拠点開設 準備室
配属された部署は正式には拠点開設準備室なるもの。
当時、大阪には淀川ケアセンターという訪問介護事業所が稼働していた。
まだ公的介護保険制度が始まる前なので「措置サービス」として行政との委託契約の元でサービス提供されていたのである。
加えて今後の公的介護保険制度施行にあわせて新規に事業所を各所に開設していくのが当面のミッションであった。
同じように自分より前に入社したであろう社員は大阪には約15人ほどいて彼等は主要な場所にハコ(事務所)を確保してそこのセンター長として運営を開始していくという真っ最中にあった。
当初のコムスンの事業所の人的な運営モデルは、
センター長(管理者)
ケアリーダー(サービス提供責任者)とケアマネジャー(介護支援専門員)
ケアスタッフ(介護員)
という構成で訪問介護事業所と居宅介護支援事業所が併設しているのがデフォルトのモデルであった。
このモデルにはさまざまな問題が内包していたのであるが当時の自分にはそれに気づくすべもなく、まずはこのモデルを実体化していくことに着手していくのであった。
採用面接に行く
指定された日時に西中島の雑居ビルに向かうのである。
会場といってもチンケなマンションの一室風。否応なしに通されるのである。
どうやら自分とよく似た輩が何人かいた模様。
みんな考えることは同じなのかとおもいつつダンマリシカトを決め込むことにする。
しかしながらこのときのメンバーの顔は誰一人と記憶にない。
要は誰一人と同期社員となっていないのである。
これは後々になってわかったことだけど。
それだけ競争率の高い採用であったように思えるがこれには意外なオチがあるが今度。
確か一人ずつだったと思う。自分の面接の番になった模様で若干の緊張感を伴い面接という品定めを受ける。
一方対応する面接官は、オッサン(風)、インテリ(風)、ロボペチャ(風、古っ)の三人。
後に、このオッサン(風)は単なるオッサン、インテリ(風)は単なる偽物ペテン師、ロボペチャ(風)は単なる巨乳と判明するのだが、彼等からは
ベンチャー企業であること
と説明うけたことしか覚えていない。
ベンチャー?、それはそれでいいとして他にないんかい!
しかも言ってるおまえら何か違和感オーラ出てるぞ
と突っ込みどころ満載ながらも終了。
質問を受けたことは、
「不採用になったらどうやって生活していきますか?」
だって。
なにその質問?
それって不採用確定フラグたってるの?おれ?え?
ひょっとして不採用なんだけど、不採用になったらそんなに自暴自棄になりそう?おれ。
それともその後あんまり不憫なことになるようなら採用してくれる余地あるちゅうかい?
なにそれ?
答えた台詞もしっかり覚えている。
「泥棒してでも喰っていきますよ」
喧嘩腰である。
やっぱり組織に属して仕事をするなどそもそも無理があったのである。
というよりも、当時のオレってあほ丸出し。
洒落でもなんでもなくほんとにいざとなったら泥棒してでも喰っていってたに違いないと思う。
今ではそのあほさ加減はなくなった。
それはこの9年間で無くした大事なものである。
2,3日後連絡があった。
採用。11月から出社するようにとのこと。
なんじゃ、そりゃ!!!
1999年10月頃のことである。
最初の第一歩
介護ビジネスって儲かるんじゃない?
これ、介護職に従事している人間にとっては非常に嫌悪感のある発想でもある。
しかしながら自分と介護ビジネスとの始まりであったのは偽りのない事実である。
そしてゴールでもあった。もちろん折り返し時点もである。
ずっとこの呪縛の中で夢中に走り続けてきたみたいである。
2000年4月より公的介護保険制度が施行されることもあって1999年は介護というビジネスに俄然注目を浴びてきた感はあったかと思う。
自分もそれに着目したわけでもあるが、当時のベンチャー三羽ガラスの一角である折口雅博が率いるグッドウィルグループが介護ビジネスに参入したのもそのときである。
九州の在宅介護会社を買収し公的介護保険制度施行にあわせて介護ビジネスを展開するというのだ。
どうやらそれに併せて人材を求めているらしい。
介護ビジネスって言っても介護のカの字も知らない。儲かるんじゃない?って言ったって一から考えて調べてやるの効率悪い。
そういうネガティブ思考のループの一歩手前でこの情報。
結論。
これは雇ってもらうしかないね。
なんせ給料までもらえるんだし。
という素敵発想のもとグッドウィルグループ/コムスンの門を叩くのである。
で、どうするの?
どうやら大阪に拠点があるらしい。
波は来ている。間違いなく自分に。うん。
そう思い込もう。
履歴書を送ってくれって言われたので書いてみることにした。
ゲッ、よく考えたら履歴書を書くのって学生の時コンビニでバイトして以来。
こんなヨゴレ果たして雇ってくれるのだろうか!?
そんときは一人で起業してみるか!
そんなこんなを考えていた1999年の夏の終わりである。