットニュース程度ですが)酷すぎるなと、開いた口がふさがらないなぁとしか言いようがなく、こんなのがまかりとおる教育現場はどうなっているのかと嘆くばかりです。

道徳教育とかそういうものはなされてないのでしょうか?

あとは、金八先生を、太陽の季節を見てないためでしょうか?

僕は見てませんよ。

嘆かわしい嘆かわしいと感じていたら、一方でこんな話が。

サッカーで日本vsインドネシアやってるよ。

マジで?と思ったら確かにU22の試合をなぜかRiau州都のPekanbaruでやってました。

解説はインドネシア語だからほとんどわからない、けど得点が入ったのはわかりました。

僕が見られたのはわずかな時間だけでしたが、気持ちは日本にもインドネシアにもがんばって欲しい気分でした。

日本陣営深くまで入ってきて慌てるシーンもありましたし、結構いい試合だったんじゃないですか。

スコアを見たらそりゃぁ実力差が出ていますけど、良かったと思います。

これがジャカルタでなくてよかった。。

もしジャカルタだったらすごい混んでると思う。

ただでさえ季節はずれのスコールもあり道路は冠水してるし大変な夜だったんだから。。。
ついに逃げきれなくなり、観念の初ラウンド。

朝5時半に集合とか、まだ空が暗いんですけど。。

夜が明けて、ついに芝の上に降り立ちました。

で、1打目。

右にキュイーンときれていきました。

2打目は木の近くから。

アイアンを振ったら・・・

木に激突、折れました。・゜・(ノД`)・゜・。

ポッキリ綺麗に折れたのは7番アイアンw

詰んだ。。。

その後は奇跡的な綺麗なショットもたまにあったりしつつ、叩きまくりドロップしまくりな散々なデビュー戦でした。

その割にペースは早かったんですけどね。

感想は、あー疲れた。。って感じかな。

次回はもう少しよい結果になりますように!

さて、折れたアイアンは如何しようか。

シャフト変えるのは1本じゃやってくれなくてアイアンフルセットになるって言われてるし、んじゃ中古でもう1セット買った方が安くないかって感じだし。。。

悩むなぁ。

因みに次回は今週土曜日、早すぎやろ。。

7番アイアン無しで行くか!?

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チョーヤの梅酒をジャカルタ市内のDUTY FREE SHOPで買うことに成功しました。

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いやー、まさか手に入るとは。

というより、たまたまDUTY FREEの看板を見つけ、たまたま時間があったから入ってみたらワインだらけ、スピリッツだらけで大喜びでした。

そしてチョコンと日系のお酒が!

悩みましたが、バーなどで焼酎を飲むのはもとより安物梅酒を飲むのより激安ですから、喜んで買いました。

これ、中に梅の果肉まで入ってるから最後まで美味しい系のやつです。

開栓が楽しみやー!



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最近日本人様の集まりに少しずつ顔を出させて戴くようになっており、以前より日本人様によくお会いするようになってます。

もともと対人関係とかクソ面倒やから、特に狭い日本人社会やから余計に気になって嫌になるから日本人様の集まりにはあまり興味が無かったのですが、ご縁あって半強制連行されてることが増えてます。

そこで感じるのは、やっぱ日本人様の社会は男社会やなぁ、オッサンだらけやなぁということ。

まぁ、自分にご縁があるのがそういう世界でお淑やかなお嬢さんたちの化粧品の香りが渦巻く世界には立ち入ろうに立ち入れないからそう感じているのやもしれませんが。。

そんな感じで初対面っていうのもまぁまぁありまして、まぁ僕は相手に、特におっさんらには基本的に興味が無いから誰に会ってどうこうとか特に感じないのですけど、それがふてぶてしいらしい態度に表れてるんかな。

一方でおっさんらには、仕方なく僕が口を開いた瞬間に「えっ?」て顔をされます。

で、次に出てくるんが大抵「日本人なん?」とか「中国の人やと思った」とかそういうん。

何やねん、めっちゃ日本人やし。

こないだはおっさんら4人連中の前に連れて行かれ、全員がキョトンとしとったなぁ。

何やねん、俺日本語喋ったらあかんか?

まぁ言うても他の言葉よぉ喋らんし、ほんなら喋らんとこかなぁみたいな。
もともと喋らん性格やけどな。

性格歪んでますねん。

カラダも歪んでますねん。

何で最近こんなにも中華やと言われるんやろ。

自慢やけど大中華の土なんか踏んだことないねんで?

別に中華系の血筋でもないしな、間違ってなければ。

ま、そんなんどーでもええねんけど、毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよん。

そんなのにシンパシーを覚えるくらい中華や中華やと日本人様としてのアイデンティティをグサグサやられてええ加減辟易してますさかい、ちょいと愚痴ってみてます。

中華やと言われて中華系の言語で返せるようになる予定は全くないし、やったら本気で勘違いされそうで怖いです。



と、結構嫌がってるような文章書いてますが、機嫌がよければ寧ろ「弄ってもろてありがとう」ってなることも稀に?あります。

ただ最近はガラスの少年時代並にブロークンハートしやすい多感なオッサンになっており、何でかよぉわからんけど不機嫌なこともよぉあります。

絶対将来偏屈ジジイになれる自信あるわ~。

そんなことを思いながら今日も仕方なく自らの意思で働いて来ます。




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